第4話
議事録が出来上がると、それを二人して職員室にいる長富杏香に持って行く為に教室を出た。
今回クラス委員として最初にした仕事は副委員長の項目に自分の名前を書いただけである。
「自分要らなくないですかね…」
言葉を変え、口調を変え、職員室への道中何度かの辞退宣言もその都度否定され続け、今の言葉など佐藤愛子は完全無視である。
誰も聞いてはいないだろうに、律儀にも職員室の扉へのノックをしてから入室した。
生徒手帳にも書いてあるこの学校の一応ルールらしい。
俺は守ったことはない。
教室と同じように職員室にも教師はほとんどいなかった。
一年生の時とは違う席に座っていた長富杏香だったが、人が少ないこともあって彼女を見つけるのは簡単だった。
俺達の気配に気づいたのか俺達くらいしか来客の予定がなかったからなのか、机の上の書類にペンを走らせていて振り向きもしない。
「出来上がったのか?予定より少し遅かったんじゃないか?」
左の手首を捻るように時刻を確認した長富杏香のその何でもない仕草が、妙に女性っぽくて少しだけぽーっとしていのだが、その瞬間に佐藤愛子が自分の方を見ていた。
「な、なに…」
「べつに…」
佐藤愛子との短いやりとり。
なんだか見透かされたような気がしたのは気のせいだと思いたい…
「冴木君に手伝って頂けたのは氏名の記入のみでしたので、予定より幾分か時間がかかってしまいました。もう少し手伝ってくれると思っていたのですけどね」
長富先生はその言葉を聞いて少しだけ佐藤愛子の顔を見つめていたが、そのあと吹き出すと、心底楽しそうに彼女の方を見ている。
「愛子が人に対してそんな非難めいたことをはっきりと口にするなんて珍しいな」
教室とは違い佐藤愛子のことを名前呼びの長冨杏果。笑っていたかと思ったら思案し始め
「ん?あーそうかそっか。そういことか?」
そう言って再び笑うと、言われた方は何かに気付いたのか顔を赤くして下を向いてしまっている。
え?何?何があったの?この二人に何かあるの?
俺に対しての時のように軽快に嫌味でも何でも言い返せよ!と内心思っていた。
「どうだ。冴木龍臣。彼女となら委員会活動もやっていけそうか?」
「何言ってんですか。そもそも立候補すらしていないのに何で自分が副委員長になっているかを知りたいんですけどね。いきなり指名された後、先生だってびっくりした顔をしてたじゃないですか。それを見る限り俺が手を上げていない事なんて分かってましたよね」
畳みかけるように言う俺に、ちょっと挙動不審になりながら、「ほら、あれだよ、あれ。あれ?あれって何だっけ」と意味不明な事をぶつぶつと言っている。この人は嘘が下手だ。
「二年生になって一番最初の授業を、例えホームルームであろうとも寝ている姿勢が許せなかったので無理矢理に指名しました」
若干まだ顔が赤いままだが、佐藤愛子は長富杏香に真っ直ぐな姿勢のままそう伝えると
「そうだ、そうだよ!冴木龍臣!お前が寝てるのが悪いんだ!」
いい大人が便乗し始めやがった。もう少しで長富杏香を籠絡出来そうだっのにと佐藤愛子を恨みがましい目で見る。
「やりたがっている奴がわんさか居るのに、やりたく無いと懇願している人間にやらせるのはパワハラだと思うんですけど…」
「でもさっきから冴木君独特の呼吸方なのか、これ見よがしなため息なのか私には分からないですけど、嫌々ながらも自分でこれに名前書いたんだからもう諦めてください」
そう言って一枚の書類をヒラヒラさせている。
しまった!それに名前を書いたらいけなかったのか!だから佐藤愛子は必要以上に名前を書け名前を書けってせっついてきたのか!
