連続殺人はメイ探偵の恋物語と共に
高井希
第1話オールド・ドバイの渡し舟
ーなぜだ?。なぜ俺がこんな酷い目にあわないとならない?。こんな苦しみがいつまで続くんだ?。いっそ気を失えたらいいのにー
筋肉の激しい痛みと、強い不安・恐怖と呼吸麻痺に苦しんでいるのにもかかわらず、その男の顔は顔筋の痙攣により、まるで笑ったように見えた。
数日後、ついに体が弓形に反り返り、男は痛みから解放された。永遠に。
俺とサツキは古いドバイに横たわるドバイ・クリークと呼ばれる入り江を、昔ながらの木製の船、アブラの上からのんびり眺めていた。
「やはり1月に来たのは正解だった。過ごしやすいし、天候も良い。」
「ハクション!。」
俺の大きなくしゃみと、鼻をグズグズいわしている様子に、サツキが苦笑した。
「桜の風邪がうつったな。」
「別に桜からうつったって決まったわけじゃないだろ。
俺たちそんなことしてないし。」
「そんなことがどんなことか、聞かないでおいてあげるけど。
婚約済みの二人がそんなことしても問題ないさ。
第一、風邪をうつされるなら、知らない人の体に入った風邪のウイルスよりも、桜の体に入ったウイルスの方がいいだろう?。」
「確かに。」
俺の正直な返事にサツキは大笑いした。
ーでも、桜が見送りの時に俺のほっぺにチューしてくれたなんて、絶対に教えてやるもんか。ー
船着場に着き、まず数人の男達が我先に降りた。
ここの住人なのだろう、現在でもアブラは生活に欠かせないインフラなのだ。
狭い港の通路はアブラを乗り降りする人々で混み合っている。
「痛て!。」
進行方向で日本語が聞こえた。
数メートル前で、一人の男が立ち止まり腕を擦っている。
「大丈夫ですか?。どうしたんです?。」
「ああ、釣り具の売り子らしいブルカを着た大柄な女性とすれ違った時に、釣り針に引っ掛けられてしまったらしくて。」
「それは災難でしたね。」
「釣り針が刺さっただけのようだ。痛かった割に傷も残っていない。そうだ、あなた方も日本製品の見本市に行かれるんですか?。」
「ええ、同業者のようですね。我々、こういう者です。」
名刺の交換を終え、俺達は見本市へと一緒に歩きだした。
「SS コネクトの五月さんですか。お若い社長さんなんですね。」
「設立したばかりの小さな会社です。雫商事さんと言えば、大手ですよね。花沢さんは、課長さんですか。さぞかしお忙しいのでしょうね。」
「ええ、今日が、ドバイの見本市で、明日はアブダビ、あさってはシャルジャ、その後にエジプトに行って、それからやっと日本に戻れます。」
「それは大変ですね。」
日本製品の見本市の、自分たちのブースで、取り扱い商品の説明をしているうちに、アッというまに終了時間になった。
「お疲れ様。盛況でしたね。私、こういうものです。よろしかったら、お名刺をいただきたいのですが。」
隣の大きなブースで目立っていた着物の美女が、俺たちに名刺を差し出した。
「光川商事さんの、笹塚寧々さまですね。SS コネクトの五月です。以後お見知りおきを。」
「五月さん、お若いんですね。」
「ええ、二十二歳です。今年大学を卒業したばかりで。」
「新卒の社長さんですか?。私はこの仕事、二年目です。解らないことがあったら、いつでもどうぞ。」
その時、ガタンと大きな音がした。
「大変だ。誰か倒れた。」
「急病人だ。救急車を呼ばないと。」
俺達は音がした場所に走って行った。
「大丈夫ですか?。あ、花沢さん。どうされました。凄い汗だし、痙攣もしている。救急車はまだですか?。」
サツキは、花沢が舌を噛まないように自分のハンカチを彼の口に入れた。
「全身の痙攣を起こす疾患には、てんかんの他に、脳血管障害、重い感染症、脳腫瘍、後は、薬物中毒があるけど。花沢さんの場合、働き過ぎだから脳梗塞かな?。」
サツキの側に立っていた笹塚が花沢の様子をのぞき込んだ。
やっと救急車が到着した頃には花沢はぐったりとして動かなくなっていた。
