十八、報告

《菜草迷宮》を降り、うづき屋に戻った嶽一は、沈鬱な表情で座卓に向かっていた。

 座卓の上には紙と万年筆が置かれている。

 真っ白な紙を見下ろし、嶽一は「はぁ……」とため息を吐いた。

「……報告書、書かないとですよね……」

 文字を書くのが嫌いなわけではない。文章も読みづらいと言われたことはない。しかし、文字を書くなら絵を描きたい、というのが嶽一の本心だった。特に今日は色々気を張って疲れているので、真っ白な紙を前に、絵を描けないというのは嶽一にとって拷問に近かった。

「岩蔵課長補佐は三日以内と言っていたので明日でも……いやいや駄目です駄目です。今、書きます。今、書きましょう。──えぇ、わたしは大人なので、ちゃんと今、書きますよ」

 しっかり自分に言い聞かせ嶽一は万年筆を手に取った。

 まずは、奈須汐原に新たに生じた《迷宮》について。

 次いで、今回の《菜草迷宮》に昇ることになった経緯と〈童子〉──鳴について。

 書き出してしまえば、後は早かった。

 万年筆が文字を綴る音が部屋に響き、溶けていく。

《出口》を使って一階に戻った嶽一と少年たちは、胡胡と合流し、すぐに《社》を後にした。

 昊と桂は、《鳥居》からある程度離れたところで網代笠と道中合羽を脱ぎ、各々帰路についた。胡胡とも途中で分かれ、嶽一は鳴と共に《菜草御厨支部》に向かい、支部長である山口正成に、鳴を《社》で保護した子供として紹介した。

 正成とは事前に、鳴が《迷宮》を出ることになった場合を含む、様々な事態を想定し、どうするか取り決めていたので、手続きなどは滞りなく済ませることができた。

 鳴の素性については、あまり嘘を重ねると誰かに指摘された時、一気に瓦解してしまうので、真実を織り交ぜつつ隠すという形で落ち着いた。

 鳴を伴ってうづき屋に帰ると、待ち構えていた桂によって宇津木家の住居に連れて行かれ、用意されていた昼食を、少し遅れてやって来た昊も交えてご馳走になった。

 ちなみに、《社》を出た際、少年たちは、中天にかかる太陽を見て驚き、《迷宮》を昇って数時間しか経っていない事実に唖然としていた。それだけ《迷宮》での出来事は、少年たちにとって濃厚だったのだろう。

 腹を満たした少年たちは、しばらくおしゃべりをしていたが気がつくと全員眠っていたので宇津木家の方々に任せ、嶽一は自身の部屋に戻り、報告書に取りかかったのだ。

「……うん。大丈夫そうですね」

 不備がないことを確認してから、嶽一は頭陀袋から漆塗りの文箱──《人工神器・飛文とびふみ》を取り出した。恐ろしげな閻魔さまが描かれた蓋を開け、報告書と、『鬼子母神』と書かれた紙片を入れ、蓋を閉める。もう一度蓋を開けると、報告書と紙片はなくなっていた。

「ふぅ~……」

 文箱を頭陀袋にしまってから、嶽一は押し寄せてきた解放感と虚脱感に従い、座卓に突っ伏した。身体に力が入らない──動きたくない。

 そのまま、ふっと意識が途切れた。


               ※


 気がつくと嶽一は夜空のような闇の中にいた。

 直前まで何をしていたのか思い出せないが、不思議と恐怖はなく、むしろ生暖かい水の中を揺蕩っているような安堵感に包まれていた。

 立っているようだが何かを踏んでいる感触はない。浮かんでいるというわけでもない。

 遠くに黒い人影が立っていた。

 大人ではあるが、男女の区別はつかない。微かに甘く爽やかな香りが流れてくる。

 嶽一が人影を見ていることに人影も気付いたらしく、すっとどこかを指差した。

 細く長い指が指し示す方向に顔を向けると、《鳥居》の形をした影の下に、子供の大きさの黒い人影が立っていた。

 嶽一は人影の方に向き直った。

 人影が揺れ、それに合わせて夜空のような空間全体が揺れ出した。そして、


 ──た……て……こど…た…………──


 声のようなものが確かに聞こえた。


               ※


 リーン……リーン……と鈴のような音に急かされ、嶽一は目を開けた。

 まだ外は明るいが、夕刻の気配が感じられる。

「あぁ、少し、寝てしまいましたか……」

 身体を伸ばしてから《人工神器・携帯》に触れると、淡い光の中に小さな三築彦が現れた。

 嶽一は、《撰師》の顔で疲れた様子の上司に挨拶をした。

「こんにちは。岩蔵課長補佐」

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