ホテルニューさわにし:薔薇色

野村絽麻子

薔薇色の頬をしたお客様

 ホテルニューさわにしでは、偶に、とても偶に、極々稀に、新婚旅行とか女子旅なんかの、流行に敏感そうなお客様をお見かけすることがある。

 彼らは大きなピカピカの旅行鞄を携え、薔薇色の頬をして現れる。このひなびた温泉街も、レトロと言えば聞こえは良いがパッとしないホテルも、彼らの目には一周回って最先端の、何物にも変え難い、美しい光景に映っている……ものなのらしい。


 彼らは街に出ると大小の紙袋をいくつも抱えて戻る。この静かな温泉街のどこかには、彼らが喜んで買い求めるような素敵なお土産物が売っているみたいなのだ。


「いまの袋、名物わらび餅って書いてませんでしたか?」

「隣の子の紙袋は名物バウムクーヘンやったなぁ」

「名物……」

「名物なぁ……」

「どこに売ってるんでしょうか?」

「どこやろうか?」


 次々と生まれているらしい街の名物に首を傾げながら、私はホテルニューさわにしの玄関先で箒を動かす。花壇を点検して咲き終わりの花がらを摘み取ってしまいながら、先輩も首を傾げている。

 雪で冷やされた外の空気はすっきりとしていて心地が良い。陽に当たって溶けだした軒先のつららから、ぽたりぽたりと雫の落ちる音がするのも悪くない。風情のある温泉街は、今日もそれなりに繁盛している。

 お土産物なら実はこのホテル内にも売っていることは売っている。

 お土産菓子を生産しているメーカーから仕入れた品々はどれも似たり寄ったりのパッケージに包まれているけれど、売店の売り上げは特に可もなく不可もなしと聞く。という事は、無難なところを攻めた商品の数々は売れていない訳でもないのだ。


 *


「新しいお土産物を開発するというのはどうでしょうか」


 すっかり夜になり、フロント業務を引き上げながら私は提案してみる。提案と言ったって、特別な情熱を持って発言しているという訳ではない。まぁ、ありていに言えば遊びで、もっと言えば冷やかしみたいなものだ。

 すぐに昼間の話題の続きだと気付いた先輩は、愉快そうに口角をあげた。


「ほーん。面白そうやん」


 もちろん先輩だって適当に答えているに過ぎない。私たちはラウンジの隅で、灯りを落とし、ネットをかけられた土産物売り場にそろってパタパタと歩み寄る。

 あらためて見ても目新しいものは無い。どこの観光地にもあるような、変わり映えのしない、定番ばかりが並んでいる。温泉饅頭、カスタードケーキ、ご当地もののおかき、ご当地もののソフトクッキー、温泉を使ったソーダ水。

 ここに例えば新しい名物を作るとしたら。

 爆発的に売れなくてもいい。けれど、それを買い求めるお客様がぼちぼち現れるような、ここでしか売っていない、特別感のあるお土産もの。

 うーん。首を捻ってしばし。ふと、思い当たるものがあった。


「大吉卵店の卵を使った焼き菓子とか」

「大吉卵店の卵を使ったプリンとか」


 私と先輩はほとんど同時に発言し、顔を見合わせ、数秒見つめ合ったのちに吹き出した。駄目だ、思考が被ってしまう。やれやれと頭を振って、温泉で温まることにした。


 *


 翌週、相変わらずの裏方仕事に精を出していると、先輩がバックヤードに駆け込んできた。よっぽど慌てて来たのだろう。ここのところ少し伸びてきたのを耳にかける髪型にしていた前髪が、すっかりとあちこちに向いて跳ねている。


「アミちゃん、ちょっと!」

「何でしょう、先輩」


 手首を鷲掴みにされ、引っ張られるままに人気の消えたロビーを駆けて行く。

 向かった先は厨房で、先輩の指で示す方を入り口からこっそり覗き込めば、そこにいるのは、あの気弱な料理長。甘い香りが漂う厨房。料理長が難しそうな顔で作っているのは……


 *


 ホテルニューさわにしの土産物売り場には、偶に、とても偶に、極々稀に、ささやかな行列が出来ることがある。

 行列の先頭に立っているのは園田先輩で、手際の良いレジ捌きで行列に立ち向かっている。私は少し離れてバックヤードからそれを眺めては、手元の厚紙を折り畳み、ケーキボックスを完成させていく。薔薇色の頬をした彼らが抱える紙袋にはこう書いてある。


「ホテルニューさわにし名物 シェフの気まぐれパンプティング」


 大吉卵店の卵をたっぷり使用したプリン生地を、シェフが気まぐれに焼き上げた日替わりのパンに贅沢に回しかけて焼きあげた逸品。……本当は、前日に余った種類のパン生地を焼いたものなんだけれど、かえってレア感が出たと言うのか、まぁ、そんなことはもう良くて。

 どこから聞きつけたのやら、街から現れた彼らが、頬を薔薇色に染めては幸せそうに買い求めて行くのだった。

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