第26話 中学3年間とにかくABBAは流行り続ける

 聴き始めは小5で、さらに中学3年間もFM東京の土曜昼下がりの邦洋のベストテン番組ってものは両方聴き続けで、ここではほぼ邦楽の「コーセー歌謡ベストテン」の話に集中してきていたのだが、洋楽の「ダイヤトーン・ポップスベストテン」について特に、あの時のあれ、ってのがスラっと出てこないのは、宮川泰の印象に残る批評、に相当するものはなく、番組自体サラっと進行していく類のものだったからだが、中学3年間の間はABBAがひたすらチャートを賑わせていた印象がただただ強いのであって、自分の家にも『グレイテスト・ヒッツVol.2』あった。自分が買ったのか、カーペンターズや森山良子を好む親が買ったのか、最早覚えていないんだがとにかくあったし、なにしろ聴きやすいので、カーペンターズや森山良子を聴く時のような心持で聴いた。


 カーペンターズや森山良子を聴く時のような心持、とはいったいどういうことかというと、これらは小学生の頃から、チャートうんぬん、流行うんぬん、とかそういうことと関係なく「和み」目的で聴くわけで、その「和み」目的っていうのはそりゃもう単純に、その時「恋」していた対象の女子を思い浮かべながら聴くのである。


 自我の芽生え遅かった件はさんざん書いたわけで、そういうのもあってこの「恋心」ってのに気づいたのは、小4の時で、ここから最終回まで、その類の話題で人名ガンガン出すけど、それは全て仮名です、と言っておく。(仮)とかいちいち書くの面倒くさいし。


 で、小4の時の同級生の飯田さんに抱いた思いってのが、ああ、これが「恋心」というやつだなあ、とさすがに自分もわかった。しかし特に何もせずクラス替えになり、それはそれで自然に何事もなく終わった。


 で、小5の時の同級生の吉田さんも同様に、ああこれは「恋」だなあ、となり、しかも小6のクラス替えも同じクラスでラッキー!となり、なんというか特に「男女交際」に至るっていうようなことにはならなかったのであるが、小6の途中くらいから、明らかに自分が秋波を送りまくりなのを吉田さんも気づいて、でなんとなく互いに意識し合ってる風なところはあって、ってのがあったにも関わらず、自分が引っ越しで「転校」のようなかたちで別々の中学に通うということになったので、そこで自然の「別れ」になった。


 で、この「恋心」を抱きつつ、「恋心」を称えるような歌を聴いていると実に気持ちのよいことであるよなあ、っていうのはこの吉田さんに恋する小5の時に遅ればせながら気づいて、その時のお伴にカーペンターズや森山良子のベスト盤をヘビロテで聴いてた、ということだ。


 で、さんざん、今まで、小説ズリネタにした件とか、エロい級友に恵まれていた件とかも書いてきたが、しかしお読みいただければわかるように、音楽とエロはほとんど結び付けてはこなかったし、むしろそんなことはやめろー、くらいなことを主張してきたわけで、ここでそれが効いてくる。


 つまり、吉田さん吉田さんああ吉田さん吉田さん、と詠嘆しながら、カーペンターズや森山良子を聴いてるその右手は上下に動いてなかったし、ズボンやパンツをずり下げてはいなかった、ということだ。いわゆる「プラトニック・ラブ」というやつですね。


 さてアラ還の者がこのように書いてる、ということは、べつに「そうであらねばならぬ」ということではないし、単に事実そうだった、ということであって、そこらへんは誤解なきように。


 というか昨今議論の的になっている「包括的性教育」のもとだと、この自分の感じは、「小5にしては知識が足りないですね」って話になるんだろうし、もうちょっと勉強しましょう、ってなるってことでいいんすよね。確か。どうなんすかね。


 そういう教育受けずに過ごした者から言わせると、「包括的」?うるさい!放っておけ!って話なんですけどね。


 ってことで、とにかく自分の書く「恋バナ」、これすべて「包括的性教育」なんぞ影も形もなかった、ほぼ放っておかれた者の「恋バナ」である、と事前に認識しておいていただければお若い方の抱く「違和感」みたいなものも軽減されるんでしょうね、とかなんとか一応エクスキューズをいれておく。


