転生したら軽自動車だった私が聖女と呼ばれるまで

紗雪ロカ

転生したら愛車だった

 転生したら軽自動車になっていた。

 どこかも知れぬ平原の中で立ちすくみ、私は自分自身の体を点検する。


 コロンとしたフォルムの真っ白ボディ。

 チャームポイントの丸いヘッドライト。

 意識を集中すればウインウインと動くワイパー。


 うん……。

 えーと…………。


 ――プワァァアアアアアー!!


 一拍置いて叫んだはずの声はクラクションになり、青空の下で盛大に鳴り響いた。


 ***


 そもそも、だ。なぜこんな事になってしまったのか。

 記憶が途切れる前の私は、週末という事もあってウキウキとしながら帰り道を運転していた。

『明日はお天気だし、ピカピカになるまで洗車してあげるからねー』

 ハンドルを握りながら通勤の相棒に向かって話しかける。

 給油して帰ろうかなと思ったその直後、対向車線のトラックがふらふらとしているのが目に入った。え? と、思った次の瞬間にはもう、センターラインを越えて目の前に車体が迫っていて――次の瞬間、目が眩むほどのライトの光に包まれる。


 死を覚悟して目をぎゅっと瞑るのだけど、不思議なことに何の痛みも無い。

 おそるおそる目を開けてみれば、明らかに日本ではないようなこの平原にぽつんと佇んでいて……そして一歩踏み出そうとしたところで、足が四輪に変わっていることに気づき、冒頭のクラクションの叫びへとつながると言うわけ。


 いやもう何なのだ、どういうことなのだ。

 混乱しっぱなしの私は体を動かそうとする。あ、サイドミラーがパタパタ動かせる、耳みたいでかわいー。

 とか言ってる場合じゃないでしょ! 誰か説明してぇ!


 そんな風にしてプワプワ鳴いていたのがまずかったのか、周囲の草がガサッと揺れ、明らかに地球の物ではない生き物たちが集団で現れた。

 何せ目が五つあるオオカミだ。獰猛そうな彼らは歯を剝き出しにしながらこちらを取り囲もうとする。

 ――プワーパパパパパ!!

 もうね、必死になって逃げたよね。気づけばアクセル全開でその場から逃げ出していた。


 ようやく落ち着けるところまで逃げた私は、改めて自分の体を点検する。

 どうやらこの世界には魔力と呼ばれる物が存在して、私はそれを消費して自分の体をメンテナンス出来るらしい。

 なんで分かったかと言うと、運転席の計器盤インパネ部分に『魔力を消費してガソリンを補充しますか?』と言う表示が出たのだ。ビビりながらも「はい」と頭の中で答えと、半分しか無かったガソリンメーターが満タンまで補充され給油が完了した。良かった、これでひとまずガス欠で動けなくなる事態は避けられそうだ。

 他にもタイヤ交換や洗車など色々メンテナンスメニューがあるみたいだし……あれ? 意外と生きていけそう? 車が生きているのかどうかというのはさておいて。


 というわけで、少しだけ希望が見えてきた私はひとまず人に会おうと走り始めた。

 不思議なんだけど、こんな体になってもちゃんと眠くなるらしく、疲れてきたら路肩に寄せて休んだ。荒らされないようにきっちりロックをかけてね。

 そうやって走り続けて陽も暮れてきた頃、私はようやく念願の人間と巡り合うことになる。


 ところが、その人は「第一異世界人発見」とか喜んでいられるような状況じゃなかった。

 ゲームに出てきそうな騎士っぽい服装をした彼はなんと血みどろ。そして行き倒れ。オマケにそれを取り囲むようにして、あの五つ目のオオカミたちが牙を剝いている。

 えらいこっちゃー! 私はとりあえず威嚇のためクラクションをひたすら鳴らした。ライトで照らし、敵が驚いて一歩下がった隙を見計らい、行き倒れさんの周りをグルングルン回ってオオカミたちを追い払う。さすが軽自動車、小回りが自慢!


 ひとまず追っ払うことには成功したので(超ドキドキした)騎士さんの近くに行って様子を伺う。そこでハッとしたんだけど……私、喋れない?

