青山海里

第1話

 お誕生日おめでとうという言葉の意味を考えながら、改札を抜ける。改札機に表示された残金は564円。ついこの間2000円チャージしたばかりだと思ったのに、もって後1日と片道と言ったところか。こんなものに払うために、私はアルバイトをしているわけではないというのに。


 駅を出ると、雪がちらついていた。幸い今日は傘を持っているが、差すかどうかは微妙な程度だ。こういうときに傘を差そうか迷うのは、単純に傘が必要かどうかの判断に迷っているわけではなく、傘を差した場合は傘を差さなかった集団の中で、差さなかった場合は差した集団の中で、自分がどう見えるかを気にしてしまうからだそうだ。この間純次が言っていた。そんなのあほらしいと思いつつ、誰も傘を差していないからまだ差さないことにする。


 電車で私の向かいに座っていた女子高校生3人組は、互いに写真を撮っては確認し、確認しては撮り合い、を繰り返していた。真ん中に座っていた子がどうやら誕生日だったらしい。本日の主役と書かれたタスキを肩からかけた彼女は、停車駅で友人立ちからおめでとうの嵐を受けて一人私と同じ駅で降りると、すぐさまタスキを背負っていたリュックにしまった。駅のロータリーにやってきた黒いバンが、彼女を乗せて走り出す。薄暗いロータリーに、車のドアが閉まる鈍い音が響いた。本日の主役は今からどこに行くのだろう。


 彼女の嬉しそうな顔と、車に乗る直前の疲れた顔を思い出しながら考える。誕生日を迎えることが主役になる条件であるのならば、誕生日でない日はその人はわき役になるのだろうか。同じ誕生日の人がクラスに2人いた場合、主役は2人になるということなのだろうか。日付が変わる瞬間に主役の称号を授かるならば、その24時間後主役の称号は剥奪されてしまうのだろうか。


「純次はどう思う?」


 傘を2つ持って目の前に現れた純次は、私の唐突な質問にも動じることはない。


「まずはなんのことを思っているのか聞こうかな」


「誕生日について。生まれてくる意味について。祝福される理由について。それから…、本日の、主役について」


 純次が細い目をさらに細めて笑った。笑うと目じりにできるしわ。そんなことは絶対にできないのだけれど、もし死に方を選べるなら私はこのしわに挟まれて窒息死したい。


「有果の頭の中を、いつか見てみたい。」


 傘を持った手と反対側の手で、純次が私の手を握った。冷たくて、でも滑らかな私の小さな手を、温かくて乾燥した大きな手が包み込む。こうしている間だけが、私の身体を温める。


 純次が暮らすアパートは、大学から2駅離れた場所にある。一人暮らしだというのに大学のすぐ近くにしなかったのは、誰のことも家に寄せ付けたくなかったからだそうだ。それなのに、私が純次の家で暮らし始めてからもうすぐ4か月が経とうとしている。


「今日は寒いからシチューにしようか。それともおでんがいい?」


「おでんシチュー、それか、シチューおでん」


「どっちも聞いたことがないなぁ。でも、いいとこどりができそうだ。尽力するよ」


 純次の話し方は、同年代の男の子たちと比べるとどこか変わっている。それから、言うことも随分と変わっている。でも、人の意見を決して否定しないところは素敵だと思う。


「さっきの話だけどさ、」


 アパートの真ん前にある信号が赤に変わった。

「誕生日の話。俺は意味なんてないと思う。生まれてくる意味も、祝福される理由も、本日の主役なんてものも」


 繋がれた右手に、力が込められているのがわかる。


「私もそう思うよ」


 純次が気づくか気づかないか程度の力で、私も彼の手を握り返した。私たちは結局同じなのだと思う。


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