第4話 プロメテウス

 リムジンのエンジンが静かに唸りを上げ、スラムの荒廃した街並みを後にした。窓の外に映る景色は、徐々に変わり始めていた。崩れかけた建物、瓦礫に埋もれた道、貧困に喘ぐ人々の姿。それらが次第に遠ざかり、代わりに見えてきたのは整然とした都市の風景だった。清掃の行き届いた道路、無機質なビル群、規則正しく並ぶ街灯。スラムの住人にとっては決して踏み入れることのできない世界。

 だが、車内には冷たい沈黙が支配していた。


 ハルは腕を組んだまま無言で窓の外を眺め、リナもまた、落ち着かない様子で指先を弄んでいた。彼女の心には、言葉にできない不安が渦巻いている。ハルが人を殺したかもしれない——その疑念が、彼女の胸に鋭く刺さっていた。

 彼女はハルを信じたかった。だけど、その沈黙が全てを物語っているような気がした。


 「さて、これで合意ってことでいいんだよな?」

 突然、車内に響く斎賀の声。その軽薄な口調は、彼がこの状況を楽しんでいることを如実に示していた。彼はリラックスした様子でソファに深くもたれかかり、薄く笑みを浮かべていた。

 「……合意?」

 ハルは低い声で呟いた。

 「そうさ。お前たちは自らこの車に乗り込んだ。つまり、この先の話を聞く覚悟ができてるってことでいいんだろ?」

 斎賀はにやにやと笑いながら、ゆっくりと足を組んだ。その仕草にはどこか余裕があり、二人の反応を試しているかのようだった。

 「お前が何を企んでいるのかは知らないが……まずは話を聞かせてもらおう。」

 ハルの言葉は冷静だったが、その瞳には鋭い警戒の色が宿っていた。

 「いいだろう。」

 斎賀は満足げに頷くと、指を鳴らした。すると、車内のモニターが静かに光を放ち、映像が映し出された。


 「まず、現状を説明しよう。今、世界はタイタンズの脅威に対抗するため、各国が協力して動いている。」

 モニターには、いくつかの国旗が並び、それらを結ぶネットワーク図のようなものが映し出されていた。

 「タイタンズは、今や世界の至るところに現れるようになった。各国はそれに対抗する手段を模索しながらも、決定的な解決策を見出せていない。唯一の希望は、『ルーメン』だ。」

 リナが小さく息を飲んだ。

 「ルーメンの採取場所は『遺跡』と呼ばれている。その周辺には、タイタンズが徘徊していることが確認されている。」


 映像は切り替わり、巨大な洞窟のような場所が映し出された。その内部には、青白く輝く鉱石のようなものが点在していた。

 「だが、タイタンズの活動範囲と遺跡の位置がほぼ一致しているせいで、ルーメンの採取は困難を極めている。わかるだろ? このエネルギーを安定供給できなければ、人類は衰退するしかない。」

 「つまり、タイタンズと戦ってでもルーメンを確保しなければならない……そういうことか?」

 ハルは静かに言った。

 「その通り。」

 斎賀は満足そうに頷いた。


 「そして……お前たちがこの話に関係してくる理由は、ここからだ。」

 再び映像が切り替わる。


 それは、遺跡の深部で発見された巨大な物体の映像だった。巨大な岩に埋もれるようにして横たわる、まるで人型の機械。その表面には、無数の傷と時間の経過を物語る錆が浮かび上がっていた。

 「これは、遺跡の奥で発掘されたものだ。」

 リナの目が大きく見開かれる。

 「まるで……ロボット?」

 「正確には、そうとも言い切れない。」

 斎賀は肩をすくめた。


 「ルーメンと同じく、これは古代文明の遺物だと考えられている。発掘されたのは、タイタンズの襲撃の少し前だった。」

 「……それが何か?」

 ハルが静かに尋ねる。

 「研究を進めるうちに、ある事実が判明した。この機体は、ただの遺物ではない。動かすためには、適性のあるパイロットが必要だということが分かった。」


 映像がズームし、ロボットの内部にあるコックピットのような構造が映し出された。

 「こいつには名前がついた。『マキナアークス』。そして、この機体を活用するために、新たな組織が設立された。」

 モニターには新たなロゴが映し出された。


 A.E.G.I.S(Advanced Enforcement & Global Intelligence Strategy)

 「A.E.G.I.Sは、この機体を解明し、タイタンズの脅威に対抗するために作られた組織だ。」

 「……それが、俺たちと何の関係がある?」

 ハルは冷たく問いかけた。

 「お前たちは、その支配下にある特殊部隊A.R.K(Advanced Recon & Kill)に、ゆくゆくはパイロットとして所属することになる。」


 沈黙が流れた。


  リムジンが静かに減速し、やがて完全に停車した。

 窓の外に広がるのは、無機質な巨大施設。高くそびえるコンクリートの壁にはわずかな窓があるだけで、施設の目的を示す看板や目印も一切ない。まるで研究施設のようでありながら、どこか刑務所にも似た冷たさがあった。

 ハルとリナは車内で微動だにせず、その不吉な建物を見つめていた。微妙な沈黙が二人の間に横たわる。リナは落ち着かない様子で指先を握りしめ、ハルは無表情のまま腕を組んでいた。だが、リナの視線が時折ハルに向けられる。

