赤色の真実 ~なぜ赤飯は赤いのか?~

貴音真

赤飯 ~飢饉と稲作が生んだ風習~

『慶事には赤飯を炊いてお祝いする』


 これは古来より伝わりし日本の文化である。

 だが、その由来の隠された真実を誰も知らない。

 始まりは紀元前、大陸より伝えられたとされる稲作が日本に広まる以前のことだった───


 地獄とは、うてもうても救われぬ無限の苦しみを表す比喩なのだろうか、それとも嘗て起きた事実を表しているのだろうか……


 その年はまだ寒さの残る初春から暑さが収まる晩夏に渡って厳しい旱魃かんばつが続き、ようやく訪れた実りの秋には本来の豊穣とはかけ離れた不毛なあれが広がり、魚を含めた野性生物は勿論、それらの生物達を支える植物ですらもその生命力を失いつつあった。そんな凶作の年に追い打ちをかける様に発生した蝗害こうがい、相変異と呼ばれる現象がもたらす無数のバッタの群れの大移動は痩せた大地を丸呑みにする様に喰い荒らし、飢餓に倒れた動物の死骸だけでなく生きた動物にすらもまとわっては無作為に喰いついた。それらの現象は人間にも等しく猛威を振るい、訪れた飢饉は人々の心身を蝕み、各地で人喰ひとくいが横行すると共に人喰を原因とした疫病が蔓延した。

 そして厳しい冬が訪れた……

饑文字ひもじい……」

「殺してくれ……おらを殺して生きてくれ……」

「家族のためにその身を捧げなさい……」

「御天道様は助けてくれない……だから私は私だけを助けます……」

 その冬、人々は互いに支え合う一方で互いに奪い合った。

 文字通りその身を捧げて他者の空腹を満たす糧となる者、空腹を満たさんがために他者を殺めて食する者、老若男女を問わず互いに与え、そして奪った。

 数人、数百人、数千人、数万人……

 日を追う毎に死者の数は増えていった。

 寒さすらも忘れる程の苛烈な飢饉は人々の心に絶望と教訓を与え、再びの実りが訪れて解消された頃には当時の日本の総人口の七割近くに当たる数の人々が亡くなったが、その死者の内の半数は人為的に命を奪われた者達だったという。

 史料すらも残されていない時代に発生した未曾有の大飢饉、それから数百年の時が過ぎた頃、大陸から稲作という文化がもたらされた事によりそれまでは一部の家畜の育成のみに頼っていた食料の自給は急激に高まり、稲作の伝来以前と以後では飢饉の発生頻度は劇的に減少した。だが、稲作が始まった後もまた飢饉は繰り返し発生し、ある種の災害とも言える防ぎ様のない飢饉を恐れた人々の中である時、一つの風習が生まれた。

 それこそが『赤飯』だった。

 あまり知られていないが野生の稲より獲られる米はその殆どが赤色をしており、稲作により収穫されていた米は元来白色を帯びた白米ではなく赤色をした赤米であったと言われている。だが、年月を重ねるに連れていつしか米は白くなり、現代に於いては白米こそが正式な米であると認識されている。

 しかし、人々は飢饉の頻度を激変させた『救世主』とも言える初期の稲作により獲られた赤色の米を忘れていなかった。知識はなくとも遺伝子情報により刻まれた本能的により人々は無意識の内に赤米を崇めていたのである。

 そうして人々は『赤飯』を炊き始めたが、当時行われた米の着色方法もまさしく飢饉に由来するものと言って相違ないものだった。

 稲作で獲られる米が既に白く変わっていた頃に行われた『赤飯』の着色方法、それは、にえとして捧げられた赤子の生き血で米を炊く事によって行われたと言われている。


『慶事には赤飯を炊いてお祝いする』


 そのお祝いの赤色は嘗ての飢饉と赤子の生き血に由来している事を誰も知らない。

 そして、人々はまた赤飯を喰う。

 遥か昔の飢饉と生き血を獲るための贄として捧げられた赤子をおもんぱかる事もなく……

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