十九、休息
「明日の朝、ここを立とうと思います」
《迷宮》に昇った翌日──朝日が差し込む自身の部屋で、少年たちと卓袱台を囲み朝食を取りながら、嶽一は静かに、しかししっかりとした声音で告げた。少年たちは、直前までの賑やかさが嘘のように表情を凍らせた。
少年たちは昨晩、一階の宇津木家に泊まり、夜遅くまで《迷宮》のことを話していたのだと、つい先ほど教えてくれた。そして、何気なく嶽一にこれからの予定を尋ねてきたのだ。
固まっている少年たちを見回してから、嶽一は、まだ温かい湯呑みを手に取った。
ぐいっと緑茶を飲み干し、続ける。
「昨日、上司から連絡が入り、鳴さんのことを話したところ、まずは《東京御厨本部》に連れてきてほしいと言われました。なので明日の昼、汽車に乗って東京に向かいます。──急ですみません」
「……拙者は、危険だと思われておるのか?」
怖ず怖ずと問いかけてきた鳴に、嶽一は首を左右に振った。
「いいえ。むしろ逆で、早く保護した方がいいと判断されたのです。世の中には、《迷宮》に関わっているものならば、無機物だろうと生き物だろうと人間だろうと構わず収集したいと思っている人もいますので」
「そ、そんな輩がおるのか……」
鳴が頬を引きつらせる横で、昊と桂もなんとも言えない表情になった。
嶽一は生真面目に頷いた。
「はい。しかし、しっかりとした身元の後見人や保護者がいるのならば、そういった人たちも表立って鳴さんに手出しはできなくなります」
「うむ……」
「お詫びと言ってはなんですが、旅の準備はわたしがするので、この後は、夜まで自由にしてください」
「自由? 外に出てもよいのか?」
鳴の顔から強ばりが消え、代わりに好奇心と喜色が急浮上した。
「はい。村を見て回っても構いません。その際、人気のない場所には行かず、誰かに素性を訊かれた場合は、昨日、お話ししたとおり《社》で保護された記憶が曖昧な少年、という設定でお願いします。わたしの名前も出して大丈夫です。それから念のため名字は伏せてください」
「あいわかった!」
「嶽一さん、それならぼくが鳴を案内しましょうか?」
「おれも! おれも鳴を案内します!」
「桂さん、昊さん、ありがとうございます。鳴さんさえよければ、わたしは構いませんよ」
嶽一が鳴に視線を向けると、鳴は桂と昊を見て目を輝かせていた。
「それと、これは昨日のお給金です」
嶽一は頭陀袋から封筒を三つ取り出し、少年たちに差し出した。
「「「お給金?」」」
「《撰師》は《迷宮》に昇ると成果がなくともお給金が頂けるんです。それだけで生活はできませんが、お小遣いくらいにはなります。皆さんも、
封筒を受け取った少年たちは、そわそわしながらも、すぐ中を覗いたりはしなかった。
彼らが如何に大切に育てられたか、その片鱗が垣間見え、嶽一は微笑ましくなった。
「わたしも用事があるのですぐに出ますが、この部屋は自由に使っていただいて構いません」
「「はいっ! ありがとうございます!」」
「嶽一殿、感謝するっ!」
早速、どこに行くか相談をはじめた少年たちの邪魔にならないよう、
「行ってきます」嶽一は、そっと部屋をあとにした。
※
どかっ──「うぐっ」
嶽一が菜草村の中心部を歩いていると、すぐ近くの路地裏から鈍い打撃音とうめき声が聞こえてきた。
考えるより先に駆け足で路地裏に入ると、少し奥まった薄暗い場所に三人の男が立っていた。
毛皮の外套を羽織った三人は、地面に転がる大きな塊をしきりに蹴っていたが、嶽一に気付いた一人が「行くぞっ!」と切羽詰まった声を上げると、路地裏の奥へと消えていった。
薄暗い路地裏には、嶽一と男たちが蹴っていた塊──身なりのいい男だけが残された。
身なりのいい男は地面の上で身体を丸め、「うぅ……」と呻いている。
「しゃべれますか?」
嶽一は男の傍らに膝を突き、顔を覗き込みながら声をかけた。
男は固く閉じていた目を開け、掠れた声で「……はい」と応えた。
「痛いところはないですか?」
「あちこち……でも、骨や、内臓は、無事そうです」
