第3話

「はじめまして。旺聖大学文学部3年の國本有果と申します。大学では、西洋文学を専攻しています。課外活動では、留学生の大学生活の支援を、1年次から現在に至るまで行っています。どうぞよろしくお願いいたします」


「はい、國本さん。よろしくお願いします」


 お辞儀したときに目にかかってしまった前髪を払いのけると、画面には満足した様子の面接官の顔が映し出されていた。第一印象は良しといったところか。その隣の画面には、絶えず量産されている就活女子大生が貼り付けられた笑顔を見せている。毎日見ているはずなのに、私の身体はそんな自分の姿を認めると吐き気を催すようになってしまった。


 前みたいにならないように、深呼吸をして心を落ち着かせる。面接官から見えない机の下では、純次が作ってくれたマスコットを握りしめる。


「ではまず最初に、弊社を志望した理由を教えてください」


「はい、私が御社を志望した理由は―」


 今のところ順調だ。面接官もニコニコしながら何度もうなずいているし、昨日何度も練習した甲斐あって、言葉はすらすら出てくる。


「よくわかりました。ありがとうございます。國本さんは将来どんな大人になりたいとお考えですか?もしご縁があって弊社に入っていただける場合、この環境が國本さんのビジョンを実現するためにどのように寄与できそうか、何かお考えがあればぜひ聞かせていただきたいです」


 この手の質問に対しても準備は万全だ。キャリアセンターの人からも褒められた言い回し、人気の高いアナウンサーが言っていた言葉。今まで見聞きしてきたもので使えそうなものをすべてかき集めて、面接官にぶつける。


「ずいぶん壮大なビジョンを抱かれているんですね。でも、國本さんのしっかりとしたお話のされ方や表情からは、その想いの強さがよく伝わってきました。とても素敵なお考えだと思います。今後の面接においても、ぜひそのお話をさらに聞かせていただきたいと思っています」


「今後」その言葉を聞いた瞬間、私はこの面接の通過を確信した。そして同時に、もうこの会社と関わることがないことも悟った。その後もいくつか質問をされたが、私は何の迷いもなく答えていく。あっという間に30分が経過した。


「それでは結果については改めてメールで連絡させていただきます。引き続きどうぞよろしくお願いいたします。失礼します」


「よろしくお願いいたします。失礼いたします」


 最後の瞬間まで、笑顔には一瞬の抜かりも許さない。たとえ今後の選考を辞退するとしても、あの程度の会社にこそ隙は見せたくない。


『ホストがこのミーティングを終了しました』このメッセージを見るたびに、私は何とも言えない虚無感に襲われる。メッセージが消えるまでのカウントダウンが終わらないうちに、私はパソコンを強制的にシャットダウンした。30分と言えども、口角を上げ続けるのは疲れる。


 面接が終わるのを待っていたかのように、立て続けにスマホが震えた。


『食堂めっちゃ混んでるから先座っとくよ。レジ横すぐんとこ』


『おっけー!場所取りありがとう!』


『ないすぅー、サンキュー!有果今日いる?』


『ごめん私、今日も行けないや。いつもごめんね』


 確認した勢いでスマホの電源を切った。もう、疲れた。


 2年前、新入生向けのガイダンスで知り合った友人たち3人は、田舎から上京してきたばかりで何にも染まっていなかった。少し方言が混ざった言葉遣いも、なかなかあか抜けないと苦労している様子も、本人たちは嫌だったのかもしれないが私は好きだった。


 誰かが誕生日のときは残りの3人でお祝いをしたし、去年のクリスマスはホテルに泊まってプレゼント交換会をした。でもいつからか、その集まりに顔を出すのが次第におっくうになって、気がついたら1人になっていた。一緒にいると、自分がひどくつまらない人間になっていく気がした。キラキラした場所に行って写真を撮ってSNSにあげる。女子大生の行動としては珍しくないのかもしれないが、素朴な良さをもっていた3人が、徐々によくいる女子大生に変わっていくのを見るのが苦痛だった。


 3人には、授業が被らなくて会えないと言ってあるが、そんな嘘とっくに気づいているだろう。この先もう関わることもないのかもしれない、そう思いながらもグループLINEだけは抜けられずにいる。


