第32話
『サイナ、大丈夫か?』『何か失敗はなかったか?』『サイナが装備を貸してくれるから成功した』『俺は、あまり経験がないからサイナがいれば安心できる』と度々口にしてくれた。彼自身の卑屈さも感じさせるが、それでもなお私への愛情を思わせる言葉の数々を額縁にして、題名を付けて、部屋に飾りたい程だった。
「でも、その前に今は彼を探さないといけませんね。少し本校舎から離れますか」
最終下校時間というくびきが無くなったが、待たせるのは申し訳ない以上、可能な限り速やかに彼を連れて行くしかない。通告こそしたが、それでも自力で引きずった方が確実だった。シズクからの連絡がない事から、私はあの先日の一戦が開催された実技棟へと向かった。二階席からコートと真向かいの観戦席を見渡すも、いなかった。
「サイナさん」
あまり付かず来たくない秀才とその一味が歩み寄って来た。
「彼、ヒジリ君は?」
「—————さぁ?」
と満面の笑みで返すと、秀才は苦笑いを浮かべる。
「その、あの時は僕も動転してた。悪かったと思ってる」
「それを彼に口にしましたか?」
「………してない。でも、それは君たちが常に彼を」
「私達が話している所に、割って入ったのはどこの誰でしたでしょうか?」
彼とは違い、高い重ねた人望と実績を誇る秀才のこんな表情は初めて見た。
背後のふたりも否定も助け舟も出さずに見守っている所を見るに、あれは止める事が出来ない感情だったのだと察した。けれど、ほぼ初対面の彼に喧嘩を売るのはどうだろうか。
「それで、ヒジリさんにまた何か御用でしょうか。私がお聴き取りしますよ」
「………もし良かったら、一緒にお昼でもをと思ってね」
「言い渡しておきましょう。彼が頷くかどうかは分かりかねますけどね」
「うん、それでいい。まずは会話の許可を取って欲しい。今更だけど、会って早々にあんな場面に引きずり出すなんて、入学そうそうの騒動を思い出したよ。酷い失態だ。しかも殴って保健室送りなんて—————ヒジリ君は怒っているだろうか」
「それは私にもわかりません。だけど、彼はオーダーとしてあなたとの会話を望んでいました。状況からきっと、ただ事にはならないとわかっていましたけど、それでもまずは話したいと。けれど、あなたは彼の信頼を裏切った。ご理解していますか?」
「君の言う通りだ。否定できない、本当に酷い有様だった………」
「ちなみに言っておきます。彼はオーダーとしてあなたに受けて立ちました————これが私から言える彼の心情です。私からもひとつ良いでしょうか」
「身に余る言葉だ感謝するよ。何かな?」
「ヒジリさんはここには訪れませんでしたか?」
「いいや、少なくとも放課後が始まってからも、彼はここには姿を見せていないよ」
何の対価も関係も希薄な私の質問に即座に返してくれた所を見るに、本当に悪かったと思っているらしい。しかし、あれだけ隠しもしないで敵愾心も露わにして、再戦を果たし、事実上の勝利をもぎ取った相手との昼食など求めるだろうか—————。
「いいえ、私達も同じでしたね」
思えば、私もオーダーとして雇われた3人に謝れ、頼みを聞いて貰ったのだった。
「教えてくれてありがとうございます。彼へ伝えておきますので、答えをお待ちください」
「その言葉が今は何よりも有難い。大人しく待ち続けさせて貰うよ」
二度目は求めなかった彼らの元から離れ、再度本校舎に戻った時、最終下校時間の寸前にまで至っていた。何か情報はないかと思い、スマホの画面を見つめる。
「あ、そういえば—————」
オーダー校の撮影は、テロや犯罪の対象になり得る為、一律禁止だが、だからと言って現代の情報社会の縮図————SNSまで禁止にする事は出来ない。それが10代の生徒ならば尚更。一応は推奨こそしていないが、人によってはそこから仕事の糸口を得る者。また捜査対象の行動を知る重要な手掛かりと授業でも習っていた。
「まぁ、何もないでしょうけど」
重ねてだが、ここはオーダー街の中で運営されているオーダーの為の学校。そんな学校の見取り図や内部情報の流出など、あって良い筈がなかった。中には違法すれすれに値しかねない、一般コンプライアンスに抵触しかねない内容もあるのだから。
そんな筈がない、と思いながらもオーダーもよく使う、世間一般で運営されるSNSのアプリを起動させる。私もアカウントこそ持っているが、それはネットショップの窓口であり、オーダーの身分を証明できる人にしか鍵を開けないIDを使う。
「えーと、ヒジリさん、っと」