男が起き上がろうとしたので嶽一は手を貸した。
ふらつきながらも立ち上がり服についた土埃を払うと、男は恭しく頭を下げた。
「あ、ありがとうございます。僕は、この村で商店を営んでいる小池千郎と申します」
「商人の方でしたか。手荷物などは大丈夫ですか?」
嶽一の指摘に、男──千郎は革のベストのポケットを軽く叩いた。
「大丈夫です。盗られたくないものは、すべてここに入れているので。それより、助けていただいたお礼をしたいのですが……」
「わたしは何もしていないので、お礼をしていただく理由がありません」
「いえ、あなたが来てくださったから悪漢は去ったのです。よければ少し早いですが昼食を奢らせてください」
「不要です」
「ならば夕食──」
「不要です。それだけ話せるのならば大丈夫ですね。わたしはこれで」
嶽一は、さっさと踵を返した。流石に走ることはなかったが、心持ち早足で路地裏の出口に向かう。──と、
「《守の嶽一》」
二つ名を呼ばれ、嶽一は表情を消し振り返った。
薄闇の中、背筋を伸ばした千郎は、申し訳なそうに微笑んでいた。
「数多の《迷宮》の最上階まで昇り、《守》を持ち帰った凄腕の《撰師》……ですよね。お噂はかねがね聞いております。まさかご本人に会えるとは思わず、浮かれて距離感を見誤り不快な思いをさせてしまいました。本当に申し訳ございません」
「……先ほどの悪漢は?」
「恐らく人攫いでしょう。ここ数年、周辺の村や町では、老若男女問わず何名も行方不明になっていますので」
「老若男女問わず、ですか?」
知っている情報との差違に嶽一が軽く目を瞠ると、千郎は笑みを深め意味ありげに頷いた。
「そうです。この村では、〈童子〉のことがあるからか子供のことばかり強調されますが、いなくなるのには、子供ばかりではありません」
千郎は、嶽一に手を差し伸べた。
「どうですか? 僕は、もっと色々知っているかもしれませんよ。気になりませんか?」
「気になったら自分で調べるので大丈夫です。それでは」
今度こそ嶽一は振り返ることなく路地裏を後にした。
背後から「チッ」と大きな舌打ちが聞こえた。
路地裏から十分距離を取ってから嶽一は道端で「はぁ……」と深呼吸をした。
「わたしって、そんな間抜けに見えるのでしょうか?」
千郎の言動は、嶽一から見て穴だらけだった。十中八九、あの悪漢三人と千郎は手を組んでいる。千郎はわざと被害者になり、嶽一と接点を持とうとしたのだ。そんなことにも気付けないと思われたのなら少々残念だが、千郎もことを急いているようだったので、何か事情があるのかもしれない。だからといって嶽一が千郎に付き合う筋合いは一切ない。
「こちらにも予定というものがありますからね。午後は少し気になる場所を見て回るので、午前のうちに正成さんに報告をして、胡胡さんに代金を支払いに行って……もしも時間が余ったら、やはり《迷宮》ですかね。余らないと思いますが」
独りごちながら嶽一は、足取り軽く《菜草御厨支部》に向かった。
※
《菜草御厨支部》は、何やらざわついていた。なんとか正成に取り次いでもらえたが、どうやら所属する《撰師》が犯罪に関わっていたらしく、その調査と裏付けで忙しいらしい。
嶽一は必要最低限の報告だけ済ませ、早々にお暇した。
次いで胡胡が滞在している宿を訪ねると、バタバタしている客が何人も見受けられた。全員行商人のようで、胡胡も出かける準備をしていた。なんでも急に商人組合に呼ばれたらしい。「もっとお話をして、昼食もご一緒したかったのですが……」と嘆く胡胡を宥め、諸々の代金を支払い、嶽一は宿をあとにした。
この時点で、うづき屋を出てから一時間半しか経っていなかった。
「……時間、余りましたね」
嶽一の足は、自然と《鳥居》に向かっていた。
※
「こんにちは、岩蔵さん」
その声は、決して大きくはないものの《社》の雑踏の中でも過たず嶽一の鼓膜を揺らした。
振り返ると人混みの向こうから見知った老人が笑顔で近づいてきた。
昊の養父である左東輪だ。
「左東さん、こんにちは。奇遇ですね」
「輪でいいですよ。左東だと、多くの人が振り返ってしまうでしょう」
