冷たい瞳、温かな恋

いしかわ

第1章 - 理想と現実の間

1話: 運命の出会い

千夏はキャンパスを歩いていた。

春の陽気が心地よく、まだ新しい学期の始まりであることに胸が高鳴っていた。大学生活も3年目を迎え、彼女は心の中で自分の未来に思いを巡らせていた。理想的な恋愛、心が満たされるような出会い。そんなことを考えながら、いつものように友人たちと軽い会話を交わしていたが、どこか心に隙間を感じていた。自分の心が本当に望んでいるものが何か、明確にはわからない。恋愛に関しても、理想と現実のギャップに悩む日々が続いていた。


「今年こそは、素敵な人に出会えたらいいな…」


千夏は思わず心の中で呟く。映画や小説のように、運命的な出会いがあればいいのにといつも願っていた。しかし現実は、そんな理想的な恋愛とは程遠かった。今までの恋愛も、どこかで理想と違っていた。それでも、彼女はどこかで期待していた。運命のような出会いがあるのではないかと。


その日も、サークルの集まりがあった。大学で新しい仲間を作りたくて、千夏は参加していた。最初は緊張していたが、次第に自分らしく振る舞えるようになった。友達と一緒に和やかな会話をしていると、ふと視線が感じられた。周りには多くの学生がいたが、どうしても目が引かれた。その視線の先には、ひとりの男が立っていた。


その男、蓮は、他の誰とも違っていた。背が高く、鋭い目つきで、どこか冷徹な印象を与えていた。髪は黒く、少し長めで、無造作に肩にかかっていた。彼は特に周りと関わることなく、無言で立ち尽くしているように見えた。その姿勢はどこか異質で、静かな威圧感を放っていた。


千夏はその瞬間、なぜかその男に強く引き寄せられるような感覚を覚えた。周りの賑やかな雰囲気の中で、ただひとり静かな空気を纏っている彼。冷徹に見えるその表情の奥に、何か引き寄せられるものがあった。


「誰だろう…」


彼が誰か、全く知らなかった。サークルの集まりに顔を出しているようでもなかったし、他の学生たちとの会話もほとんどしていないようだった。それでも、彼の周りには何か独特の空気が漂っている。彼がそこにいるだけで、周りの空気が変わるような気がした。


「もしかして、今年の新入生?」


千夏は頭の中でそう思いながらも、心のどこかで気になっていた。その目が、彼がどこか遠くを見つめているようで、何かを抱えているように感じたからだ。その視線が、千夏を貫くような感覚を覚え、彼に話しかけてみたくなった。


「こんにちは、あなたもこのサークルのメンバー?」


千夏は意を決して声をかけた。蓮は一瞬、千夏の方に目を向けたが、すぐにまたその視線を外した。無表情で、どこか冷たさを感じさせる目だった。千夏は一瞬驚き、その場の空気が少し固まったような気がした。


「…」


言葉は返ってこない。ただその無表情のまま、蓮は千夏を見つめていた。彼の目からは、どこか拒絶するような冷たい印象が漂っていた。千夏は一瞬、どうしていいかわからなくなり、思わず言葉を繋げようとした。


「あ、私は千夏って言います。よろしくね。」


その一言に対して、蓮はやっと口を開いた。


「蓮。」


その一言が、千夏には予想以上に印象的だった。蓮の声は低く、冷たく響いたが、その中に何かしらの力強さを感じた。千夏はその声に少し驚き、同時に彼の名前を耳にしたことで、なぜか胸の奥で何かが引き寄せられるような感覚を覚えた。


その後、会話は続かなかった。蓮は再び無言で、千夏に背を向けると、静かにその場を離れていった。その姿を見送りながら、千夏は思わずその後ろ姿に目を奪われていた。


「なんだろう、この感じ…」


自分でも驚くほど、蓮に対して強く引き寄せられる感覚があった。彼がどこかで心を閉ざしているような気がしたからだろうか。それとも、ただの偶然だろうか。千夏はその場に立ち尽くしながら、自分の気持ちを整理できなかった。