と、入力するが、彼に類する情報はなく、似た名前のキャラクターぐらいしか見当たらない。いろいろなキーワードと共に数度繰り返すがやはり表示されない。
「困りました………」
ついには最終下校時間の鐘さえ鳴ってしまった。もう打つ手がない。
「………ひとまず病院に」
「サイナ、さん」
と声を掛けられる。聞き覚えのない鈴を転がすような声だった。その声の主はいつの間にか私の目の前、それも何故今まで見つからなかったと思わせる距離にいた。
「え、はい」
黒髪の美少女だった。それも、震える程の。ソソギとは違う鋭い美しさ、しかし同時に触れれば消えてしまいそうな、蜃気楼や幻覚、霧を思わせる儚さを感じさせる美しさだった。けれど、私には分かった。その美貌は殻でしかない————私でさえ触れるのを躊躇う深い闇。目を見れば更にわかる、深い深い絶望を思い起こさせた。
そんな人の姿を纏う死神にも等しい雰囲気を持つ麗人が私を見つめていた。
「サイナさん、で合っていますか?」
「初めまして、私の御用という事は、何かご注文でしょうか?」
「それもいいですが、まずは私からも挨拶を————初めまして」
そう言って、深々と頭を下げて来た。だが、私にはそれが攻撃の前段階にも見えた。
「ふふふ、そんなに警戒しないで下さい。私は挨拶と少しだけ会話をと思っただけですから。ああ、でもあなたは商人でしたね。お支払いが必要でしょうか?」
「初めてのお客様にはサービスをしております。それに、あなたから私に何か与えてくれるご様子。そんな提案を無下には出来ません。場所を変えましょうか?」
「いいえ、どうやらお忙しいようで。時間は取らせません、ほんの少しだけですから」
やはりソソギとは違う緊張感が走った。視線を逸らせば、即座に首を刎ねられそうな雰囲気を湛えた黒の少女は、頬に手を当てて朗らかに微笑む。
「彼なら、もう解放しました。既に車の前で待っていますよ」
「—————彼」
「ええ、ヒジリさん、でしたね。優秀な方との時間は何にも勝ります—————だけど、彼自身は覚えていないかと。理由は察して下さると有難いです」
図書館の談話室での件を思い出したが、彼女の声も言葉遣いとも違っている筈だ。変声機を使っている様子は見受けられないが、私の知らない技術も捨てきれない。
「—————あなた、学校では見かけませんが、お名前は」
「私に時間を取っていいのですか—————いいえ、無礼でしたね。けれど、名前は明かせません。しかし、クラスなどは明かせます—————あの教室、と語ればご理解頂けますか?」
あの教室、という単語で多くが脳内を駆け巡った。その言葉には大きな意味がある。あの教室とは別の棟の更に最果ての教室。優秀で常人を大きく引き剥がす才能を誇り、けれど人前には明かせない理由を持つ生徒達。そこは、その異常な才能をオーダーの為に遣わせる為に洗脳は勿論、実験やテスト、そんな噂をされているのは勿論—————精神安定を図る為の病室が必要な生徒の為の教室。
社会常識など後でいい。その才能がオーダーの為ならと判断された生徒のひとり。そう彼女は自分で明かした。ならば、短い期間だけだが、彼のあの力を目の当たりにしてしまったひとりでもある。私とは違う、真に彼の力を知っている人。
「—————彼に何を————」
「何も。本当に少し話しただけです。初めて会った時の彼とは、会話は望めなかったので。けれど、あの戦闘訓練を見て驚きました。あの力も消え、会話も可能になっている。あそこまで戻って来るなんて、一体、何があったのでしょうね————何か、知っていますよね?」
もはや隠す気もないらしかった。目の前の黒の少女は、彼の力を求めている。それが、あの力なのか、今後の彼の将来性なのかはわからない。けれど。
「—————私にはわかりません」
「ふふふ。そう、わからない—————彼の正体は私にも分かりませんが、今はそれでいいとしましょう。少しずつ、探っていきましょうね。まだ時間はありますから————ね」
それだけ言うと、彼女は私に背を向けて去っていく。たった数日で彼は多くの生徒に求められるようになった逸材だ。たった今去っていく少女も、その中のひとりに過ぎない。そう自分に言い聞かせるが、なおも私はその場から動けない————だって、彼女は『あの力』を知ってなお恐れず、むしろ彼を求めている。
「ひとつ」
その去り行く背中に声を掛ける。
「ひとつ確認が」
「はい、なにか?」
「彼の姿は、あなたから見てどうですか?」
