一億年後の猫年は

根ヶ地部 皆人

一億年後の猫年は

「来年は猫年ねこどし?」

 子供の頃、結花ゆかは正月にそう訊いていたそうである。

「ねーうしとらうーたつみー!」

 今年も猫年ではなかった。猫年はいつ来るのかと。そう毎年言っていたそうである。

「うま!ひつじ!さるとりいぬいーっ!!」

 十二支に猫がいないのは不公平だと、そう主張したそうである。

 結花自身は、覚えていない。

 大学も卒業して就職二年目の彼女は、そんな記憶はもう持っていない。

 隣で丸くなって眠る愛猫のミーちゃんを見ながら、炬燵こたつに足を突っ込んで思う。

「十二支に猫がいないのは不公平だ」

 そんなことを言った記憶は本当にないし、その言葉に同意もできない。

「十二支に猫がいないのは間違ってる、なんだよねえ」

 呟くとミーちゃんが薄目を開けて「なう」と鳴いた。


 ミーちゃんが家に居着くようになったのは、結花が物心つく前後だったらしい。

 結花にとっては昔から家に居る家族である。

 クレヨンでお絵描きをするときも、合唱コンクールの課題曲の練習をするときも、受験勉強のときだって、いつもミーちゃんがそばにいた。

「なーぁう」

 あの頃は、まだそんなふうに元気に鳴いていた。

 ミーちゃんはもうすっかり年寄りだ。

 小さく「なう」としか鳴かなくなった。

 母の言うことには、もう寿命だろうとのことだ。一日中眠りっぱなしなのだそうだ。

「あんた、来年帰ってきた時には、もうミーちゃん居ないかもしれないよ」

 帰省前に心配そうにそう言ってきたが、その言葉はミーちゃんよりも結花を心配しているようで、少し腹立たしかった。

「ミーちゃんも家族なのにね」

 結花がそう言うと、ミーちゃんは興味なさげに眼を閉じた。

「ちがうか。わたしたちがミーちゃんの家族なんだ」

 ミーちゃんはまた薄目を開けて、結花を見上げてニィッと笑った。


 不思議の国のアリスに出るチェシャ猫は笑うが、ミーちゃんもよく笑った。

 しかし、結花以外の誰もがそんなことはないと言うのだ。

 笑い顔を作る動物は人間だけだと、そう言われ続けてきたのだ。

 唇を尖らせてミーちゃんを見ても、そんな時は澄ました顔を向けられるのだった。

 だから、ミーちゃんが笑うのは結花とミーちゃんの秘密なのだ。

 中学生の頃、帰宅した結花は玄関前で黄色い小鳥を食べているミーちゃんを見つけた。

「ミーちゃん、何食べてるの?」

 そう訊くとミーちゃんは結花にニィッっと笑って、鮮やかな黄色の羽を口の中に証拠隠滅してしまった。

 その夜、近所のおばさんが飼っているカナリアが逃げ出したと聞いた時、結花はこっそりミーちゃんを見た。しかしミーちゃんは「そんなこと知りませんよ」と澄ました顔でキャットフードを食べていた。

 だから、ミーちゃんが笑うのは結花とミーちゃんの秘密なのだ。


 賢いミーちゃん、優しいミーちゃん、どうして猫年は来ないんだろう。

 口にした記憶はないが、子供の頃からそう思っていたのは間違いない。

 こんなに素敵な生き物が、こんなに美しい動物が、どうして十二年のうちに一度も主役になれないのだ。

 世界の主人は猫なのに。

 世界は猫のものなのに。

「結花ちゃんは猫が大好きねえ」

 そう言われるたびに、内心はらわた煮えくりかえったのを覚えている。

「猫は媚びないもんねえ」

 そんなことはない。餌をねだる猫がどれだけ媚びた声を出すのか知らぬのか。

「猫の孤高のところがいいよね」

 そんなはずはない。夜ごと猫たちが集まって集会サバトを開くのを知らぬのだ。

 猫は自由なのだ。

 猫は何をしてもいいのだ。

 誰が何を言おうと世界は猫のものだ。彼らはそれを知っているから、世界の支配者としての余裕があるから、かりそめの従属も束縛も鼻で笑って流しているのだ。

 それが猫なのだと、結花は子供の頃から声を大にして言いたかった。

 でも、そんな時はミーちゃんが結花に向かってニィッと笑うのだ。

 黙っていなよ、それは秘密なんだよと、口止めされてしまうのだ。


 眠る老猫を見ながら思う。

 きっといつかは猫年が来るのだと、今でもそう信じている。

 くるくる回るサイクルのなかで、どこかでかしゃんとギアがかわって、世界の主人が猫に戻って、猫の年がやってくるのだ。

「来年は猫年?」

 でも次の年も、その次の年も猫年ではない。

 十二支を十二回繰り返して、それをまた十二回繰り返しても、きっと猫年はやってこない。

「ねぇ、ミーちゃん。もう疲れたよ」

 人間様が回す人間社会の人間たちが、結花を責めさいなみ続けるのだ。

 いつか猫年にならないものか。

 早く猫年にならないものか。

 千年ではなるまい。一万年でもならないのだろう。

 一億年待てば猫年になるんだろうか。

「わたし、そんなに待てないよ」

 九つの命を持つという猫にくらべれば、人間の一生など軽いものだ。くるりくるりと回る十二支のサイクル数回転で消え去ってしまうのだ。

「ねぇ、ミーちゃん。猫年はいつ来るのかな」

 問われた猫は薄っすらと眼を開け、ニィッと笑って「なう」と鳴いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

一億年後の猫年は 根ヶ地部 皆人 @Kikyo_Futaba

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る