「では、わたしのことも嶽一と呼んでください。《社》には、よく来られるのですか?」
「週に一度は来ていますね。どうしても必要なものがありまして……」
言いながら輪は、何かを探すように周囲に視線を巡らせた。しかし目当ての品は見つからなかったのか、残念そうに眉を下げた。
「何かお探しならお手伝いしましょうか?」
「それは助かりますが、《迷宮》に昇らなくていいのですか?」
「思っていたより早く予定が済んでしまって、余った時間を埋めるために昇りに来ただけなので気にならさないでください」
苦笑を浮かべる嶽一に、輪は目を丸くし──ふっと吹き出した。
「ふふっ、暇つぶしに《迷宮》ですか。本当に《迷宮》が好きなのですね」
輪の目に懐かしむような光が灯る。
嶽一は自然に笑みを深め、
「はい」と静かに、しかし力強く肯定した。
「《宮木》の枝、ですか?」
「はい。燻製や七輪で焼く時に《宮木》の枝を少し入れると独特の風味が加味されるんです。太さは手の指くらいで長さにこだわりはありません。燃やしてしまうので傷があっても大丈夫です」
「《
「《入宮木》を使う人もいますが、僕は、なるべく《宮木》を使うようにしています。一個人の感想ですが《入宮木》には、雑味がある気がして……それに、《菜草迷宮》の《入宮木》は、よそから材木を運んでこないといけないので、大量購入しないかぎり《宮木》との値段の差もそれほどないんです」
「そういえば、菜草村の周囲には、伐採場は見当たりませんね」
「昔はあったのですが、そのせいで大規模な土砂崩れが起き、山裾の家が何軒か呑まれてしまったんです。死者こそ出ませんでしたが、《迷宮》でも《神災》が起きてしまったため、伐採場で働いていた人たちが山の中腹に移り住み、植樹に努め、山を再生させたんです」
「凄いですね」
「はい。僕がこの村に引っ越してきた時には、もう今の豊かな山だったので、この話を聞いた時は驚きました」
「その山の中腹には、まだ人が暮らしているのですか?」
「いいえ。今は誰も暮らしていませんし、立ち入り禁止になっています」
「立ち入り禁止、ですか?」
「五年前の落石で大きな石が家屋に直撃したんです。住民の方は、村に住むお子さんのところにいたので無事でしたが、もう暮らせないとなって集落を閉じたんです。そもそも、もうその人しか暮らしていなかったので、本人も踏ん切りがついたと言っていました。ただいつまた落石があるかわからないので、立ち入り禁止にしているのです」
「その集落は、村から離れているのですか?」
「いえ、うづき屋の裏手の山の中腹です。旅慣れている嶽一さんなら、二十分もかからないと思いますよ」
そんな話をしていると、敷物の隅に《宮木》の枝を束ね、山と積んでいる店を発見した。
どうやら店主も扱いに困っていたらしく、話はトントン拍子に進み、輪の表情から察するに、いつもよりも安く仕入れることができたようだ。
「ありがとうございます、嶽一さん。お陰さまでいい買い物ができました」
「よかったですね」
「そうだ、昼食はもう決めていますか? まだでしたら、どうぞ家にお越しください。お代は結構ですので」
「いえ、そこは払います。その方が気兼ねなく食べられるので」
「では、いつも通り腕によりをかけて作らせていただきます」
燦々亭の開店までまだ時間があったので、嶽一は輪と別れ、一度うづき屋に戻ることにした。
玄関をくぐると、料理の下準備をしているらしく、いい匂いが嶽一の鼻をくすぐった。思わず口元を緩めていると、ドタドタと足音を立てながら桂が階段を下ってきた。
「桂さん、ただいま戻りました。まだ出かけていなかったのですか? それとも、何か忘れ物でも?」
嶽一が声をかけると、桂は、はっと顔を上げた。
「嶽一さんっ!」
桂は嶽一に駆け寄り──目の前でピタリと足を止めると、背筋を伸ばし腰を直角に曲げた。
「ぼくを本当に弟子にしてくださいっ!」
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