「う、うぅ……」

 わぁ、金髪のイケメンさんだ。えぇと、とりあえず敵じゃないですよー、味方ですよー。とは言っても、こんな鉄の塊見たこともないですよね。アイアム人間。中身は人間。信じて、お願い。

 私はできるだけ友好的に見えるよう、横に揺れてみせたり、耳(サイドミラー)を動かしてコミカルな動きをしてみせる。

 ところが騎士さんはそれどころじゃないらしく、ぐったりして動く気配がない。これはちょっと、まずいんじゃ。

(よしっ)

 彼の側まで回り込んだ私は、後部座席を開けて短くプップッとクラクションを鳴らす。何とか顔を上げた彼は、驚いたように青い目を開いた。

「ソファ……? 乗れと言うのか?」

 そう! プワッと一つ返事をする。

 まだ遠くからこちらを伺っているオオカミたちを見た騎士さんは、最後の力を振り絞って私の中に乗り込んできた。驚かせないよう静かに扉を閉めてエンジンを温める。

(えっと、どこへ向かえば……)

 困ったな、当てもなく走り続けてもたどり着ける自信がない。たどり着く前に騎士さんの体力が尽きちゃうんじゃ。

「頼む……俺を助けてくれるというなら、どうかベルウッドの町へ……」

 息も絶え絶えな後部座席からの声に反応して、取り付けてあったカーナビがポーンと反応する。確認すると、『魔力を消費して地図を更新しますか?』とモニター部分に表示されていた。私は迷うことなく更新し、ベルウッドの町を検索してルート設定をする。

 ――案内を開始します。実際の交通規制に従って……、

 この世界に速度規制があるとは思えないので、ひたすらに広い草原をかっ飛ばす。このまま行けば40分も掛からなそうだ。

(最高速で飛ばしますから、それまで頑張って下さいね!)

 ふと耳を澄ますと、意識が混濁しているのか彼はうなされているようだった。

「ダメだ……お前たちを置いていくなんて……」

 鞘に入った剣を折れそうなほど握りしめ、それは次第にすすり泣く声に変わっていく。

「すまない……すまない……」

 それを聞いた私は、さらにアクセルを踏み込んで闇夜を切り裂くように疾走する。

(間に合え、間に合え!)

 生身ではこうはいかなかったに違いない。この時ばかりは自分が軽自動車になったのを感謝した。


 ***


 ベルウッドの町は、映画にでも出てきそうな城を中心とした城下町だった。

 夜更けに到着した私は、ビビる住人に囲まれて大人しくしていた。たいまつを掲げて恐る恐る覗き込んできた憲兵さんが、後部座席を覗き込んで仰天する。

「アクア様! アクア様が中に居るぞ!」

 そのタイミングで私はパカッとドアを開けてあげる。担ぎ出された騎士さんは気を失っているようで、治療のためどこかへ運ばれて行った。

 それから三日三晩、私は城門の外で大人しく待機する事にした。彼の容態も気になったし、どうにかして人間とコミュニケーションを取れないかと試行錯誤していたのだ。結果は何というか、残念な感じだったけど。


 そして4日目の朝、包帯を巻かれて痛々しい姿で戻ってきた騎士さんは、私の姿を見つけると朝日の中でパッと顔を輝かせた。

「白い姿の君……間違いない、私を助けてくれた者だ! なんとお礼を言ったらいいか」

 いえいえ、人として当たり前のことをしただけですよ。それより回復したようで何よりです。霊柩車にならずに済みました。

「ぜひ私の屋敷に来てくれ。話は通じるんだろう?」

 うーん、身の振り方も決まってないし、行ってみようか。

 プワッと短く返事をして、彼の後をコロコロと転がしていく。たどり着いたのは大きくて古いけれど綺麗に手入れされたお屋敷だった。私はその庭先に停めさせて貰う事にする。

「改めてありがとう、私はアクアと言う。此度の恩義には必ず報いると誓おう。あなたの名前は?」

 プワワ。プワワプワウ。あぁ伝わらない……。こんなイケメンさんに名前を覚えてもらうチャンスなのに悲しい。

 喋れないなりに落ち込むのを察してくれたらしい、アクアさんは優しく問いかけを続けてくれた。

「差し支えなければ教えて欲しい、あなたは女性では?」

 プワッ。よく気づきましたね、こんな鉄まるだしボディなのに。

 すっかり「はい」代わりになった短いクラクション一つを返すと、彼はとんでもない事を言い出した。

「やはりそうか! もしやあなたは聖女ではないだろうか!?」

 突拍子もない発言に私は固まる。軽自動車が、聖女。どう考えても結びつかない二つではないだろうか。大丈夫かこの人。

 けれど、興奮した様子のアクアさんは頬を紅潮させながら根拠を繰り出した。

「あなたは世界を救ってくれるという予言の姿にそっくりなんだ! まずその者は白く輝く姿をしていて」

 まぁ、カラーはプレミアムパールホワイトですね。

「闇を切り裂く光を放つことができ」

 ヘッドライトですかね。

「遠くにも聞こえる高らかな声を持ち」

 ――プワァァァ!

