薔薇の花びらを纏って

藤泉都理

薔薇の花びらを纏って




 本日、漸く成人式を迎えられた研二けんじは、晴れやかな気分で友人と別れて家路を急いだ。

 成人年齢は十八歳に引き下げられたのに、何故か成人式は二十歳のままだったのだ。

 これでやっと大人の仲間入りを果たせたと実感しては、柄にもなく花束を買い求めた。

 ついでに目に付いた或る物も購入。これは自分用である。

 花束は今更ながら、にはなるが、両親に感謝の気持ちを伝えようとした結果である。

 柄にもない事をしようと思うほどに、浮かれていたのだ。


 これから薔薇色の人生が待っている。

 厳しい現実を知っているが、めでたい今日くらいはそんなめでたい事を考えていいだろう。

 誰にともなくそう心中で胸を張って呟いた研二の目には、我が家が見えていたのだが。




「??????」

「貴様。何者だ?」

「???????」




 研二は混乱した。激しく混乱した。

 我が家が見えたので、走る速度を上げた時だった。

 何かに足を強く掴まれたかと思えば、傍らで流れる小川へと引きずり込まれた。浅いはずなのだが、まるで水位の深い海に放り込まれたかのようだった。

 必死で水中から這い上がろうとするも、叶わず。

 薔薇色の人生がもう厳しい現実へと引き戻されたなと嘆きながらも、誰かに気付いてもらおうと必死に暴れまくった結果が。


「早く答えぬか」


 これである。

 真っ黒い忍び装束に身を引き締めた男性に真正面から、苦無の切っ先を喉元に突きつけられているのである。


 これはあれか異世界転生。いや、異世界転移というやつか。

 キャパオーバーしては真顔になった研二は、心の底から訴えた。

 助けてください。


「俺、およげな、」


 何故だが今までは海面から肩から上の身体が垂直に出ていたが、摩訶不思議な力の効果が切れたのだろう。

 水底から引きずり込まれるように、ずぶずぶと身体が水中へと沈んでいく中。

 がぶがぶと水を飲み込んでしまった。


(うえっ。磯臭い。ここは海かよ? うげえ。人生最期の味が、海水かよ。どうせなら。どうせなら、何だろう?) 



















「どこぞの刺客ではなかったのか」


 暴れながら沈んでいく男をただ静かに見つめていた忍びの颯真そうまは、男に背を向けて陸へと泳ぎ出した。

 凍てつく海での水練中に突如として海中から飛び上がって来たのが、今もなお沈みゆく男であった。

 果たして、どこぞの城に金で雇われた刺客かと思ったが、どうやら違ったらしい。


(助ける謂れもないしな)


『助けてください』


 刹那、男の悲愴に刻まれた顔が脳裏を過る。

 見慣れた顔だった。

 助けてくれと命を乞う顔は。

 常に見捨てて来ただろう。

 男もただ、その中の一人になるだけである。


「これは、」


 颯真は泳ぎを止めた。

 否、止めざるを得なかったのだ。

 まるでそれ以上進んでくれるなと言わんばかりに、見慣れぬ花が次から次へと海中から浮き出ては、颯真を囲い始めたのだ。

 赤、白、黄、紫、青、橙、桃、緑、黒と、花びらが幾重にも重なる美しい花々だった。

 今時分の季節にこれほど多種多様な色の花は咲かないはずだが。


「あの男が好いた女子おなごにでもと異国の花を買い集めたのだろうか? それとも。手向けの花。よもやあの男。身投げしたものの、死が恐ろしくなり、私に助けを求めたのか?」


 一輪だけ花を掬い上げる。

 すれば膨張するように、一斉に花びらが散っては海中へと沈んで行った。


「貴様たちもあの男を助けてほしいのか?」


 問えばそうだと言わんばかりに、花びらを散らしては、海中へと沈んで行く。

 海の色を変えんばかりに広がって行く花びらを前に、颯真は真顔になっては、泳ぎを再開させたのであった。





















「え? 何? 俺………え? 俺の結婚相手?」


 多種多様な色の薔薇の花びらを全身に纏った人物を朧げに見つめた研二はしかし、空っ風により瞬く間に覚醒。勢いよく飛び上がっては、砂と海水塗れの己の身体を強く抱きしめた。


「さむさむさむさむ寒い!」

「喧しい」

「ひっ」


 薔薇の花びらを全身に纏った人物が先程、海のただ中で苦無の切っ先を突き付けて来た忍びだと認識するや否や、研二は後方に飛び退き、腕を十字に交差させた。


「助けてください俺はしがない市民です武器もございませんここが何処かも分かりませんでも記憶喪失というわけでもありません名前は研二年は二十歳大学生勉学をほどほどに励んでおります!」

「………貴様が敵だろうがそうでなかろうがどうでもいい。私に向かってくると言うのであれば、ただ殺すのみ。そうでなければ後は好きに生きよ」

「え? あっ。待ってください!」


 高く積んでは風で消えぬように石で囲っていた焚き火から背を向けて、颯爽と歩き出した颯真を咄嗟に呼び止めた研二。即刻砂浜に土下座をしては、大きく口を開いた。


「助けて下さってありがとうございます!!! これをお納め下さい!!!」


 研二は海水で張り付いたズボンのポケットからなかなか取り出す事ができずもたつきつつ、漸く手に取る事ができたメリケンサックを両の手に乗せて颯真に差し出した。


「武器になる指輪です!!!」


 メリケンサックの名前をド忘れしてしまった研二はそう言った。


「………」


 不要だ。

 そう言おうとした颯真はしかし、武器という言葉に興味を惹かれては思わず立ち止まる、ばかりか、振り返り、真っ直ぐに研二の元へと引き戻っては、研二を見下ろした。


「どう使うのだ?」

「右手にはめるだけです。殴打の威力を高めると同時に己の拳を守る役目を担う金物の武器でございます」

「ほう」


 逃がすなと、警鐘音がなる。

 この男を逃すな、生き延びる為に何とか気に入られて、くっつき回れ。

 現代に戻るその日まで喰らいつけ。


(できれば夢落ちを期待するけど!!! すんごく期待するけど!!!)


「………ならば、助けた礼として遠慮なく貰っておく」

「へい!!!」

「………何故ついてくる?」

「え? 何言ってんですかもう、旦那あ。貰うって言ったじゃないですか?」

「ああ。この武器をな」

「はい! この武器には俺も付いて来ます! この武器と俺は一蓮托生です! あ。忍びに二言はありませんよね? ね?」

「たわけ。忍びは基本嘘を吐く生き物だ」

「え?」

「………はあ。もうよい。私はもう何もせぬ。好きにしろ」

「ありがとうございます!!!」


(捨てられそうな目白めじろのような顔をされては。絆されても仕方ない。か。まあいい。何もせぬ。これ以上はもう。何もせぬ。殺されようがどうでもいい)


 時折隠れ家の庭に飛んでくるお気に入り目白を思い出しては、溜息を吐いた颯真。

 彼は知らない。

 どうでもいいと思いながらも、どうしてか度々研二を助けてしまう未来が待ち受けている事を。

 彼らは知らない。

 まさか武器になる指輪(メリケンサック)を贈り合う間柄になる事を。

 まだまだ知る由もないのである。


「旦那!!! 寒いです!!!」

「声を荒げるな痴れ者が」

「へへ。旦那。薔薇の花びらを纏って綺麗ですぜ」

「その腐った目を海水で洗い直してこい」











(2025.1.15)



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薔薇の花びらを纏って 藤泉都理 @fujitori

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