サツキは、救急救命士に患者がひどく痙攣をしていた事を伝えた。
救急車が去ると、俺たちは自分たちのブースに戻り片づけの続きをはじめた。
隣のブースで、笹塚が誰かに怒鳴られている。
「何度言ったら解るんだ。他社の人間と、揉めるんじゃない。」
「私は何もしてません。向こうが、勝手に突っかかってくるんです。」
「女性が自分の意見をはっきりと言いすぎると、嫌われるんだ。」
笹塚はその場を離れて、俺たちのブースにやって来た。
「全く、課長ったら、いつも怒ってばかりなの。血圧が上がると、体に悪いのに。ねえ、一緒に食事をしない?。あなた達の商品に興味もあるし。」
普段着に着替えた笹塚の誘いに応じて、近くのアラブ料理の店に入った。
笹塚は頭も切れて、仕事もでき、美人だが、俺にはちょっと苦手なタイプだった。
「 何でもズバズバ言い過ぎなんじゃないか?。彼女。」
「そうか?。頭が良い証拠なんじゃないか?。」
笹塚が席を外した隙に言った俺の言葉も、サツキには解ってもらえなかった。
その後も、サツキと笹塚はこれからの世の中の予想だの、わが社の商品の特色だのについて熱く語り合っていた。
「え?。パーム・ジュメイラにあるアトランティス・ザ・パームに泊まってるんだ。
あそこ5つ星ホテルだよね?。
流石にあそこは、経費で落ちないだろ?。」
「経費で落ちないけど、ちょっとツテがあって、安く泊めてもらったの。」
「豪勢だな。俺達なんて安ホテルに素泊まりだ。」
「せっかくドバイに来たんだから、贅沢もしたいでしょ。」
「アトランティス・ザ・パームの宿泊者は、ロストチェンバー水族館に無料で入れるんだよね。」
「ええ、失われたアトランティス帝国をイメージしたテーマパーク型の水族館でなかなか面白かったわ。」
「へえー。見かけによらず。ロマンチックで、子供っぽい所があるんだな。俺、そういうの好きかも。」
ー何だかサツキのヤツ、笹塚の事が気に入ってるみたいだ。今まで女性に興味を示した事なんて無かったくせに。ー
笹塚と別れ、俺達は安ホテルに戻った。
「サツキ。お前、笹塚の事が気に入ったのか?。」
「ああ。彼女、頭がキレる。俺は話していて楽しかったよ。」
俺は複雑な気分だった。
俺が桜に一目惚れした時、サツキは俺が桜と話せる機会をつくってくれたし、俺達が付き合うようになった事も喜んでくれた。
でも、俺は何だか笹塚が信用出来ない気がしてしまう。
「彼女、なんか隠してないか?。」
「ああ、沢山隠し事があるんだろうね。
だから、面白い。」
サツキは上機嫌だった。
次の日も俺達は見本市にでかけ、自分たちのブースで、取り扱い商品の説明に明け暮れた。
その日の見本市は、花沢の噂で持ちきりだった。
「昨日倒れた雫商事の花沢氏、病院で死亡したらしい。」
「雫商事が遺体を日本の遺族に渡す為、空輸するらしい。」
「それって100万円くらいかかるんだろう?。」
見本市に出品している他の日本人から噂話が聞こえてきた。
「雫商事の花沢と光川商事の笹塚は、何か揉めてたらしいから、笹塚のヤツはほっとしているんじゃないのか?。」
「本当か?。二人は一体、何が理由で揉めてたんだ?。」
「昨日も、見本市で口論してたらしいぞ。光川商事の笹塚が、雫商事の商品を横取りしたとか聞いたけど。」
ーやっぱり、笹塚は評判がよくないな。サツキ、よりによって、どうしてあんな女を気に入ったんだ?。サツキはモテるんだから、もっと性格の良さそうな娘を選べばいいのに。ー
笹塚の悪い噂話が聞こえているだろうに、サツキは熱心に仕事をこなしている。
ーもしかしたら、サツキが笹塚を気に入ったと思ったのは、俺の勘違いだったのかな?。ー
その時、携帯が鳴った、やった、桜からだ。
モヤモヤしていた気分が吹っ飛んだ。
ー俺って本当に単純かも。ー
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