そんな見た通りの、けれど私にとっては重要な質問をする。
「———————それはどちらの時の彼ですか?」
「どちらでも構いません————或いは、どちらが好みですか?」
僅かに、ほんの僅かに黒の少女が目を開く。
「そうですね——————」
背中を向けながら思案する事1秒足らずだった。
「————今の方が使い勝手は良さそうでいいですね。でも、」
微笑みながら前を向き、去りながら口にする。
「前の方が私好みかもしれません」
曲がり角へ入り、私の視界から完全に消えてしまった。もう追いかけられない。今すぐ走っても消えていると感じてしまう程、今の会話が夢に思えてしまった。
「………私と同じですね。私も、前の彼に一目惚れしましたから」
今の黒の少女も気付いている。前の彼と今の彼は、別人であると。
「確か、車の前にいると言ってましたね」
口で確認し、私は階段で玄関へ行き、そのまま駐車場まで向かう。そこには担任のビッグスクーターが残り、私のモーターホームが取り残されていた。既に最終下校時間を過ぎているのだから、当然の光景であった。
「あ、いました」
モーターホームの影、そこに彼が立っており私に顔を向けてくる。私は走り寄り、ひとまず——————彼の全身を眺める。だが、特段怪我をしている様子はない。
「サイナ?」
「何もされませんでしたか?」
「何も?いや、何もされてない。あれ?」
と、彼が空を見上げる。既に夕暮れ、それも夕闇に入っているのが見て取れる。
「おかしい—————なんで」
「なんで?」
「—————俺、ずっと何してたんだ」
彼がわからない、と言った感じに私を眺めてくる。けれど、私には分かった————あの黒の少女に何かされたのだと。それも、彼の記憶させない何らかの方法で。薬品か?暗示か?洗脳か?もしくは全てか。少なくとも今の彼を問い質しても、何も発見出来そうにない。逆に彼を不安にさせてしまうのがわかる。
「まずは車内へ。そして腕を、脈を測らせて下さい」
「脈?わかった」
彼と共に後部座席へと乗り込み、備え付けのベルト付きソファーに座る。上着を脱ぎ、袖をまくった彼の腕の表面を確認し、薄い針の穴を見つける——————。
「これは、いつ?」
「これ?健康診断で採血をした時、だと思う」
授業とミトリから習った脈の測りを終えた私は、彼の眼を見ながら再度聞く。
「他には何も?何も注射されたりは?」
「他?あー痛み止めを」
「痛み止め?」
「あの戦闘訓練の後、どうしても痛みが引かなくて」
確かに、あの戦闘訓練の後、保健室で手当てを受けていた時、酸素マスクと共に静脈に注射されていたのを思い出す。言われれば、この辺りに刺されていたと思う。
「確か、この辺にされた。だけど、」
「やっぱり、なにか?」
「注射って何度されても慣れないな。あの針は苦手だ」
そう、困ったように微笑む彼が、本当に愛らしかった。
「ええ、分かります。私も注射は苦手です—————ふふ、子供みたいですね」
「そうだな、子供みたいだな。悪い、時間を見落として。約束してたのに」
「いいえ、大丈夫です。時間をずらせましたから、少し待っていて下さい」
運転席へと入り、スマホを手に取り連絡を取る。
「サイナです、こちらは確保しましたよ」
「うぅぅ、ごめんなさい。こちらは難しそうです。一応、場所は病院前と連絡したのですけど、まだ既読が付きません………」
「仕方がありません。そちらの彼の紹介はまた今度。取り敢えず、私達は病院前に向かいますので、それまでに合流を目指して下さいね」
「はい………頑張ってみます………」
そこで連絡を切るが、あの様子では望み薄だった。
「サイナ、隣いいか?」
「ええ、勿論」
彼が助手席に納まり、シートベルトをする。
「では、病院に向けて出発しまーす!」
アクセルをゆっくり踏み、モーターホームを発進、駐車から出た後に中等部校舎、そしてバス停を通り過ぎ、オーダー街の大動脈へと入る。夕闇のオーダー街の道路は広く、何車線もあるが、それでもこの時刻は帰宅ラッシュの真っただ中。高等部生の車や二輪、バスなどが入り乱れる混雑には、レンタルでも自分の車があって良かったと思ってしまう。こんな状態でのバスなど、私の嫌なすし詰め状態になってしまう。
だが—————。
「また、明日一緒に登校しましょうね。バスで」
「ああ、そうだな」
彼と一緒のバス登校は特別な時間であった。どちらが言った訳でもなく、彼と同じような時間で登校してしまうのが不思議だった。もしかして、私の時間を見計らっているのだろうか。そう、思ってしまう程に。けれど、少し気に成る存在もいた。