 今日は起きてから純次の家で面接を受けただけ。それなのに、もうお腹が空いた。冷蔵庫を開けると、昨日純次が作ったシチューとおでんがまだ残っている。本当におでんシチューにしてみてもいいかもしれない。それが美味しいかどうかは別に気にならなかった。今の私は、他の人が見たら顔をしかめるようなことを、やってやりたい気分なのだ。


 おでんの入った鍋をコンロにかけると、そこに残りのシチューを全部入れた。おたまの背でおでんの大根を軽く押すと、柔らかくなっていた大根はあっさりとつぶれた。ぐちゃぐちゃとつぶすと、私をモヤモヤさせているものたちもつぶれていっていくようで楽しかった。


 表面だけの言葉で私のことわかったように振舞ってんじゃねぇ。大した用でもないくせにいちいち連絡してくるな、通知がうぜぇ。結局流されて生きることしかできてないくせに偉そうなこと思ってんじゃねぇ。そう思いながら大根を、つぶしにつぶしていく。


 気が付くと、鍋の中の大根は形を失っていた。純次の愛と私の想いが込められたこのおでんシチューは、間違いなく美味しいだろう。


「ふふんっ」


 そんなことを思っている自分を、自分で鼻で笑ってしまっていた。純次はこんな私を見たら、どう思うだろうか。


 純次の家で暮らしているくせに、私は純次のことをほとんど知らない。私が訊かないから?違う。純次はあまり自分のことを話さない。話したがらない。どこのコンビニで働いているのか、バイトが終わった後どこに行くのか、次会える夕方には出て行った時と違う服を着ているのはどうしてなのか。私は何も知らない。


 私たちの関係は何でもない、だから続くのだ。私がこの家から出てしまえば、純次がこの家に戻ってこなければ、私たちの関係はいとも簡単になくなる。必要なようで必要でない。求めているわけでも求められているわけでもない。それを関係と呼んでいいのかもわからない。


 箸を出すのも面倒で、大根をつぶしたおたまをそのまま口に運ぶ。


「いただきまーす。おっ、意外と美味しい」


 純次がいないときの私は、世間一般で言う普通だ。だから当然いただきますと声に出すし、美味しいときは美味しいと言う。一人でいるときに出る自分が素なのだとしたら、本当の私はこれなのかもしれない。じゃあ、純次といるときの私は一体誰なんだろう。


 面接官に伝えた私の将来のビジョン。それは、今生きている全ての人たちが自分に価値を見出せる社会を作ること、だ。でも実際にそう思っているわけではない。ただ、私は画面の向こう側にいる面接官に問いたいだけ。あなたご自身は、この社会において自分の価値を見いだせていますか?と。


 そんなことも知らないで、さっきの面接官は私のビジョンを薄っぺらい言葉で褒めた。ティッシュペーパーで撫でつけるように当たり障りない言葉を並べただけの面接には、何の意味もない。受け続けるだけ時間の無駄だ。心の底からそう思っているはずなのに、今日も私は就活生の仮面を被り演じ切ってしまった。そんな私は私が世界で一番嫌いなはずなのに。


 初めて受けた面接の終了直後、私は急いでトイレに駆け込んでもどしてしまった。焼けるように喉が痛くて、悲しくもないのに涙が出た。原因は明白だった。画面に映るスーツを着た自分が許せなかったのだ。


 ずっと、全部がどうでもいいと思って、世の中の全てをバカにして見下して生きてきた人生だった。自分が生きている意味が自分の価値がわからなくて、早くいなくなってしまえと思って生きてきたはずだった。そんな私が、面接官の好むような言葉を並べて、なんとか気に入られて、会社に入ろうとしている。その必死さに激しい嫌悪感を抱いた。死んでやろうと本気で思った。


 こういうときに取るべき行動を、私は知っていた。遠くへ行く。誰も知らない場所に、気の向くままに行ってしまうのだ。先のことなんて考えないで、どこか遠くへ行く。そうして死のうとすると、自分の前にある人が現れる。そんな話を私は今までのつまらない人生で、映画や小説を通して何度も疑似体験してきた。実際にそんなことがあるわけないと思っていたのに、私はその日純次と出会ってしまった。


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