シュレディンガー姉さん

つむぎとおじさん

第1話

「あんのやろう!」

私は給食の時間終了のチャイムが鳴ると同時に、教室を飛び出した。

むかう先は6年2組。姉のいる教室だ。

扉を開ける。

全員の視線が私に集まる、が気にしない。

目指すは姉の隣でヘラヘラしている羽佐間順平。

「じゅんぺー、てめえ」

私はじゅんぺーにつかみかかった。

「な、何すんだよ!」

「さっちゃん!?」

姉が止めに入るが、無視。

「みづねえのプリン、また食っただろ」

「何だよ、いきなり。食ってねーし」

「うそつくな! 味しなかったし」

「はあ!? 意味わかんねーし」

私と順平がもみあっていると、姉があわてて言った。

「さっちゃん、違うの、あのね」

姉は急いでトートバッグからプリンを取り出した。

そして恥ずかしそうに言った。

「うちで食べようと思って」

「あ……」

教室中が静まり返る。


お呼びでない、とはまさにこのことだろう。

「まあ、その……あれだ、間違いは誰にでもあるってことで」

「それはこっちのセリフだ、バカ妹!」

上級生たちの爆笑の渦の中、私はゆでだこのような顔で、すごすごと教室を後にした。


姉の観月が追いかけてくる。

「さっちゃん、ケガしなかった?」

「みづねえ、ごめん。またやっちゃった」

「『何を感じても無視すること』。何度も約束したでしょ」

「うん……」


何を感じても、じゃない。その反対だ。何も感じなかったのだ。


私の舌が、姉が食べるはずのプリンの味を感じなかった。

物心ついた時から、そういうことが遠く離れていてもわかってしまうのだ。


だからてっきりじゅんぺーにプリンを奪われたと早合点してしまった。

じゅんぺーの野郎はしょっちゅう姉にちょっかいを出してくる。

だから私が守ってやるのだ。今回は失敗してしまったが。


え、うらやましい? 人の2倍ものを味わえるって?

それはそうなんだけど苦しみも2倍なのだ。


私はキュウリとナスとトマトが苦手だ。

優しいみづねえは、私のために食べないでくれている。

でもけんかをした後は……。

みづねえはキュウリとナスとトマトとマヨネーズの入ったボウルを抱え、私が地獄の苦しみにのたうちまわるのをニコニコと眺めながら、ここぞとばかりに食べまくるのだ。

ああ、思い出しただけで口の中がニガニガしてきた。


私もお返しに、姉の苦手な激辛ラーメンをすすって復讐したいのだが、なぜか姉は私が何を食べようがてんで平気らしい。


不公平ではないか。

姉が歯医者で虫歯を抜かれたとき、私も痛さに涙する。

姉がタンスの角に小指をぶつけたとき、私もうずくまりながら涙する。

姉が体育の時間にドッジボールを顔面で受け止めた時、私も国語の時間にイテッと言う。

そんなんだから姉のやることなすことが気になってしょうがないのだ。


あとから思うと、感知する能力は小学生のころがピークだった。

成長するとともに、その能力は少しずつ薄れていった。


最高に感度が良かったころには、姉の体から切り離された小さな破片まで感じ取れた。

たとえば髪の毛とか、切った爪とか。


小学6年の頃、行きつけの床屋の前を通りかかると、中から姉の気配がした。中をのぞいたが姉の姿はない。

「あら、智(さとり)ちゃん。観月ちゃんなら、たった今バッサリ髪を切って帰ったところよ」

理容師さんは長い黒髪の束を見せてくれた。


家のトイレも、さっきまで入っていた姉がどっちのほうをしていたかまで分かってしまう。


うちの親たちは、「こんなことなら早めに『探偵!ナイトスクープ』に応募しとけば良かったなあ」などと言っていたが、いや、ネタとして弱いだろ。


感知能力が弱まってきたなと感じたのは、私が中3の時だ。

部屋でうだうだしていると、口のあたりがもぞもぞしてきた。


みづねえ、ナマコでも食べてんのか? と思ったが、よほど不味かったのか、口の中に入れる前にやめてしまったようだ。


姉が帰って来たので「ナマコなんか食べないでよ」と言ったら、みづねえは「はてな?」と顔をした。そして急に顔を赤らめた。

「さっちゃん、違うの。あのね、あれは、その、ファーストキス……」


おとなしい顔をして、お盛んなことで。

思い返してみれば、あのナマコ、姉ががっちり歯を食いしばっているのに、いっしょうけんめいそれをこじ開けようとしていた。


何週間かのちに、ナマコは思いを遂げたことを付け加えておく。


(つづく)

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