「あの髪、やはり染めているのでしょうか?」
過去に一度だけ見た白い髪—————その髪の持ち主の顔こそ見れず、高等部まで行ってしまったが、体格からして私達と同い年程度の筈だった。別にそこはいい。髪を染めている同級生ならいる上、もしかしたら新しい防具かもしれない—————けれど、一目見た彼は自然と目で追っていたのを思い出す。仕方ないかもしれないが。
「どう、だろうな。一度しか見てないから、あんまり覚えてないんだ」
「そうですね。私もおぼろげです」
「それより、良いのか病院で」
「ええ、そう約束しました—————覚悟して下さいね」
「覚悟?」
「きっちり紹介させて頂きますから。彼女は良い腕のオーダーですよ」
覚悟、という言葉にピンと来ていないようだが、彼は今を以っても弱気な性格だった。初対面での会話など、彼からは難しいだろう。だから、私がしっかりと紹介して、その後は自分で流れを掴んで貰う。対人恐怖症を消し去るには、やはり数をこなすしかないのだろう。
「そうか、良い腕なのか。実を言うと、今日他の人にも呼び出されてて」
「え、そんな話が?」
「少しで良いって言われたから、少しならと思って。だけど、その人も病院で会いましょうって、たった今届いて。悪いと思ってたから助かったよ」
彼の日程は掴んでいた、というか彼への仕事の依頼は全て私を通さないといけないように、作り上げていたが、流石に個人的な用事までは知らなかった。近々、彼のスマホのパスワードとチャットの—————流石にやり過ぎた。
赤信号で止まっている車列の後ろに付き、彼の方に視線を少し向ける。
「では、一緒に私も謝りに行きますね」
「いや、それは」
「良いんです。それに、きっとその人は私にも用事があると思うので」
やはり、彼はわからないと言った感じに首を捻った。そんな姿が、子猫に見えた。
しばらく世間話、学校での生活や授業の先生の様子、仕事での役割、などなどのたわいもない話をしていると、行政地区に入り、オーダー本部の建物類を横目にしながら、待ち合わせの病院に辿り着く。あの駐車位置に車を止め、運転席から人の往来見るが、まだミトリは訪れていなかった。
待たせるのは悪いと思っていたので、ほっと溜息をする。
「しばらく待ちましょう。恐らくバスで来るはずですから」
彼も頷き、もう夜の入り口に入った空を見上げる。もうすぐ春であり、遠からず桜が芽吹く時期が到来する。あの部屋での数年の間、私は何を思っていただろうか。いや、何も思っていなかった。いつ終わるか、まだ続くのか、と心をいつの間にか消していた。永遠と続く日々の中、いつの間にか外に連れ出され、ここに放置され、あの尋問官に肌を見せた。そしてオーダー校に入学した。それをたったの数日で終え、1年も過ごしてここにいる。誰が予想できたか劇的過ぎる転身。
獲物でしかなかった私が、獲物を求めて街に出る狩人になるなんて。
「あ、来ました」
バスから降りて来たのは彼女ひとりだけだった。私はミトリを確認した後、隣の彼に指示して一緒に降りる。私の車は既に伝えていたので、すぐにミトリも駆け寄って来てくれた。迎えるように彼女の到来を待つと——————病院のガラス張りの壁の奥、待合のソファーに友人達を見つける。しっかりとシズクも揃っていた。
「ふふふ」
「サイナ?」
「いいえ、何でも。見えますか、彼女が紹介したかった人、ミトリさんです」
と、伝えると彼は、
「ミトリは知ってる。何度も、あの戦闘訓練の後でも世話になった」
「そうですね。私も何度もお世話になっていますから」
遂に話せる位置にまで歩み寄って来た彼女は、驚いた表情を浮かべるが、次いで安心したと伝えて来る。彼女も知っている筈だ。既に看護と治療の対象にしたのだから。
「すみません、遅れてしまって」
「いいえ、私達も今来た所です—————見つかりませんでしたか」
「はい、見つかりませんでした。でも、逃げずに来てくれたんですね」
その言葉から考えるに、もしかしたらどうしても無理だと逃げ出してしまったのかと考えた。或いは、ミトリなりの挑発だろうか。どちらにしても、今の彼女は心のそこから嬉しそうで、あの子犬を思わせる雰囲気を作っていた。
「逃げさせません、約束しましたから————では、紹介しますね」
「はい、私も紹介します——————」
誰を?と思い、辺りを見渡すもやはりどこにも男子生徒などいない。しかも、ミトリは更に歩み寄って、私の彼であるヒジリの隣を取る——————。
