青薔薇邸へようこそ
小石原淳
青薔薇邸へようこそ
青薔薇邸はその名の通り、壁に青い薔薇を這わせている。
無論、造り物の薔薇だ。青い薔薇なぞ、この世に存在しない。青薔薇邸を彩るのは、石油製品だ。
造花と言っても、なかなかよくできており、触れさえしなければ、本物だと信じる人がいるかもしれない。一つ、欠点を挙げれば、その青があまりに毒々しすぎて、自然界に存在する色に見えない。故に、たいていの人は触れずとも、それが造花であると察するのだ。
「外観から二階建てと思っていたら……凄く高い天井だ」
天上を見上げながら、私は言った。視線の先には、立派なシャンデリアがあった。まだ昼間なので明かりを灯してはいないが、きらきら輝いて見える。
「驚かれた?」
私の背後で、楽しげな声を立てて笑う婦人。彼女こそ、青薔薇邸の現在の主。
「驚きますよ。音楽堂でもなければ、こんな造りなんて」
「浴室等を含めた個室が十二ある他は、この大きなホールだけですの。廊下も階段もございませんわ」
「どういった意図で、これを造られたんでしょうねえ」
私は婦人へと向き直った。胸、そして恐らく背中の側も大きく開いているであろうドレスによって、婦人の肌の美しさは強調されていた。
「さあ……。私には分かりませんわ。でも多分、主人――ラミレスは子供じみたところがありました。人を驚かせて喜ぶのです。この青薔薇邸もきっと、人を驚かせるためだけにこしらえたのだと思います」
そうだとしたら、ラミレスの意図は達成されたことになろう。
ラミレスの死後に完成し、初めて披露される形となった青薔薇邸は、平凡な西洋館じみたその外観に比して、内側ときたらかなり変わっていた。巨大なお碗を伏せたようなホールの周囲に、縦長の直方体にたとえられる部屋が十二、並んでいるのだ。内と外とのギャップの大きさは、初めてここを訪れる――私のような――者を驚嘆させるのに充分に違いない。
「他の方は?」
「お一人を除いて、揃っていますわ。皆さん、部屋にこもられていますけど」
「はは。このホールにいたのでは、落ち着かないんでしょう。それじゃあ、僕も部屋に入って落ち着きますか」
「ご案内します」
婦人を先に、私は荷物を持ってホールを横切った。あてがわれた部屋にたどり着くまで、私は婦人の美しい背中を楽しめた。
「お呼びするまで、なるべく部屋にいてください。それから、私は準備がありますので、私の部屋を訪ねないように願いますわ」
そう言って、婦人は私の前から去って行った。
荷物を整理し、部屋から出たところで他の客人と出くわした。
「おっと、失礼。僕はレストレード、公務員です。あなたは……」
「私はカシモド」
鷲鼻の初老紳士は、きいきいした声で答えてくれた。
「美術品の鑑定を生業としております」
「それでは、ラミレスの建築物も」
「確かに、価値ある物かもしれません。だが、私の専門は美術品、それも古美術なんですな。はっきり言えば、分からんの一言です」
カシモドは、つーっと左手を挙げ、斜め上方を示した。老人の手だった。
「どちらかと言えば、私はあれに引かれますな」
「あれとは?」
「ほら、ホールの頂にはめ込まれている、ステンドグラスが見えますかな? シャンデリアに目を奪われんように、ようく見てご覧なさい」
目を凝らすとなるほど、それらしき色ガラスが確認できた。しかし、相当高い位置にあるため、その絵柄まではとても確認できない。
「あれ、値打ち物ですか」
「かもしれん。手が届かないがために、よく見えることもありますんでな」
言って、快活に笑ったカシモド。
「あの、カシモドさん。あなたがこちらに来たのは、どのような関係で」
「私とラミレスとの関係かい?」
「は、はい。あ、僕の方はですね、婦人とハイスクール時代同じ学校でして、その縁で、ラミレスとも付き合いがあったのです」
「ほう。私は仕事――美術鑑定士としての付き合いでした」
紳士の言葉で、私は思い出した。ラミレスの設計による建築物の内装を担当した縁で、婦人はラミレスと結婚したのだ。インテリアデザイナーの婦人は、カシモドとは、ラミレスよりも先に付き合いがあったのかもしれない。
