貴方の薔薇色、私の薔薇色
惟風
二十代女子に執着してるアラフォー
「僕が薔薇、と聞いて真っ先に思い浮かべるのは少し濃い桃色のような、薄い赤色のような、そんな色です。恐らく一般的にもそうだと思います」
マティスは目の前に浮かぶ青い流線形の魔物を見据えて言った。
青。空ではなく海のそれに近い深い色合いの身体だった。
「でも、貴女は薔薇の名を冠する魔物なのですよね」
マティスの目の前を漂う巨大な魔物は、返事をする代わりに人型に姿を変えた。青黒い肌、青い髪に薔薇(当然こちらも青い)の髪飾りを付けている。
「ええ。貴方達人間の間ではそうかもしれないけど、私にとって薔薇と言えば青なの。価値観の違いってやつかしら」
長身のマティスより更に背の高い女性になった魔物は、声色は低く落ち着いていた。
「僕に合わせてくださったのですね。ありがとうございます」
見上げる姿勢での会話に新鮮さを覚えながら、マティスは背中の荷物を担ぎ直す。
旅人マティス。元魔王の入った鞄を背負い、世界中を旅して回る男。
赤、黄、白、黒……見渡す限り色とりどりの薔薇が咲いている薔薇園にマティスは立っていた。暖かな日差しの中、息を吸うと胸いっぱいに甘い香りが広がる。楽園に来ているかのようだった。自分の意思で来たのではない。母国に帰る途中で、幻術に巻き込まれ気がついたらここに居たのだ。
話に聞いたことはあったので、この魔物の正体は知っていた。
それは薔薇の名を冠するサメの魔物だ。
異界とこちらの世界の狭間で咲き誇る広大な薔薇園を守る番人である。
「急にお呼び立てしてごめんなさいね。貴方が私の恋人に似ているものだから、ちょっとお話したくなっちゃったの。声がね、本当にそっくりで」
魔物は青く長い髪を揺らしてひっそりと笑う。薄く開いた横長の口からぎざぎざとした鋭い歯が覗く。人型であっても、噛み付かれたらひとたまりもないだろう。
マティスも口の端を持ち上げた。
「顔の骨格が似ていると声も似ると聞いたことがあります。貴女の恋人もさぞ私のような男前なのでしょうね」
『自分で言っちゃうんだ』
マティスの鞄から元魔王の声が響く。
いつの間にか側にテーブルセットが用意され、温かい紅茶まで淹れられていた。甘えて白い椅子に掛けさせてもらう。魔物も対面に座る。
「ふふ。確かにそう、私の恋人はハンサムよ。それで貴方の声に懐かしくなって、少しだけ、お喋りに付き合って欲しくなっちゃったの。もうちょっとだけ声を聴かせてくれないかしら。危害を加えるつもりはありませんから。まあ、そうしようと思っても私には無理でしょうけど」
後半の言葉はマティスではなく元魔王に向けてかけられたものだった。元がつくとはいえ魔王である存在に軽率に手出しできる魔物はいない。マティスの背中にこの魔族の王がいる限り、マティスは何者にも脅かされない。
魔物はアスールと名乗った。腰まで伸ばした青髪を時に指で弄びながら、数百年前の恋人との出会いについてを話し出した。全くの偶然により異世界から迷い込んできた若い人間の男に、アスールは一目で恋をした。鞄の中からはマティスの表情は見えないが、サメの魔物の恋物語に聞き入っているのが元魔王にも感じとれた。
「あの人は元の世界に戻りたがっていたのだけれど、こちら側に来てしまった人間があちらに戻るのって難しいでしょう。それを納得してもらうのが本当に大変だったわ」
「まあ、すぐに受け入れられるものではないでしょうね」
難しい、どころの話ではなく、不可能なことだった。魔物ならいざ知らず、人間が異界の壁を二度越えることはできない。どんな魔術を使おうと、肉体も精神も耐えられないのである。それでも、一度できたことならもう一度できるはず、と夢見てしまうのが人間である。宥めるのは生半なことではなかっただろう。
「天涯孤独は寂しいだろうけど、私が生涯貴方の側にいるから、って何度も言い聞かせてやっと落ち着いてもらったの。私には人間と違って時間はたっぷりあるから、粘って粘ってやっとよ。自分がこんなに辛抱強かったなんて思わなかった。恋人同士で静かな時間を共に過ごすのって本当に素敵ね」
アスールは薔薇園の中心の方を眺めて目を細めた。そこにはアスールの髪の色に似た青い薔薇が咲き乱れている。確かにこの薔薇園は静かだ。鳥の声さえしない。風が無いせいで葉擦れの音もしない。
「きっと、彼の混乱が収まるまで本当に耐えたんでしょうね。それでも」
マティスもアスールと同じ方向を向いて呟く。
「愛した人の声を奪うのはいただけませんね」
浅く腰掛けていた椅子から立ち上がり、マティスは薔薇園の中央に向かって歩き出す。生い茂った青い花弁を横目に奥へ進んで行くと、ぽっかりと茂みの無い場所があった。青い長方形の箱が鎮座している。
薔薇の模様が装飾されたその棺の上部に手をかける。蓋は難なく開いた。見た目よりもずっと軽かった。
中には、白髪の痩せ細った老人が横たわっていた。額、眉間に深い皺が刻まれている。それは老いではなく悲しみと苦悶によってできたもののようにマティスには見えた。
白い首元、白い手首に、黒い文字が紐状に浮いている。
