第3話
「嬉しいことに挙手してくれた方が沢山いらっしゃいますので、この中から指名させていただいても宜しいですか?」
その言葉で軽い騒めきが起こる。
あの佐藤愛子に選んでもらえる。
ほとんどの人間が色めきたつのも分かる気がした。
勿論俺は、早く終われよ、帰りたいんだよと机に突っ伏したまま我関せずの姿勢をより深く取ることに。
「では、1年生の時も同じクラスだったのである程度理解しあえていると思う冴木君にやってもらいたいと思います」
あれ?手を挙げている人が沢山いたよな?
俺自身は時間よ早く過ぎてくれと願いながら、半ば瞑想に近い姿勢をとっていたよな?
俺の頭の下にある両腕は間違いなく挙手などしない。
なのに何故自分の名前が呼ばれた?
え?何で俺が選ばれた?
この思考は多分一秒にも満たなかったと思う。
名前を呼ばれ一秒にも満たない思考の後に驚きのあまり立ち上がってしまっていた。
立ち上がった反動で椅子が大きく後ろに下がり、音を立ててしまった事でより目立つ格好になる。
挙手などしていないと誰しもがわかるアリバイがあったのにも関わらず、それを自ら捨てていたことに気づいた時には時すでに遅し…
そんな俺を見て黒板の前で疑似進行を行なっていた彼女は
「よろしくお願いします。冴木君」
立ち上がった事に一瞬驚いた表情も見えたが、そこを何とか持ち堪えたようでニッコリと微笑んでみせている。
彼女が挨拶した時とは違い、立ち上がってしまった俺には彼女に選んでもらえなかった者からの、どちらかと言えば非難めいた視線が突き刺さる
「え、いや…」
手を上げてもいないし、佐藤さんの見間違えだと思うと当たり前のように辞退する言葉を発しようと口を開きかけた時
「よーし決まったな。冴木龍臣。一年間しっかりと佐藤のことを支えてやれよ」
立ち上がった瞬間に見えた長富杏香の顔は佐藤愛子以上に驚いたような表情だったくせに、今は満面のにやけづらでクラス中にそう発した。
「冴木龍臣にも拍手」
長冨杏果のその言葉でパラパラと拍手がおこる。佐藤愛子の半分以下だったが…
拍手と共にざわめきも落ち着くと、異議申し立ては受け付けないとばかりに俺からの視線を外すと「次の項目もさっさと決めちゃえ」と佐藤愛子に促している。
冴木龍臣の事など余裕で言い負かせられると挑戦的な目をしながら、自分からの異議に確実に対抗策を考えていたであろう佐藤愛子も、長富杏香からの援護射撃に若干びっくりしたかのような表情を一瞬だけ見せた。
その一瞬の後、少し下を見て微笑んだかのように見えたのだが、顔を上げた時にはいつでも誰にでも見せている柔和な笑顔で
「では冴木君もこちらまでお願いします」
もう一度だけ前にいる2人の美人を交互に見たのだが、反論の余地は与えてはくれないんだなと理解した時は、深呼吸に近いほどの大きな溜め息しか出なかった。
それが俺にできるせめてもの最後の抵抗だったように思う。
「冴木です。よろしくお願いします」
首だけを軽く縦に動かし、ぶっきらぼうに自己紹介をすると、先ほどより大きく拍手をしてくれる者もいた。
そんな中、半田和成だけは
「頑張れよ冴木」
どうやら応援してくれているようだ…
佐藤愛子とのロマンチックな青春を期待していたかもしれない連中からの敵意あるような視線をスルーして、隣に立つ佐藤愛子の方をチラリと見た。
詐欺のようなこの一連の出来事の主犯の人間でもあるにも関わらず、俺の視線を気にすることもなく進行を当たり前のように始めた時に、俺は再び大きく、そしてわざとらしくため息を吐いたのだった。
ホームルームも無事に終わり始業式だけの予定の為なのか部活動も今日はないらしい。
すでに教室にはほとんどの人間が残っておらず、あれほど煩かった一時間前の茶番を含めた出来事も、今は静かなものである。
佐藤愛子は教室を出て行くクラスメートと何度か別れの挨拶をしていて、今は佐藤愛子と二人だけになっていた。
席が隣同士なのを利用してそのまま自分たちの机で議事録をまとめているのだが、隣同士という利点を活かすような相談は今のところお互いに一切ない。
この一連の騒動のなか、彼女の隣に座り、大きな非難の声こそ上げずにいたが、彼女が書いている議事録を手伝うこともせず、手伝えとも言われず、不貞腐れた態度で何度目になるのかすら忘れた嘆息を聞こえるように大きく吐いた。
カリカリと聞こえていた、ものを書くときの音がピタリと止まると、机にペンを静かに置いてから、そっと周囲を見回している。
教室に誰もいないことを確認したのか、口元に手をやり小鳥が囀るように
「びっくりした?」
彼女の普段からはぜったい想像出来ないようないたずらっ子のような顔と声で笑っている。
「おいクラスの人気者。マジでふざけんなよ。いつ俺が手を上げてた?去年のあの一連の流れで懲りているって言うのに、やっと燻りすらなくなったとこに過激な燃料投下しないでくれよ…」
誰もいない教室なのだが、いつ誰が入ってくるか分からない。
佐藤愛子と同じように小さな声で彼女にだけ聞こえるように少しの怒気を含ませて言ってはみたものの、わざとらしく舌を出して笑った彼女は
「でも本当は、何年か後に同じ苗字になる私と一緒に委員になれて喜ぶたっちゃんでした」
ニヤニヤしたままの表情で再びペンを走らせている。
驚き、またも立ち上がってしまった俺は、声にならない声をしどろもどろになりながらも、何とか出そうと頑張っていたのだが
「私はあなたの事をもっと知りたかったの。一緒の時間を少しでも作りたかったの。無理矢理指名したことは悪いと思ってるけど、お願い。私を支えて」
体ごとこちらに向くと今度は一転、凄く真剣な表情をしている。
それでいて有無は言わせないというはっきりとした言葉に、彼女の真意を読み取ろうと彼女全体を見つめる。
軽い嘆息を吐く。
どう見ても演技。
「そういうヒロインが吐くセリフはお前の事が大好きな連中に言ってやってくれ。アイドルでも拝むかのように尻尾振ってなんでもやってくれる人間はこのクラスにも沢山いるだろ」
悪態をつく俺をじっと見つめたあと
「たっちゃんには通じませんか」
こちらに向けてオーバーリアクション気味にわざとらしく手を広げて軽い微笑。
「それよりさっきも言ったけど、いつからお前にたっちゃんなんて呼ばれるようになったのかが知りたいんだけど。俺には双子の弟もいないければ幼馴染の女の子の為に甲子園を目指してもいないぞ」
席に着きながら小さな声でそう非難すると
同じ目線になった俺の顔をチラリと見て
「ちょっと何言ってるかよく分からないんだけど」
「分かってもらおうとも思ってないよみなみちゃん」
聞こえなくてもいいと更に小さく呟くように言った。
「私の名前は愛子であって、みなみなんて名前ではありませんし、浅倉なんて名字でもありませんから」
知ってんじゃねえかこいつ。とちょっと驚き彼女を見たのだが、もうそれ以上の茶番に付き合う気がないのか議事録を書き終わるまでこちらを見る事は一切なかった。
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