「他の方をお見かけしましたか?」
カシモドが不意に聞いてきた。
「いえ。カシモドさんもお会いになっていないのですか?」
「さようで……」
老紳士は首を捻った。
「どうしたものか。こちらから各部屋を回って挨拶するのも、おかしな気がする。それで躊躇していたら、ちょうどあなたが顔を見せられた訳ですよ」
「僕は到着したばかりですから、すでに来られている方については何も知りません。でも、直に全員が揃うでしょう。婦人によれば、あと一人で全員が揃うということですから」
「ほう。では、私はあなたの直前に来たことになる。私に対しては、あと二人だと言っていたからね」
「そうなんですか」
別にどうでもよかった。関心があるのは、今日、ここで行われる追悼会、それだけなのだ。婦人の手で執り行われるラミレス追悼の会。ホールを見る限り、特に準備はされていないようだ。
「部屋で大人しくしておきますかな」
それがいいということで、私達はあてがわれた部屋に戻った。ホールを円に見立てた場合、私の部屋から円の中心を通ったちょうど向かい側に、カシモドの部屋はあった。
静かだった。
いつまで経っても、呼ばれなかった。退屈になって、私は再び、部屋を出た。そして、婦人を除いて唯一見知っているカシモドの部屋に向かう。
ノックしてみる。軽く二度、こんこんと。返事はなかった。
「カシモドさん、レストレードです」
話しかけてみたものの、やはり返事はない。
「おかしいな」
つぶやいてから、きびすを返したところで、少しぎくりとした。
「レストレードさん」
いつの間にか婦人が立っていた。
「……何でしょう?」
「そろそろここにも、準備を施したいのです。お部屋に戻っていただけますか」
「あ、そういうことでしたら、手伝いましょう」
「いえ、お客様にそういうことは……」
「何を言ってるんだ」
ハイスクール時代を思い出して、私は多少、荒っぽく言った。
「短い間だが、付き合っていた仲だろう。他人行儀にもほどがある」
「今日は招く側と招かれる側に分かれているのです」
「ラミレスがいなくなって、どうするつもりだい?」
私は婦人の手を取った。
「まさかラミレスに操を立てるなんて、言うんじゃあるまい。再婚を考えているんだろう?」
「やめてください」
きっぱりとした口調。
「他の日ならまだ許せますが、今日だけはそのような話はタブーです」
「……分かった」
婦人の手を離し、私は身震いした。何故かしら、ラミレスの造ったホールに、彼の意識が遺っているように感じられた。
「あと、何分ぐらいなんだろう?」
「一時間足らずですわ。お待たせして申し訳ないんですけれど」
「他の人と会っていいのだろうか? 今も、カシモドさんと話をしようと思ってきてみたんだが、いないらしくて」
「カシモドさんなら、散歩に出られたようです。窓から姿をお見かけしましたから。ですが、なるべく、外には出ないでください。他の方とも、できればお会いにならないでください」
「何故?」
「今日の招待客の皆様は、ラミレスの遺志で選ばれたのです。あの人らしく、皆さん全員を驚かせる趣向も用意してありました。それを成功させるために必要なんですわ」
「ラミレスの……」
では、ラミレスが呼んだ人間によるラミレスの追悼会となるのか。
「最後の一人は来ましたか?」
丁寧な口調に戻って、私は聞いた。
「いえ、まだ」
答えてから、婦人は思い出したように手を叩いた。
「いけない。お茶ぐらいお出しすべきでしたね。レストレードさん、お飲みになるでしょう?」
「いただきますよ。何か軽い物がいい」
注文を言ったところ、婦人は彼女の部屋に戻り、またすぐに引き返してきた。その白い手には、透明な液体で満たされた透明なグラスが握られていた。
「どうぞ」
「何だろう?」
笑いながら受け取り、一口飲んでみる。
「……まじに分からない。何だい、これ?」
「うふふ、薔薇のリキュールよ」
婦人は、楽しそうに笑っていた。口ぶりが一変している。何だろう?