「だって、いくら愛していても、連日連夜泣き叫ばれてしまってはね。こっちが参ってしまって」
背後からアスールの声が飛んでくる。罪悪感の欠片もない音だった。やましさが無いからこそ、マティスの問いに素直に答えるし、棺の中を確認することも咎めない。
風の無い薔薇園だが、空気の流れは微かにある。そのそよぎに触れた老人の瞼が、うっすらと開いた。マティスを視界に捉えると軽い瞬きの後に視線が揺らぎ、数瞬後に大きく見開かれた。骨の浮いた手足は震えはするが動かない。精一杯に口を開閉するが、呼吸音が鳴るのみだった。激しく上下する胸の動きが虚しい。
「声を奪い、延命治療で無理やり長生きさせて、この棺に監禁しているんですね」
アスールの口ぶりでは、恋人との出会いは数百年前のはずなのにその存在についての語りは現在形だった。死んだとも言わなかった。だが声についてだけは「懐かしい」と過去のものとして振り返っていた。
老人を見下ろすマティスの声は平坦なもので、憤慨も軽蔑もなく、純粋な確認事項の質問がなされただけのように乾いていた。
「保護しているのよ。延命もそろそろ限界だから、近々寂しくなってしまうけど」
「それは、残念ですね」
マティスは老人の喉元に向かって指を伸ばす。と、頭上に影が差した。見ると、アスールがサメの姿に戻って大口を開けていた。マティスが横に飛び退くのと鞄から元魔王の触手が伸びるのは同時だった。アスールは身体を捻って尾鰭で触手を弾く。土煙と花びらが巻き上がる。
「彼に何をしようとしたの」
「僕に何か伝えたがっているようなので、聞いてみようかなと」
「余計なことをしないでちょうだい。私、人間の泣き声大嫌いなの」
「愛する人の思いを聞きたい、願いを叶えてあげたいとは思わないですか」
「ええ」
即答だった。マティスもさして驚かなかった。魔族とは元来そういうものだ。人間とは価値観が違う、それこそ「薔薇色」と聞いてイメージする色が違うように。友人としてマティスの鞄に収まっている元魔王の方が異質なのである。
アスールはもはや殺気立っている。その青い巨体を元魔王の触手が貫くが、アスールの身体は大量の青い花びらに変わって散った。無風だった薔薇園に強い風が吹き、色とりどりの薔薇の花弁がマティスの視界を埋める。
「大人しくここにいれば、美しい薔薇に囲まれて穏やかな時間を過ごせるんだから彼にとっても幸せでしょう。外の世界は孤独な者に厳しいことだらけ。身体も心も飢えて野垂れ死ぬより、私にお世話されて私のことだけ見ていれば良いのよ」
マティスの背後からアスールの声が響く。振り返っても薔薇が散っているばかりだ。ここはアスールのテリトリーなためいつものように元魔王が瞬殺、というわけにいかなかった。マティスが幻術に弱いのも不利な要素だった。
だが。
『やっぱり薔薇といえば赤だよ』
多少相手に有利な条件が揃っていたところで、元魔王の勝利が数分遅れるだけだった。
赤黒く硬質化させた触手は巨大な刃物も同然となり、マティスを中心に薔薇園をぐるりと円状に切断した。間を置かずに縦にも斜めにも、あらゆる角度から空間を切り裂いた。
細切れになったアスールの肉片が、真っ赤な血の雨と共に降り注ぐ。マティスにも、もちろん棺の中にも。
元魔王は別の触手を棺の中に伸ばす。
『この人もうとっくに寿命だから、流石に食べちゃうよ』
「ちょっとだけ、待ってもらえますか」
マティスは老人の首元に刻まれた呪文を指を這わせながら解読すると、鞄から一枚の紙片を取り出して老人の喉元に当てた。解呪の魔法陣が印された護符だった。声の封印が解かれた老人は、掠れた音を口から吐き出す。いつ死んでもおかしくないほどの状態でいきなりの発声は難しいようだった。
それでも、老人の口の両端は持ち上がり、両目は細く弧を描いた。マティスは老人の右手を取って軽く握手をすると、棺に背を向けた。
「もう大丈夫です。できるだけ、苦痛の無いようにしてやってください」
『任せて』
マティスは目を閉じて俯いた。元魔王の捕食は常に素早く、音も血も出ない。その刹那の間、マティスは祈りを捧げた。
旅人マティス。「人間を捕食しない」という約束を元魔王に取り付けた男である。今回は例外中の例外だが、それでも胸は痛んだ。
『ね、相手に自分を押し付けるだけの行為なんて愛でも恋でもないでしょ マティスも振られたんだから相手の幸せのためにきっぱり諦めて』
「そうですね。愛しているなら、最大限相手の幸せを願ってそのために行動するのが一番です」
『良かった やっとわかってくれ』
「他者からハンサムのお墨付きを得たことですし、イイ男に惚れられるのは幸せなことのはずです。僕の魅力が伝わるまで暴力以外の手段でアプローチするのみで」
『今の経験からよくそんなゴミみたいなポジティブ拾えるね』
旅人マティス。人間を愛し、弱き者のために心を砕き行動できる男。彼の奇矯な言動に元魔王が振り回されている間、世界は平和なのである。
貴方の薔薇色、私の薔薇色 惟風 @ifuw
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