 人を殺したのか——。

 その疑念が拭えず、彼女は何度も問いただしたくなった。だが、ここでは何も聞かないほうがいい。そう直感していた。


 やがて、施設の巨大な鉄扉が音もなく開き、数人の武装した男たちが現れた。彼らは無駄のない動きでリムジンに近づくと、無言で待機する。

 斎賀は楽しげに微笑みながら、シートから身を起こした。

 「さて、ここまでだ。」

 そう言うと、彼はハルとリナを交互に見つめた。

 「ここから先、お前たちは新しい世界に足を踏み入れることになる。まあ、せいぜい健闘を祈るよ。」

 その笑みは、何かを試すような、あるいは純粋な興味の表れのようにも見えた。

 ハルは斎賀の言葉には応えず、静かに車から降りた。リナもそれに続く。

 武装した男たちに囲まれ、二人は施設の中へと導かれた。



 施設内部はひどく静かだった。

 無機質な白い廊下を進むと、やがて広い部屋へと案内された。そこには既に数十人の子供たちが集められていた。全員、10代の少年少女たちだった。

 彼らの顔には混乱と不安の色が浮かんでいる。

 何人かは囁き合いながら、出入り口の方向をちらちらと見ていた。


 その瞬間、部屋の奥に設置された巨大なモニターが明るく光を放った。

 映し出されたのは、つい先ほど別れたばかりの男——斎賀だった。


 「ようこそ、諸君。」


 彼は薄く笑みを浮かべながら、ゆったりと椅子に腰掛けていた。その姿は、支配者のような余裕を漂わせている。

 「お前たちがここに集められた理由をもう一度説明しよう。」

 室内のざわめきが少しずつ収まり、子供たちはモニターへと意識を集中させた。


 「これから、お前たちにはある計画に参加してもらう。その名は——『プロメテウス計画』。」

 斎賀はゆっくりと語り続ける。

 「プロメテウス計画の目的はただ一つ。人類がタイタンズに対抗できる手段を確立することだ。そのためには、『マキナアークス』を操縦できる者が必要になる。」

 映像が切り替わり、巨大な機械の映像が流れた。


 「この機体は、ルーメンと同じく古代文明の遺物であると考えられている。そして、長い研究の末に判明したことがある。」

 斎賀の口調がわずかに低くなる。

 「それは——この機体を動かすには『パイロット』が必要だということだ。」

 「お前たちには、この『マキナアークス』のパイロット候補として選ばれた。そして……これからお前たちには厳しい試練に耐えてもらう。」

 「試練……?」

 リナが小さく呟いた。

 「生き残った者だけが、パイロットとなる。」

 ハルは鋭く見つめている。

「なぜスラムのガキどもなのか? 簡単な話だ。

 お前たちは世界にとって“存在しない者”だからな。

 身寄りのない子供が消えたところで、誰も気にしない。探す者もいない。

 それに、こういう環境で生き抜いてきたガキは、従順になるのも早いんだよ。」


 斎賀は薄く笑いながら、指で机をトントンと叩いた。

「……まあ、もし反抗する奴がいたら、それは“処分”するだけの話さ。」


 その言葉に、室内が凍りついた。

 子供たちは顔を見合わせ、不安そうに視線を交わす。誰もが状況を完全には理解できていなかった。

 「では、頑張ってくれたまえ。」

 斎賀が締めの言葉を口にし、モニターの映像が消えた。


 次の瞬間、室内に不穏な空気が漂った。

 「ふざけるな!」

 突然、一人の少年が叫んだ。

 「俺は帰る! こんなの聞いてねえ!」

 彼は怒りに満ちた顔で出口へと向かおうとした。その瞬間——。

 乾いた銃声が響いた。

 少年の体が硬直し、足元がふらつく。

 そして、膝から崩れ落ちた。

 室内が静寂に包まれる。


 武装した男の一人が、無機質な声で言った。

 「ここまでの話を聞いた者は、生きて帰すことはできない。」

 泣くもの、怯えるもの、子供たちの反応は様々だった。

 リナは凍りつき、震えながらハルを見た。

 しかし、ハルは——

 何も言わなかった。


 彼の表情は、どこか諦観に満ちていた。

 この世界では、弱者に選択肢などない。

 

 夜が明ける頃、子供たちはそれぞれの部屋へと振り分けられた。

 男女で分けられた部屋は、大部屋が三つ。男子は二部屋、女子は一部屋という構成だった。

 リナとハルは、短く言葉を交わした。

 「大丈夫……?」

 リナが不安げに問いかける。

 ハルは表情を変えずに答えた。

 「今さらだろ。お前はお前で生き延びろ。」

 その言葉が、何を意味しているのかリナには分かっていた。どんな状況でも生き抜く。それが、ハルの生き方だった。

 リナは頷き、部屋へと消えていった。


 そしてその夜から地獄が始まった。

 まず最初に課せられたのは、食事制限だった。

 配られた食事は、全員分をわざと少なくしてある。

 争う者、仲間を庇う者、諦める者——反応を見て、教官たちは冷たく観察している。


 そして、最も目を引いたのは、反抗した少年の末路だった。

「……俺はこんなクソみたいな訓練、受けねえ!」

 そう叫んだ少年がどうなったか?


 その日の内には姿を消していた。


 誰も真相を話そうとしない。

 だが、ハルは理解した。


「これは、“支配”のための訓練なんだ——」

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