気づいた瞬間に佐藤愛子からそれを取り上げようと手を伸ばしたが、すかさず長富杏香へと渡してしまいどうやら受領されたようだ。
めでたしめでたし。
で、終われば物語になりそうなものの、自分にとって全然めでたくない終わり方であり、どちらかと言えば始まり方であったが、始まってしまったのなら仕方がない。
最後に大きくため息を吐いてから、やるからにはしっかりしようとこれからの事を長富杏香にいくつか質問してみた。
突然のやる気にびっくりした様子はあったが、どれも丁寧に教えてくれ、それに納得できた頃には夕方と呼んでいい時間になっていた。
俺の豹変に驚くような素振りの彼女を差し置き、そう言うのは私がやるからと言う言葉を無視するかのようにいくつかの質問していたのが彼女から見れば自分が怒っているように見えても仕方がない。
教室へと二人で戻る時も、自分からは一言も発言することもないまま進む。
来る時とは逆だ。
彼女の方は、面白い事を発見した時のように何度かパッと顔を上げ、話しかけたそうにチラリとこちらを見るのだが、俺の横顔を見てバツが悪いのかすぐに下を向いてしまう。
そんな事を何度か繰り返して教室へと辿り着く。
引き戸の扉を開け、真っ直ぐに自分の机に行くと、まだ特に何も入っていないペチャンコな学校の指定鞄を持ち上げ、さっきは入り口だった場所へと無言のまま向かう。
なんだか悲しそうに俯き加減で椅子に座った佐藤愛子をチラリと見て、一旦歩き出した足を止めると多分今日最後の嘆息を吐いたあと
「怒ってないぞ別に」
体の向きを変え、止めた足を動かした。
向きを変える間際、勢いよく上げた彼女の顔が少しだけ見えたのだが、驚いたような表情でもあり、嬉しそうな表情でもあり、なぜだか泣きそうな表情にも見えた。
特にそれを確認しようとも思わないまま、足を止めることもなく扉をあけると、「じゃあな」と伝えて体を外に出してからその扉をゆっくりと閉めた。
上履きから履き替える。
この季節これくらいの時間になると流石にまだ寒い。
学校指定のコートに顔を埋めるように歩き始めると、すぐに軽快な足音が後ろから近づいてくるのが分かったのだが、それをさして気にすることもなくそのまま歩き続けていく。
軽快な足音は隣にならび、追い越すこともなく同じ歩調の音になった。
「駅まで…だよね?」
走ってきたからなのかほんの少しだけ乱れて憂いを含んだ彼女からの質問に、頷く事で合っていることを告げた。
「さっきまでの喜怒哀楽の怒の部分は少しは本気だった?」
その言葉で初めて横を歩く彼女の顔を見る。
顔を見るだけで、それに返答をすることも無いまま、再び真っ直ぐに視線を戻した。
「本当に私と一緒にやることが嫌になったら教えて…」
自分への態度に流石に呆れたのか、それとも諦めたのかそう呟く。その話し方とその声は彼女がグループの輪の中心で柔和な笑顔のまま誰かに返答している時のものだった。
もう一度チラリと彼女の顔を見る。
作り物の笑顔。作り物の怒り。作り物の友情。だからその都度、作り物の表情で人に合わせる。
いつも仲良さそうに話している取り巻きに似たような連中に心を開いてないのは佐藤愛子も同じなんだ。
「俺と一緒じゃん」
ぽそりとつぶやいた自分に
「今頃気付いたの?」
さきほどの話しかた、声、表情、とは全てが違い、自分がよく知っている、自分と接している時の佐藤愛子だった。
「一年生の時同じクラスだったって微妙な関係だけで俺の事をよく知らないくせに対応変えない方がいいと思うぞ」
そう言う俺を回り込むように足を止めると
「たっちゃんにどんな言葉を投げかけられたとしても、私は必ず覚えているはずだから。今までたっちゃんと話してて一度も靄がかかった事がないもの」
自分と話す時の佐藤愛子の顔で薄く微笑むと「また明日」と言って駆け出していった。
今思えばボッチの自分を助けてくれようとしていたのかもしれない。
心を開いていない自分も、佐藤愛子と同じように霧がかかっていると思っているのかもしれない。
それを振り払ってくれようとしていたのかもしれない。
傲慢な考えなのかもしれないが、間違えてはいないから驚いた。
錆び付いて開けようとすら思えなかった扉なのに、彼女は何度も開放して霧を追い出そうとしてくれていたのかもしれない。
人と接するのが苦手。だからあえてのボッチでいい。それをバレたくないと思っていたのを見透かされた事で居た堪れない気持ちになった。
心の中に手を入れられかき混ぜられたようで、なんだか妙な気分に陥っていたがそこまで悪くはない。
明日からどんな表情で彼女の横に座ればいいのだろうか…
声にならない声で、自分でもよく分からない言葉を独り言ちたあと、彼女が駆け出して行った道をゆっくりと後を追うように歩き始めた。
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