「薔薇? そんな物があるのかい?」
「ええ。リキュールは正確じゃないかしらね。薔薇のジュース。しかも、この建物にふさわしく、青い薔薇を絞ったジュース」
「それにしては青くないなあ。そもそも、青い薔薇なんてないだろう?」
急に酔いが回ってきた。そんな感覚に襲われる。
「ないと思っている人にはないのよ」
理解不能。
「ちっとも軽くないぜ、これ――」
皆まで言い切らぬ内に、かくっと膝からくずおれてしまった。ひざまずき、片手で両目を押さえる。
「効いてきたみたいね」
「ああ……効いている」
「酔いじゃなくて、薬の効き目よ。お分かり?」
「……薬……」
「ごめんなさいね、レストレード。ラミレスの遺言なの。『私が死んだら、おまえと色恋沙汰のあった者を男女問わず全員、この世から葬ってくれ』って。カシモドももう、殺してしまったわ。あとはあなたともう一人――まだ来ていないあの人――を残すだけ」
「ほ……他の……客」
「決まっているわ。この世にはありえないものになってもらったわ、全員」
「何故」
呼吸が乱れているのが、自分でも分かった。吐き出すように、質問をする。
「ラミレスを愛しているから」
婦人の答は簡単かつ明瞭であった。
「死んだラミレスのこと……気にして……何故」
「違うわ。あの人は死んでなんかいないわ。今もずっと、私を見守ってくれています。本当よ。ホール頂上のステンドグラス、お気づきになって?」
私はどうにか、カシモドの言葉を思い出した。
「あのステンドグラスね」
婦人は嬉しくてたまらない様子。
「あの人の――ラミレスの血が使われているの。それに、あの人の目も。だから、ずっと私を見守ってくれているのよ」
ああ……。
私は納得した。それでさっき、ラミレスに見られているような感覚に襲われたのか。
「た、た……助から……ない、のか…………僕は……もう」
「そうよ。一番、苦しまずに済む方法だから……許して」
わずかに、婦人の顔に影が差した……ように見えた。もう私の意識が遠のきつつあるせいで、見間違えたのかもしれない。
「せめて……君に抱かれて死にたい」
必死で口を動かした。もうすぐ、声が出なくなりそうな予感。
「分かったわ」
いつの間にか私は横たわっていた。その私の上半身を、彼女は抱き寄せてくれた。
「ああ」
この世に遺す最後の一言。それはやはり、彼女の名前しかないだろう。私は力を振り絞って、しかし囁くようにそれを言った。
「さよなら……ローダンテ」
「いやあ、遅れてしまってごめんなさい。想定外の大雪に降られて」
あなたは肩の雪を右、左の順に払いながら言った。
「いいのよ。さあ、いらして」
そんななたを女主人は快く迎えてくれる。あなたは申し訳なさを滲ませて、言葉を連ねた。
「他の人は? 迷惑かけているのなら急がなきゃ」
「大丈夫ですわ。皆さん、大人しくしていらっしゃるから」
「それならいいんだけど……。一息つく時間があるのなら、部屋はどこ、ローダンテ?」
「案内します。どうぞこちらへ、青薔薇邸最後のお客様」
あなたは館の奥へと通される。訪問者が大勢来ている割には、とても静かな館の。
――終
青薔薇邸へようこそ 小石原淳 @koIshiara-Jun
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