「風よりも早く大地を駆け抜けると言う」

 まぁ、時速80kmは出してた……かな?

「……聖女だ!」

 違うよ!? なんっ……その純真100%な目はやめよう!? どう考えても違うから!

 そこからプワプワと鳴いて、どうにか分かって貰おうとしていると門の辺りに誰かが現れた。

「アクア様、体調が回復したのなら城へ報告に上がれと王がお呼びです」

「ちょうどいい、こちらから行こうと思っていたんだ。聖女殿の紹介をしよう」

 プエーーーと、情けない声を上げるも、あれよあれよと言う間に私は城へ上がることになってしまったのだった。


 そんなこんなで30分後。

「アクア・エルグランド様のお見えです!」

 中世ファンタジーの立派な玉座の間を、軽自動車がブロロロ……と、進んでいく様はシュール極まりなかった。たくさんの奇異の目に見つめられる中、アクアさんと連れ立った私は王様の目の前に停まる。顔をひきつらせた王様は、当たり障りのない会話から始めた。

「ええと……アクア、体調の方は大丈夫か」

「ご心配をおかけして申し訳ありません。命に別状はないと医師から」

「そうか。して、その、珍妙な生き物……荷馬車? なに……なにそれ?」

 気の毒になるくらい困惑した王様に向かって、アクアさんは超いい笑顔で宣言した。

「はい! 彼女は救国の聖女です!!」

 しーんと水を打ったように静まり返る謁見の間で、彼だけが自信満々にキリッとした笑みを浮かべている。

 どうしようこの空気。途方に暮れかけたその時、王の側で控えていた中年の騎士さんがダァンと足を打ち付けた。

「ふざけとるのか貴様ァ!! 馬鹿も休み休み言えっ」

 騎士と呼ぶにはやや太めのハゲちょろけたその人の隣で、こちらはいかにも腰ぎんちゃくと言った風体の騎士さんが出てくる。

「何を言い出したかと思えば、その不格好なボロ箱が聖女? 冗談も休み休み言いたまえ」

「団長……副団長……」

 いやまぁ、突拍子もない発言に関しては全くその通りなんですけど、ボロ箱て。一応お城に上がるからって洗車して小綺麗にはしてきたつもりなんですけどね。愛くるしさ満点フェイスでしょうが、失礼な。

 そう内心ボヤいていると、団長と呼ばれた偉そうなおじさんは腕を組んでフンと鼻を鳴らす。

「名誉ある討伐隊の長を任されたと言うのに、おめおめと一人で逃げ帰ってきて最初の報告がそれか? 恐怖で頭がおかしくなったのではないか?」

「こちらに向かっていると言う混沌竜の討伐はどうなったのだね? アクア隊長」

 その言葉にグッと唇をかんだアクアさんは、俯きながら静かに報告をする。

「国境付近にて応戦しましたが、その凶悪な力の前に我が隊は全滅……その結果を報せるため、かろうじて生き延びた私が引き返し……」

 ここでキッと顔を上げた彼は、真剣な顔をして彼らを問い詰める。

「そもそも、あの竜を軽視すべきではないと出撃前に申し上げたはずです! あなた方の無理な命令により、私の部下たちは命を散らしました。彼らはその身を以って危険性を証明してくれたわけです!」

 その言葉に私はハッとする。血まみれで行き倒れていたのはそんな経緯いきさつがあったからなんだ。

 スッと立ち上がったアクアさんは、私のボンネットに優しく手を添えると感謝の眼差しを向けてくれる。

「幸いにも私は彼女に助けて頂き、迅速に戻ってくることが出来ました。団長、三日前に申し上げた部隊の再編制は行って頂けましたか? 今ならまだ間に合います。早急に騎士を集め、全力で迎え撃たなければこの街は火の海に沈みます。私もだいぶ回復してきました、すぐにでも出撃を――」