 で、この流れで云えば、直近で触れた「カレン」の件だが、自我の芽生え遅いというのもあった関係で、おそらく「恋とは何か君は知らない」の状態であったと思うし、そりゃ相当ながいこと一緒に遊んでたわけだから「好意」は抱いていたのは間違いないだろうが、惚れた腫れたのコミュケーションの仕方はしてなかったと思う。


 さて吉田さんを思い浮かべながら聴く、森山良子のベスト盤で、特に思いが盛り上がる曲といえばやはり『恋人(作詞山上路夫作曲村井邦彦)』だな。


 なにしろ、

「人は何故に 死んで行くの 恋人たちさえも いつか 愛し合った 二人のため とわの命だけが 欲しい」

ですからね、サビが。


 まさに純愛至上主義ここに極まれり!なのであって、しかしそういう気分で吉田さんのことを思い浮かべながら聴くと、とにかく気分高揚するのであった。しかも「包括的性教育」受けていないので、ちょっと触れる、抱擁する、くらいなレベルの想像でよいわけなのだった。


 で、触れもせず、で終わった。


 さてそして中学だが、まずその1年の頃のユーフォの先輩、小川さんというか小川先輩に対する思いってのは憧憬半分恋心半分って感じで、もちろん「告白」にいたる、っていうようなど根性は持ち合わせてなかったんだけど、物凄く強く記憶に残る出来事が最後にあって、吹奏楽部の卒業お楽しみコピーバンド大会で、その小川先輩

がなんの前触れもなくいきなり黄色系の「ピンクレディー」コスで、SOSの振り真似して去って行ったのだった。


 あまりのことで気絶しそうになったが、しかし一瞬の出来事で、曲終わったらそそくさとはけていって、元の普通の制服の恰好に戻るの早かったと思う。


 そして中2のエロクラスで同級になり、もともと部活一緒でフルートの小倉さんに恋心を抱き、諸々の経緯があって「交際」にいたるのであるが、そのへんの細かいことは一旦おき、「恋」と「音楽」の件だけに集中すると、この小倉さんとの「恋」の時のお伴の音楽が大流行中のABBAということになるわけだ。そりゃもうそうなる。


 グレイテスト・ヒッツVol.2をカセットにダビングし、寝しなにヘッドフォンで聴きながら小倉さんを思うのである。右手は動かさないズボンはおろさない。


 もうこの頃までに、エロ級友どもに実質的な包括的性教育を受け終わったような状態ではあったのだが、ABBA聴きながら小倉さんを思う時、ズボンはおろさず右手は動かさない。もう音楽とエロを結びつけないことが完全に「習慣」になっていたわけなのだった。


 くどいようだが、これは自分を「聖人」にみせかけようとして言ってることではない。よくよく思い出して欲しい。既に幼少時から「西洋古典音楽」のLPを黙って座って大人しく聴き続け、物事が静かな進行することに対する耐性を身に付けていることであるよなあ、この子は!というようなことを彷彿とさせるあれらの場面を。


 モーツァルトやベートーヴェンで指揮真似しまくってLP盤の溝に傷つけるくらいな熱中ぶりだった、ということを。


 それらの行為に「性欲」の介入する余地など何もないではないか。


 いや、「随分嫌味なガキだったんすね」っていわれりゃ返す言葉もないが。


 というわけで、小倉さんを思いながらのABBAというこの選択には、単に家にあったからってだけでなく、小倉さんもABBA好きだってのはわかっていたからで、それも伊達や酔狂じゃなく、交換日記で洋楽好き、ABBA好き、アニメ好き、という趣味嗜好の話題はかなりな情報量で行きつ戻りつしてて、ABBAナンバーでもとりわけ『チキチータ』好き、ということを強調していたのであった。


 チキチータ、ああ小倉さん、チキチータ、ああ小倉さん、

というような日々であった。










 





 



 





 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る