2話: 触れられない壁
千夏は、蓮ともう一度話をする決意を固めていた。それから数日間、彼のことが頭から離れなかった。何かが気になり、心が引き寄せられていく感覚があった。それは、単なる興味だけではなかった。蓮には何か隠されたものがある。その何かを、千夏はどうしても知りたかった。
しかし、その心の奥底にある疑問や気持ちをどう表現すべきか、千夏には分からなかった。彼はいつも冷たく、孤立していた。その冷徹な態度は、他人を遠ざけるための防衛だったのだろうか。それとも、心に傷を負っているからこそ、他人との関わりを避けているのだろうか。
千夏は図書館で何度も蓮を見かけた。蓮は一人で本を読んでいることが多く、他の学生たちと一切関わろうとしない。そんな彼を見るたびに、千夏は胸が締め付けられるような思いを感じた。どうしてこんなにも孤独なのだろうか。彼にはもっと友達が必要なのではないか。そんなことを考えていた。
そして、ある日の放課後。千夏は思い切って、蓮に声をかけることに決めた。何も大きな理由があるわけではない。ただ、彼に何か力になりたいと思ったからだ。
図書館で蓮を見かけた千夏は、心を決めて近づいていった。彼の背中に声をかけると、蓮は驚くことなく、冷たく振り返った。
「なんだ。」
その一言は、まるで千夏に対する興味がないかのように無表情で響いた。だが、千夏は動じなかった。
「ちょっと話せる?」
千夏は少しだけ緊張しながらも、蓮を見つめた。
「話すことなんてない。」
蓮はすぐに答えた。その目は千夏に向けられたが、その中には冷たさが宿っていた。
千夏は少し躊躇った後、言葉を続けた。
「でも、私はあなたが気になる。最近、あなたがどうしてそんなに一人でいるのか、気になってしょうがない。」
蓮はその言葉に反応せず、ただ黙って本に目を戻す。千夏はそれでも、もう一度だけ彼に話しかけた。
「何か、辛いことがあったら、私に言ってくれなくてもいい。けれど、少しでも話すことで楽になるなら、私はあなたの力になりたいと思っている。」
その言葉を聞いた蓮は、ようやく本を閉じ、千夏を見つめた。彼の目は鋭く、冷徹で、まるで千夏の心を見透かすかのようだった。
「お前、何ができるんだ。」
蓮の声は冷たく、どこか苛立っているようだった。
千夏は一瞬戸惑ったが、それでも真剣に答えた。
「あなたがもし、少しでも辛い思いを抱えているなら、私はそれを知りたい。無理に話す必要はない。ただ、少しでも楽になるように、私ができることがあるなら、力になりたい。」
その言葉に、蓮はさらに一歩後ろに下がり、顔をそむけた。千夏はその反応に少し驚いたが、すぐに自分を落ち着かせた。
「…そうか。お前がどうしてそんなことを言うのか、分からない。」
蓮は短く言い、再び静かに歩き出した。
千夏はその後ろ姿を見送った。蓮がどんな理由で心を閉ざしているのか、それを知りたくてたまらなかった。だが、彼があまりにも冷たく、拒絶しているように見えることが、千夏には逆に不安を呼び起こした。
「なんで、こんなに心が動くんだろう。」
千夏は自分の気持ちに疑問を感じながらも、彼を放っておけなかった。
数日後、千夏は再び図書館で蓮を見かけた。今度は彼が一人で黙々と勉強している姿を見かけ、千夏は近づこうかどうか迷った。しかし、結局彼に声をかける決意をした。
「蓮。」
その一言に、蓮は無表情のままで振り返る。彼の顔には何の感情も浮かんでいない。
「また、何か?」
蓮の声は冷たく響いた。
「ちょっとだけ、話をしようか。」
千夏は勇気を振り絞って言った。
蓮はしばらく黙っていたが、やがて静かに本を閉じると、千夏を見た。無言で座っていた蓮は、目の前に座った千夏に何も言わず、じっとその顔を見つめていた。
千夏はその沈黙に耐えながら、ふと自分が本当に彼を理解したいのだろうか、という疑問を持った。彼の心の奥には、あまりにも多くのものが詰まっていて、簡単に理解できるはずがないのに。
「あなた、どんなことを抱えているの?」
千夏は思わず問いかけた。
その質問に、蓮はしばらく黙っていたが、やがて深いため息をつき、目を閉じた。
「…知りたくない方がいい。」
その言葉に、千夏は心を打たれた。彼は本当に、自分の過去を他人に話すことができないのだ。それほどの傷を負っているのだろう。
「でも、私はあなたがどうしてそうなるのか、知りたい。」
千夏は静かに言った。
蓮は再び無言で立ち上がり、ゆっくりと席を立った。その後ろ姿を見送る千夏の心には、何とも言えない切なさが広がっていた。彼が心を開くことは、簡単なことではない。それでも、千夏は彼を理解しようと決意した。少しずつでも、彼の壁を越えていきたいと思った。