「黙れ青二才が!!」

 ビリビリと空気を揺るがすように団長さんが怒鳴りつける。

「無論、そんなことは言われなくとも分かっておる。いちいち騒ぐなみっともない、王の御前なるぞ」

「言われずとも部隊の編制は行っているのだよ。だが、もう少し時間が掛かりそうなのだ。キヒヒッ」

 ここで顔を見合わせニヤリと笑った二人は、グッと身を乗り出すと悪魔のような事を囁いた。

「おやおやぁ? 足止めが必要だな、アクアぁ?」

「名誉挽回のチャンスですぞ、アクア隊長!」

「っ!」

 不穏な流れに空気がピリつくのを感じる。この人たちアクアさんに死ねと言っているんだ……。

「誤解するなよ、これは貴様の名誉を思って提案しているのだ。現状を見るがいい、部下を置いて一人で逃げ帰ってるなど、騎士の名折れではないか」

「全くです、どのツラ下げてこの場に居るのか。これだから平民出身の輩はいけませんな。ちょっとばかり剣の腕が立つからと言って」

 一人生き残り、この場に立っているのは事実だからなのか、アクアさんは俯いてしまう。金髪が顔にかかり、表情は見えない。

「おい、何を黙っているのだ。騎士のツラ汚しめ、何か言うことは無いのか」

「再び戦う意思があると言うのなら、どうしてその場で玉砕してこなかったのかね君ィ? 報せは部下に任せればよかったのだ。今さら勇猛ぶっても、単なるパフォーマンスにしか見えないのだがなぁ。ん?」

 歯茎を剥き出しにして笑った団長が、決定的な事を言いそうになる。

「まさか貴様、信頼してくれる配下を囮にして逃げて来たのでは――」


 プァ―――――ッ!!!


 高らかなクラクションが玉座に鳴り響き、その場にいた全員がぎょっとしたように目を剥く。

 そんなのお構いなしに、私は警音器を力いっぱい鳴らしまくった。怒りのままボンネットもばっこんばっこん開けて少しでもあいつらを黙らせようとする。

「聖女殿……」

 だってそんなわけない。この人はあんなに泣いて悔しがっていた。私のシートに染みがまだ残ってる。部下を失ったあの慟哭が、痛みが、ボロボロになって帰還した姿がパフォーマンスに見えるなんてどうかしてる!

 アクアさんがこの騎士団でどんな立ち位置だったかなんて知らない。だけど、それが決死の思いで報せを持ち帰ってきた者にする態度か! 部下を囮に逃げて来たぁ? んなわけあるかーっ、どーせ平民出身なのに優秀でイケメンで人望もありそうなこの人に嫉妬してるだけでしょうがこのハゲーっ!!

 ハァハァと肩(?)で息をしていると、謁見の間は再び水を打ったように静まり返る。

 ……って、これ全然伝わってないな!? みんなにはプワプワとクラクションを鳴らしているようにしか聞こえなかったはずだ。恥ずか……!

 私がオーバーヒートしそうなぐらい熱を上げていると、すぐ横からクスッと笑う声が聞こえた。

「怒ってくれたのか? ありがとう」

 そちらを見ると、彼はどこかスッキリしたような表情で私に微笑んでいた。

 その時、広間の扉が慌ただしく開かれ、騎士さんが一人駆け込んでくる。

「大変です! 混沌竜が姿を現しました! 南東の方角より、飛んでこちらに接近してきています!」

 報告を聞いたアクアさんは、急に表情を引き締めたかと思うと玉座に向き直り、胸に手を当てた。

「分かりました。アクア・エルグランド一級騎士、先発部隊として出陣いたします!」

 え、えええ!? 結局そうなっちゃうの!? 一人って、それ部隊って言わないでしょ。待ってよ~。

 踵を返して颯爽と出ていく彼をバックで追おうとしたところで、どこか悔しそうな団長の声が飛んでくる。

「ふ、フン、虚勢を張りおって……。せめて最後は騎士として華々しく散れ! 今度は逃げるなよ!」

 プァッ! 怒りのクラクションを一つ鳴らせば、団長と副団長はビクッと竦んだ。失脚して落ちぶれてしまえバーカバーカ!


 アクアさん、どこ行っちゃったんだろう。まさかもう出立してしまった?