「え、ヒジリさん」
「はい、紹介します、ヒジリさんです。あの保健室で少し話しましたね。それで、サイナさんの彼は車内ですか?」
「————ヒジリさんです。私が紹介したかった方も、ヒジリさんです」
ああ、きっと担任の言っていた『言わぬが花』とはこの事だったのだ。
私達は彼という桜を自分だけの物だと思い込み、その下を取っていただけなのだろう。それも同じ時間に一度もならずに交代交代で。なんて—————悲劇、或いは喜劇だ。しかも、当の本人である彼も。
「ああ、今日は二人に呼び出されたから、困っていたな」
と、あっけらかんと事実を口にした。そこに、私のスマホに通知が届くが、いわゆる後の祭り—————いや、違う。これは祭の合図だ。それもとびっきりの血祭の。
「—————ひとまず車内にどうぞ。お話しましょう」
「はい、話し合いが必要なようです。ヒジリさんもご一緒させても?」
「ええ、構いません—————長い話し合いになりそうです」
何もわからない彼をふたりで車内に引きずり込む。何も知らない彼が幸福なのか、不幸なのかは、私達には分からない。けれど、私達の奔走の影でもっとも利益を享受してきた彼には、例え何も知らなかったとしても—————何か言うべきだった。
ふと、一時の熱が冷めた時、私はひとりで車外に出た。辺りは既に夜の帳が完全に落ちており、火照った頭と身体を冷やすには心地よい空気だった。空を見上げると欠けた三日月が私を、またも嘲笑っていた。悔しくて睨みつけるも、月は変わらない。
「そういえば——————」
彼の言っていた『明日は晴れますか』と思い出し、もう一度検索に『明日 晴れ』と入力してみるが、やはり明日の天気しか表示されない。あれは私を惑わす言葉は、または月の様に嘲笑う甘言だったのか、とまたも不満な心情になるが、ひとまず落ち着く————そして、試しにSNSへ入力してみる。
「何も出ないでしょうけどね」
と、検索結果をスクロールしていくと——————目に留まる内容があった。
「————明日は晴れますか、は—————気持ちを伝える言葉」
食い入るようにそれを見るが、所詮はSNS、信憑性などと思ったが、
「ま、まぁ、念のため?そう、念のためにです」
信頼できる検索エンジンで、『明日は晴れますか』と正確に打ち込んでみる。その結果——————私、思わず跳ねてしまった。
「明日は晴れ、明日は晴れ、明日は晴れ!!」
明日は晴れますか、それを彼はあの目に見えて、翌日雨の時に使った。ならば、もう疑いようもない。彼が、私に明日は晴れますかと聞いた。私があんな事を言った二日後に使った。ならば、もう確定だ。意味は違うが確信犯だ。いや、確信犯そのものだ。もう暗い夜の中、私はひとりで明日の空を思い浮かべる。
「もう、なんと返すのが正解なのでしょう♪間違いなく晴れ?それとも月が綺麗でしょうね?いえ、ここは少し曇らせる?もしかして雨でも降ってしまうのでしょうか~~~~♪」
めくるめく春の季節はもうすぐそこまで迫ってきているのが風の匂いで分かる。しかも、今回は彼がいる。私に晴れを問うてきた彼がいる。彼がいるのなら、月が落ちようが構わない。それが美しいのなら、彼と一緒に見上げられるのなら構わない。
「サイナ困りました~♪でもでも、回りくどい所もあなたのイメージ通りで~す♪」
きっと楽しい殺伐とした、愛に溢れる愛憎入り混じる、興奮冷めやらぬ冷静沈着が求められる1年が開始されるのがわかる。確かにミトリは、どうしてか彼の部屋で出入りでき食事を振る舞っていたらしいが、それは寮の中の話。
「私は外での仕事なら常に一緒なんです♪それに、いずれ攻め落としてみせますよ♪」
彼の部屋の間取りをまず目に焼き付け、いずれは私物などを置いて、私も来ましたよ、しかも私物置く許可も貰いました、とアピールできる。
「お覚悟を。私、今のところ狙った相手は絶対に逃がしていませんから~♪」
そして、第二ラウンドに向けて、もう一度月を見上げて、微笑みを返す。不思議だ、あれだけ嘲笑っていた月が苦笑いを浮かべて見える。
「さ~て、では新しい攻め方—————イジメちゃう作戦を敢行しましょう♪」
振り返り、私は自分の戦場に赴く。真に私が自分で求めて、自分で積み上げて、自分で作り上げた戦場に。逃亡、玉砕、敗北、全て許されない一戦に足を踏み入れた。
エピソード サイナ 一沢 @katei1217
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