第二章:新薬カシコナールの開発

 当初、社長の反応は芳しいものではなかった。


「ほんまに売れるんかなぁ、それ? 考えてみ? 病気の人間とちごーて、健康な人間は別にその薬飲まんでもえーねんで?」


「それでも、売れますよ」


 俺は、最大限自信ありげに見える態度でうなずいた。こういう馬鹿は、論理よりも提案者の態度で勝率を判断するからだ。


「何故なら、健康な富裕層ほど欲望は尽きないものだからです。せっかく金はあるのだから、それを使っていつまでも強く美しく若々しく、そして賢くありたい――そうした彼らの欲望に応える薬の開発こそが、医療費自己負担割合引き上げ以後苦境に陥っている我が社が生き残る唯一の道と言っても過言ではありません。一昨年に米国で売り出された老化を抑える薬が富裕層の間で人気を博し、それを開発した企業に大きな利益をもたらしたのを覚えていますか? それと同様の戦略なのですよ、これは」


 社長は目を細めて俺の提出した資料を見ながら、がりがりと頭を掻いた。


「そやけど、その薬を売り出したとこって確か、こないだ潰れんかったっけ?」


 おっと、さすがにそのくらいの情報は持っていたか。だが、もちろん俺だってその点は百も承知だ。


「それについては、別の主力製品に関する不正が明るみに出たことが原因であり、件の抗老化薬とは無関係です」


 俺はすぐにペースを取り戻して、説明を続けた。


「とにかく、学習能力強化薬はまさにそうした富裕層のニーズに応えるものです。この薬の優れた点は、使用者が購入者本人に留まらず、その子供、場合によっては孫にまで及ぶということです。


 考えてみてください。抗老化薬であれば、成人の購入者が自分自身に使用したいと考えることはあっても、まだ年若い子供や孫にまでわざわざ使わせようとはしないでしょう。しかし学習能力強化薬であれば話は別です。学習塾や私立校の隆盛を見れば分かるように、子供に高レベルの教育と学歴を与えるためには金を惜しまない親は少なくありません。しかも、その傾向は富裕層ほど強いと言っても過言ではないでしょう。


 また、自らが勝ち組であり続けるためには子供だけでなく彼ら自身の頭脳も強化したいと考えるはずです。つまりこの薬は、購入者一人につき二人分かそれ以上が売れるということです」


 社長の説得に成功し、資金を得た俺達は、それを使って化合物の探索を開始した。そしてついに学習能力強化作用は有り、副作用がほとんど無い化合物を見つけ出すことに成功したのである。


 しかし順調に進んだのはここまでだった。


 この化合物、注射した場合は効果があるものの、飲み薬として使った時は効果が見られなかったのだ。消化管から吸収された場合、脳に到達するよりも先に分解酵素が多量に存在する肝臓を通り、そこでほとんど分解されてしまうのが原因だった。


 治療用の薬であれば、毎回病院で注射するのでも良いかもしれない。しかしこれは、健康な人間が日常的に使う薬なのだ。しかも主要なターゲット層には子供も入っている。子供が注射を嫌うのは言うまでもないが、大人だってそうそう頻繁に注射を打ちたくはないだろう。このまま市場に出しても、ろくに売れないことは火を見るよりも明らかだった。


 俺達は、何とかこの化合物の分解を避ける方法はないかと必死で模索した。


 一人の研究員が、ある米国企業が全く別の目的で開発した薬に、分解酵素を阻害する作用があることを報告してきた。

 この薬を併用すれば、学習能力強化用の化合物を飲み薬として使うことができる。肝臓だけでなく脳での分解も抑えられるから、化合物の必要量が少なくなり、原価を抑えられるというおまけつきだ。


 ところがうまくいかないもので、この薬を開発した企業は今年に入ってから潰れており、その特許はとある富豪の手に渡ってしまっていた。その富豪は、この薬を売り出すことに興味が無いのか完全に放置しており、そのくせ特許を他の者に売り渡すことも拒んでいるらしい。そのせいで、この薬は今ではどこにも売っていないのだ。

 そのため、昨年購入していたものを使い切ってしまうと、それ以上はもう手に入れることができないのである。


 事態が再び暗礁に乗り上げたと思われたところで、別の研究員が新たな提案をしてきた。


 鼻から吸入させることで、嗅神経などを介して直接的に脳へ化合物を送り込めそうだというのだ。これならば途中で肝臓を通らないため、分解を回避できる。


 この案はうまくいき、ついに俺達は学習能力強化薬を完成させることに成功した。


 この時が、俺の人生の絶頂だったのかもしれない。

 不満があるとすれば「薬の効果が分かりやすいから」という理由で、社長がこの新薬を『カシコナール』などという間抜けな名前にしてしまったことくらいだった。

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