 心配になって城門まで出てみれば、馬にまたがった彼が今まさに出ようとしたところだった。遠く空の彼方には、こちらに向かってくる黒い点のような物が見える。

 こちらに気づいた彼は馬からひらりと降り、私のヘッドライドに優しく触れた。

「白の君……勝手に聖女などと決めつけて悪かった。あの時の俺は、わずかな希望にでも縋りたかったのかもしれない」

 ダメですアクアさん、捨て石になることなんてないです。サイドミラーをパタパタさせるのだけど私の言葉は伝わらない。

 もどかしくなったその時、彼は私の前に跪いて目線を合わせてくれる。その声には温かな気持ちがこもっていた。

「君が俺の為に怒ってくれたことで思い出せた。俺は、俺の為に怒ったり笑ったりしてくれる人たちを守りたくて騎士になったんだ」

 澄んだ海のようなまなざしはどこまでも真っ直ぐで、見ていると泣きたくなるほどに力強い。

「昨日までは、部下たちへ償いの為だけにもう一度戦場に赴くつもりだった。だけど今は違う、またこうして守りたい物ができた、その気持ちを思い出すことができた」

 そっと額を着けるとコンと音がする。私の鉄ボディでも確かな体温が伝わってきた。

「ありがとう、俺はそれだけで強くなれる」

 顔を離してニコッと笑った彼は、立ち上がると歩き出した。

「あなたが残るこの街を守りたい、本隊が来るまで少しでも時間を稼ごう」

 私は自然とその後を追い、並走すると運転席ドアをパカパカと開ける。アクアさんは少し驚いた顔をして出会った時と同じ問いかけをしてきた。

「乗れと言うのか?」

 プワッ。返事をして、私はキュッとブレーキをかける。口の端を吊り上げた騎士さんは、剣をギュっと掴むと乗り込んできた。

「わかった、近くまで送ってくれ!」


 シートベルトを締めて街道をブロロロ……と走らせる。

 さすがに手足の長い騎士様は軽自動車だと窮屈そうだった。けれどもそんな事も気にならないようで、前方に大きくなってきた黒い影を見てハンドルを握る手に力を籠める。

「また会ったな、混沌竜……!」

 大きな翼を広げ、まっすぐに街に向かって飛んでくるのはまさにゲームにでも出てきそうなドラゴンだった。禍々しい黒いオーラを背負い、滑らかな鱗が太陽の光を反射して鋼鉄のように輝いている。

「白の君、この辺りでいい、下ろしてくれ」

 アクアさんの呼びかけを無視して、私は迂回するように左に旋回した。ある程度行ったところで今度は右にハンドルを切ってなだらかな丘を駆け上がる。まっすぐ飛んでくるドラゴンの脇っ腹を狙うような位置取りだ。

「お、おい、まさか」

 こちらの意図を汲みとったのか、彼は少し焦ったような声で制止しようとする。

(大丈夫です。もしかしたら私、この時の為にこんな姿で転生したのかも)

 伝わらないのは分かってたけど、私は心の中で語った。アクアさんは言葉を止めてハンドルをじっと見ている。

(このままあなたを連れて逃げてしまうこともできる……だけど今、私が思うのは、アクアさんの覚悟に寄り添いたいってこと!)

 不思議と気持ちは伝わるような気がした。少し照れた私はおどけた声を出す。

(それに守られて後方で待機してるだけなんて、聖女らしくないですからね。なんて、こんな固い聖女どこに居るんだって話なんですけど、あはは)

「……あぁ、君はやっぱり……」

(え?)

 もしかして本当に聞こえてる? なんて思うのだけど、【その瞬間】がすぐそこまで迫っていてそれどころじゃなくなる。


『魔力を消費して装甲を強化しますか?』

『ターボ機能を追加しますか?』

『車体全体に聖属性を付加しますか?』


 え、えーっ? はいっ! はいっ! この際だ全部イエス!

 計器盤インパネに怒涛のように現れる問いかけを全て了承する。オプションもりもり全部乗せだぁぁあ!!

 プアーーーー! と、雄たけびのようにクラクションを鳴らした私は、ドライバーに心で語り掛けた。

(行きますよアクアさん! 背もたれに頭を付けて、しっかり掴まっていて下さいっ)

「よし行こう!」

 滑空したドラゴンが着陸する飛行機のように迫ってくる。視界の左端にそれを捕えながら、私はアクセルを踏み込んでさらに加速した。崖に向かって突っ走る。

(行けぇぇぇ!)

