中編
チャイムの音がした方向をココはじっと見つめていた。鳴らした何者かの存在を、目視しようとしているようだった。
私の目にはただの暗闇があるだけだった。でも、それは聞き覚えのある音で、もっといえば私が住んでいた部屋のチャイム音と非常に似ていた。
その確認も数秒で済んだようで、
「お散歩するのは二十分くらい。歩きながらボクとお話しよっ!」
つないだ手を小さく揺らして、背の低いココは無邪気な笑みで私を見上げてきた。
私は一二もなく頷いた。この見渡す限り真っ暗な道を歩くのは勇気が必要で、それを担っているのはココの存在だと思ったからだ。
交互に地面を踏んでいる感覚だけが実感としてあった。
ココは柔らかい笑顔から一転して、真剣な表情を見せた。
「ありがと。それじゃあ……キミはどうして呪われているの?」
やっぱり呪いだったのか、という理解が一番先にきた。怪奇現象の最中とも捉えられる、この夜の始まりの予感は的中していたようだ。
人に恨まれることはしていないつもりだった。どちらかというと誰にでもいい顔をするという側面が自分にはあった。八方美人なのは否定できないけれど、でも、だからといって、かけられた言葉の全てにオーケーを出すほど私は世間知らずではなかった。よくない誘いは断るのが当然で――先月に知り合いから届いた勧誘メールも、丁重にお断りしたはずだった。
私が神頼みするのは初詣のときくらいで、信仰も崇拝もたいして興味がなかった。観光に訪れた土地で寺社めぐりをするのは好きだけれど、それも景色や歴史に触れるのが楽しいという気持ちだけだった。
突然だった宗教勧誘は、そういった旨を書いて返信した。
これで、終わったことだと思っていた。
あくる日に届いた大量のメールの、等しく妄信的な内容を見るまでは。
崇拝対象の説明から始まって、世界の成り立ち、人間が侵している罪、絶望と幸福の循環、祈りの必要性と意義、そして私を今一度説得しようとする言葉が連なっていた。
私はひどくぞっとして、手の中のスマホを呆然として眺めていることしかできなかった。これに返事をすること自体が怖かった。かといって放っておくことが最適解なのかもわからず、一旦棚上げして考える時間をつくっているところで――その翌日だった。
怪文書のようなおぞましいメールが連投され始めたのだ。
一つのアドレスをブロックしても、また違うアドレスから一語一句同じ内容のメールが届いた。五回のブロック処理を終えたところで、これは一人からではなく集団で送信してきていることがわかってきた。
勧誘を断った私に、信者たちがこぞって制裁を加えているのは明白だった。
幸いにもその知り合いは他県に在住で、私の生活をこれ以上の方法で脅かしてくることはないと、私は思っていた。
浅はかだった。
さかのぼること一週間前、アパートの郵便受けに一枚の便せんが入っていた。ワードか何かを使って書かれている内容は、とめどなく送られてくる脅迫メールと同様の文面だった。
間違いなくこれは、お前を見つけた、という宣言だった。
その瞬間、悟った。私は逃げ場を失ったのだ。
毎日が気が気でなかった。朝出かけるとき、お店でご飯を食べているとき、夜道を帰るとき、常に誰かに監視されているようなまとわりつく気味の悪さが続いた。実際に何かをされるということはなかった。ただただ恐怖心が高まっていく、じわじわと追い詰められていくような気分だった。食欲もなくなって、睡眠も満足にとれなくなって、心身に過剰なまでのストレスがのしかかってきていた。
そしてこの夜。
雷の落ちた音ともにこの暗闇の世界へとおとされたのだった。
私の暗い話を真面目な顔で頷きながら聞いていたココだったけれど、話し終わると私に抱き着いてきた。ココは小さな女の子なので、私の胸元に顔を当てるような体勢だ。
「よく耐えたね。よくがんばったね。毎日ひどい目にあって神経をすり減らして、つらかったよね、怖かったよね」
どうやらココは慰めてくれているみたいだった。ぎゅっと抱いて癒してあげているつもりなのだろう。
その姿が何だか可愛らしくて、私はちょうどいい高さにあるココの頭を優しく撫でた。温かくてふわりとした髪質が、触っていて心地よかった。
「大変な目に遭ったキミは、救われなくちゃいけないってよくわかった。ボクが導いてあげるから、真っ暗で怖いけどついてきてね」
私の胸にこすりつけていた顔を上げたココは、柔らかく微笑んだ。名残惜しそうに私から一歩離れると、手をつないだまま再び歩き出した。
私は並んで歩幅の小さなココの進みに合わせる。
それにしても、ココはどうやって私の窮地を察知して、この場所に現れたのだろう。不思議な狐の幼い少女、ということしか私は知らなかった。
「ボクのこと? ……ん、キミに教えるのはほんとは止められているんだけど……。簡単に言えば、ボクは狐の姿をした神様みたいなものなんだ」
神様。私は思わず立ち止まってしまう。
「拒絶反応、出ちゃうよね。キミは神様を信仰する人たちにひどいことばかりされていたし。ボクも善良かというとそう言い切れないけど、キミの祈りがあってここに来たのはほんとだし信じてほしいの――キミはあちこち旅行した先の神社でよく参拝してくれてたでしょ」
戸惑いながらも私は頷いた。
「実はそのこと、ボクたち神様はしっかりと見ていて、声に出していないお祈りの内容もちゃんと知っていてね……キミが困っているときには救いに行くことを指示されていたの。たとえ信仰心はなくてもいつも手を合わせてくれる、キミの素直な心は、すごく好ましいとみんなして思っていたんだよ。だから――」
と、ココは瞬時に後ろを振り向いて、なびかせた尻尾から火の玉を生み出して飛ばした。
あとをつけていたらしい何者かが、炎に包まれてはじけて消えるのを、遅れて振り返った私は見た。
ココはつないでいるほうの手を強く握った。
「キミを無事に送り届けることを、ボクは仰せつかっているんだよ!」
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