雪と冬苺
王子
雪と冬苺
灰色の兎が、祠の前に赤い実を一つ置いて手を合わせました。
「白蛇様、早く私の体が真白に、目は真赤になりますように」
白い大蛇は、仁王像が収まるほど大きな祠の中で、五尺の太杭に
もうじき雪がちらつく時節。そろそろ相手してやらねばなるまいと、白蛇は考えていました。兎は雪の上で飛んだり跳ねたりできても、蛇は眠って待たねばならないのです。
明くる日、白蛇は首を
「呑みやしないよ、出ておいで」
兎はおずおずと歩み出ます。そして祠の前に一粒。
「私の願いを聞いていらっしゃいましたか」
「全て感じ取るのさ、蛇はね。お前の声も、肉のにおいも、血潮の道筋も」
大きな体躯と、牙の隙間から覗く二股の舌に、兎は身を
「我は人の願いを叶えるため、人に
「そこをどうにか。白蛇様は神使だと聞きます」
神、ね。蛇はカッカと笑いました。
「お前はなぜあんなことを願うんだい」
「家族も群れの皆も、曇り無き真白な体です。そして燃え立つような真赤の目。この容姿こそ白兎の誇りと言えましょう。私だけが、まだ
ぴんと張った耳から小ぶりな足先まで、白蛇のねぶるような視線が這います。
「白蛇様の気高き白と艶めく赤、喉から手が出る程です。その麗しさに
「すぐには手に入るまい。ひと冬越してごらん、春になったらまたおいで」
兎は
厳冬が訪れ、白蛇は祠の下に掘った穴で先延ばしの眠りにつきました。
春は、あっという間にやって来ました。穴から這い出た白蛇が目にしたのは、祠の前で横たわる灰色兎。何事かと素早く這い寄ると、痩せ細って傷だらけの体から絞り出す声。
「私は白兎ではありませんでした。皆、面白がって黙っていたのです。白蛇様にお願いしたことを話すと笑われ袋叩きにされました。今までで一番酷い仕打ちでした。偽物の私には帰る場所がありません」
力なく開いた手から、冬苺が数粒転がりました。
「雪に埋めておいたので傷んでいません。どうか、どうか」
白蛇は己の不誠実に舌を噛み切りたい程でした。灰色に生まれついた兎が白兎になることはない、言ってやらなかったのは同罪だと。
「これが何か分かるか」
太杭に巻き付いてみせても、兎は弱った瞳を向けるだけ。
「
兎は風前の灯でした。失意の最期を迎えさせまいと語り掛け、鼓舞するしかありませんでした。
「白蛇様、私を呑んでください。もう来世に期待する他ありません。その御体の一部になれば、白兎に生まれ変われるやもしれません」
息も絶え絶えの懇願を、無下にはできませんでした。
白蛇は子を包み込むような慈しみで、兎をゆっくりと呑みました。確かな熱を持ったふんわりとした体は、白蛇の腹で穏やかに呼吸しています。
今生で初めて感じる温もりに、兎は安堵の息をつきました。
「きっと、いえ、やっとこれで白兎になれます。そうに違いありません」
白蛇は弾かれたように這い出しました。
小さく膨らんだ腹を引きずり、祠を振り返りもせず、兎に染み付いたにおいを感じ取り、その
見つけた獲物に、白蛇は猛然と躍りかかります。狙われた白兎は、迫り来る大蛇の姿を見るや気を失い、全身を巻かれ、骨を砕かれ、赤い目を濁らせ、丸呑みにされました。白兎の群れは次々と呑まれ、灰色兎を虐げた者は一羽残らず白蛇の中に収まりました。
白蛇の腹は、はち切れんばかりになりました。動くこともかないません。
何故持って生まれた定めで
未だ冷たい初春の風が追手の声を運ぶ中、白蛇は静かに目を閉じました。
雪と冬苺 王子 @affe
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