その後、千夏は何度も蓮に声をかけようとした。しかし、彼は毎回、冷たく、無関心な態度で返すだけだった。彼が心の奥で抱えているものを知りたかったが、その壁を越える方法は見つからない。千夏は次第に、自分が蓮に対して感じる感情に対して不安を覚え始めた。もしかしたら、彼を理解することは不可能なのではないか、そう思った瞬間もあった。
だが、諦めることはできなかった。千夏の胸には、蓮を助けたいという思いが強く根付いていた。それは、彼が抱えている痛みに触れることでしか解決できない問題だと感じたからだ。
ある日、昼休みの時間帯に千夏は学食で一人で食事をとっていた。その日は何となく、蓮の姿を探す気持ちが強くなっていた。彼がどこで何をしているのか、少しでも気になる。千夏は無意識に窓の外を見ながら、蓮を探していた。そのとき、ふと視界に彼の姿が入った。蓮が一人で、学食の外のベンチに座っているのが見えた。
千夏は一瞬ためらったが、意を決してその方向へ歩き出した。途中で立ち止まりそうになったが、自分を励ましながら前へ進む。蓮がいる場所へと、足を運んだ。
ベンチに座る蓮は、いつものように一人だった。食事をとることもなく、ただ静かに空を見上げている。千夏は少し距離を置いて、蓮に声をかけた。
「蓮。」
彼はゆっくりと振り向いたが、またしてもその顔には無表情が浮かんでいた。
「なんだ。」
彼の声には、わずかな嫌悪感が混じっているように感じた。
「ちょっと、話がしたくて。」
千夏は少しだけ緊張しながらも、真剣に言った。
「話すことなんてない。」
蓮は冷たく返したが、その言葉に千夏は動じなかった。
「私は、あなたのことが気になる。」
千夏はしっかりと蓮を見つめ、言葉を続けた。
「あなたが一人でいるのは、ただ孤独だからじゃないはず。もっと深い理由があるんだと思う。でも、私はその理由を知りたい。」
蓮は一瞬、千夏を見つめたまま動かなかった。彼の目には、少しだけ戸惑いが浮かんでいるように見えた。それでも、すぐにその表情は冷たく変わり、無言で立ち上がった。
「お前、俺のことを知りたいだけだろ。」
蓮は一歩後ろに下がり、千夏と距離を取った。
「でも、俺には何も話すことなんてない。」
その言葉に、千夏は胸が痛くなるのを感じた。蓮は明らかに心を閉ざしている。だが、千夏はそこで引き下がるわけにはいかなかった。
「話さなくてもいい。」
千夏は一歩前に進み、蓮を見つめた。
「でも、私はあなたが抱えているものを少しでも理解したいと思っている。それが、少しでもあなたを楽にする方法だと思うから。」
その言葉を聞いた蓮は、何も言わずに立ち尽くしていた。千夏はその静寂の中で、彼の心の中にある闇を感じ取ろうと必死だった。蓮の痛みを知ることができれば、彼を少しでも支えることができるのではないかと思ったからだ。
しばらくの沈黙が続いた後、蓮はようやく口を開いた。
「お前が思っているほど、俺のことなんか簡単に理解できない。」
蓮は低い声で言った。
「俺がどんな過去を抱えているのか、お前にはわからない。」
その言葉に、千夏は少し驚いた。これまで蓮は、自分の過去を一切口にしなかった。それが初めて、彼の口から出た言葉だった。千夏はその言葉をしっかりと受け止め、静かに答えた。
「だからこそ、知りたい。」
千夏の声は穏やかで、確固たるものがあった。
「あなたが抱えているものが何であれ、私はそれを理解したい。そして、少しでもあなたが楽になれるように力になりたい。」
蓮は千夏をじっと見つめ、その瞳に少しだけ揺れ動くものを感じた。しかし、すぐにその表情は元の冷たさを取り戻し、再び言葉を発した。
「お前には関係ない。」
蓮はそう言い放つと、背を向けて歩き出した。
その背中を見送る千夏の心は、再び痛みで満たされた。彼がどんなに拒絶しても、彼を放っておけない。千夏は自分の気持ちに正直に、蓮を支えたいと願い続けた。
その夜、千夏は一人で部屋にこもりながら、蓮のことを考えていた。彼が抱える痛みが、どれほど深いものであるかを考えると、胸が締め付けられるような思いが湧いてきた。彼を理解するには、もっと時間がかかるだろう。それでも、千夏は諦めるつもりはなかった。蓮を支えられるのは、今の自分だけだと信じていた。
そして、千夏は強く決意した。蓮の心の壁を越えるためには、もっと彼の近くにいて、少しずつその心の奥に触れていかなければならない。彼がどんなに拒絶しても、その先に何かがあると信じて、千夏は一歩一歩歩みを進めていくことを決めた。
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