「運命の出会いなんて、きっとこんなものなのかもしれない。」


心の中で、そんなことを考えた。その時、千夏はまだ知らなかった。蓮が抱える秘密、彼の心の奥に潜む闇に触れることになることを。そして、彼との関係が、思っていた以上に深く、複雑なものになるとは夢にも思わなかった。


その日から、千夏は蓮を忘れられなかった。彼の冷たい目、無言の態度、そして何よりもその無遠慮な空気。まるで彼の周囲だけが切り取られたように、孤立しているように見えた。しかしその一方で、千夏の心は次第に彼に対して不思議な興味を抱くようになっていた。普通なら、このような冷たく閉ざされた人物に引き寄せられることはなかったはずだ。でも、蓮には何かがあった。彼の周囲に漂う空気、そしてその瞳の奥に潜むものに、千夏は強く惹かれていた。


数日後、千夏は再び蓮を見かけた。今回は昼休みの時間、図書館で偶然彼を見かけたのだ。彼は一人で黙々と本を読んでいるようだった。蓮が座っている席の周りは空いていて、静寂が漂っていた。千夏は少し迷ったが、勇気を出して近づいてみることにした。


「こんにちは、蓮。」


思い切って声をかけると、蓮はほんの少し顔を上げて千夏を見た。しかし、やはりその表情には変化はなかった。冷たい、無表情な顔。


「…また、君か。」


その言葉には少しの驚きと、若干の苛立ちが混ざっているように感じた。しかし、千夏はあまり気にせずに続けた。


「私、最近この図書館でよく勉強してるんだけど、蓮もよく来るんだね。」


蓮は一度、黙って目を伏せてから答えた。


「勉強というか、読んでいるだけだ。」


その冷たい返事に、千夏は少し笑ってしまった。


「そうなんだ。でも、私も本が好きだから、気が合いそう。」


しばらくの間、二人の間に沈黙が流れた。千夏は少し居心地の悪さを感じつつも、蓮の隣に座ることにした。蓮は一切動じることなく、自分の読書に戻ったが、その姿に千夏は少し安心した。冷たいけれど、まるで壁を作っているように見える彼。こうして、彼と共に過ごす時間はどこか特別なものを感じさせた。


「ねえ、蓮、何を読んでるの?」


千夏が声をかけると、蓮は再び本から目を離し、そのページに指を置いたまま答えた。


「これは…自己啓発本だ。」


「自己啓発本?」


「…そうだ。人は変わらない。だから、変わる努力をしろって話だ。」


その言葉に、千夏は少し驚き、そして興味を引かれた。蓮がそのような本を読んでいることに、意外さを感じたのだ。しかし、それと同時に、彼の言葉にはどこか心の深い部分で痛みを感じるような響きがあった。


「変わる努力か…」


千夏はその言葉に何か深い意味を感じていた。何かを変えるために努力すること、その背後には強い意志や、過去の経験が影響しているはずだ。彼が読んでいる本から何かを学び取ろうとしている、その姿勢に、千夏は再び引き寄せられるような感覚を覚えた。


その後、蓮は千夏の言葉に応じることはほとんどなかった。しかし、千夏は少しずつ、彼との接触を続けるようになった。どこか冷たくて閉じた人間に見えた蓮が、少しずつ心を開くのではないかという淡い期待を持っていたからだ。


ある日、放課後に再び蓮を見かけた。今度は、彼が一人で歩いているのを見て、千夏は思わず声をかけた。


「蓮、どこ行くの?」


蓮はしばらく黙っていたが、やがて答えた。


「…別に。」


その言葉の奥に、何かを隠しているような気がした。千夏はその瞬間、蓮に何か深い闇があることを感じ取った。彼はただの冷徹な人物ではない。心の中に何かが隠れている。それが彼を孤独にし、他人と関わろうとしない理由だということが、千夏には少しずつ見えてきた。


その晩、千夏は自分の部屋でふと考えた。彼の過去に何があったのか。どうしてあんなに冷たく、心を閉ざしているのか。その答えが見えたとき、彼の心に触れたとき、何かが大きく変わるのだろうか。千夏は不安と期待が入り混じった気持ちで、蓮との関係がこれからどう展開していくのかを思い描いていた。

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