 ※よいこはまねしないでね! なんて文言が頭の片隅にチラつきながら、私は飛んでくるドラゴン目掛けて飛び込んだ。なんかもう、すごい、全てがスローモーションに感じる。

 痛みはないのだけど、エアバックまで開いちゃって大クラッシュ。予想外の角度から突っ込まれたドラゴンはパニックになったようで雄たけびを上げながら落ち始めた。

「今だ!」

 アクアさんはここからが凄かった。まだ空中に居るのにシートベルトを外して、車外に飛び出したのだ。剣を鞘から抜き取ると、白く輝くオーラを纏った刀身を超人的な動きでドラゴンの頭に突き立てる。地に打ち付ける勢いで叩きつけると一撃で討伐してしまった。少し離れた位置で私はぐしゃりと落ちる。

「聖女殿!」

 あー……すっごい……壊れちゃったぁ。あっちこっちベコベコだし、フロントガラスにはヒビが入ってるし、私の魔力とやらで直せるのかなぁ。もう一度走れるかなぁ。

 でも、なんでだろ。やりきった思いに満たされて、なんだかとっても幸せな気分だ。

「しっかりしろ! 目を開けてくれっ」

 必死の形相で駆け寄ってきたアクアさんに抱えられて、私はうっすらとほほ笑みを浮かべる。

 私、お役に立てましたかね? もしそうなら本望です……。

 ふぅと息をついた私は目を閉じ、ゆっくりと意識が遠のいていき――、

「……ん?」

 待って、抱えられて・・・・・って、おかしくない?

 パチリと目を開いた私は、至近距離にあるアクアさんに見つめられていた。ホッとしたように息をつく彼の頬に【手を】伸ばす。

「手、手だ。あれ? 私、元に戻って……?」

 そのまま自分の頬をペタペタと触る。ちゃんと体温のある生身の体だ。だけど『さっきまで私だった』車はちゃんとそこに落ちていて……え、どういうこと?

「驚いたよ、後ろの扉が開いたと思ったら中から君が転がり出てきたんだ」

「え、ええ!?」

 唖然としていると、壊れた愛車からプワーと力ない鳴き声が聞こえてくる。ハッとした私は慌てて駆け寄ろうとする。のだけど腰が抜けちゃって立てないからアクアさんに横抱きで運んでもらった。

「大丈夫? 今直すからね!」

 魔力を振りかざして、かたっぱしから板金メニューで愛車を直していく。どうやらドラゴンへの突撃アタックでも致命的なダメージは免れていたらしく、30分も経つころには自力走行が可能なまでに直すことができた。

「ふぅ、なんとか直せたけど……いったいどうなってるの? わっ!? こら、暴れないの」

 まるで犬のように私にすり寄ってくる愛車を撫でていると、側にやってきたアクアさんがこの不思議事態を説明してくれる。

「これは仮説なんだが、もしかしたら君はこの子の体内でずっと守られていたんじゃないか?」

「守られて……?」

「ずっと大切にされてきた物に大量の魔力が注がれると、意識が芽生えることがあるんだ」

 それは日本で言う、付喪神……的な?


 話を整理してみると、どうやら私は転生したのではなく、この世界に来た時からずっと仮死状態のまま車のトランクの中にいたようだ。目覚める事がないまま、魔力を通して荷室からこのを操作していたらしい。意識をリンクさせ視覚共有やら何やらしたことで、自分が軽自動車になってしまったと錯覚していたのだ。

「愛情を注いで大切にしていたからこそ、君を守って操作にも応じてくれていたのだろう」

 アクアさんの言葉に反応するように、私の車はプワッと一声鳴いた。健気で私のことが大好きで、役に立とうと頑張ってくれたんだ……。それを聞いてしまったらもう堪えられなくて、私は涙目で愛車に抱き着いていた。

「なんて良いコなのぉ~、すきっ、大好きーっ」

 この世界に来て意識の芽生えた愛車は、サイドミラーをパタパタしてそれに応じてくれた。


 みんなボロボロだ。でも街の方からも歓声が上がっていて、危機が去ったのをみんな喜んでいる。

「さぁ、帰ろう。今度こそ君が聖女だと誰も疑わないだろう」

 アクアさんが手を差し伸べてくれたので、私は照れながら手を取った。

「そうですね、ドライブでもしながらのんびり帰りましょう」

「聖女殿。改めて名前を聞いても?」

 衝突事故を起こした上に、この子の整備を全力でしたので顔は煤まみれのはずだ。

 それでも私は満面の笑みで、元気よく答えたのだった。

「すばるです、松田すばる!」



 帰還したら救国の聖女とか呼ばれるし、私にしか操作できない愛車の爆走能力を見込まれて大活躍したりするのだけどそれはまた別の話。


おわり

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