量産型少女と巨乳という記号

佐伯ハル

第1話

ツインテールに黒い服。赤みの強いアイシャドウ。

ミニスカートから伸びる真っ白な脚。

新宿の街角、ひっきりなしに声を掛けられそうないでたちで、ルカは僕を待っていた。


「こんにちは」


挨拶をすると、ルカはイヤホンを外して僕を見る。

びっくりして、微笑もうとして、はにかんで、表情を瞬く間にコロコロ変えながら、結局はぶっきらぼうにこんにちは、と言った。


顔立ちはどちらかというと美人で大人びた雰囲気がありそうだが、ファッションやメイクをうまく使って「かわいい」のゾーンに入れていた。

全体の雰囲気はガーリー、特に少女性を強調したようなもので、ルカには何とも不思議な魅力があった。

ただひとつだけ、アンバランスな部分があった。


胸。


フリル付きのブラウスが妙にピンと引っ張られていた。端的に言えば”巨乳”である。華奢な体つきなだけに、それは余計に目立った。

意識的に僕は目を逸らす。

こんな「体験の出会い」であっても、変に性的な目で見たくはない。

当たり前のことだけど、わざわざそう意識しなくてはいけないくらい、本能的に目が行ってしまうのであった。




例えば華やかなシーンでは、男性はスーツを着て、女性はドレスを着る。

一段落として、仕事の場であれば襟付きのシャツや、ワンピースが望ましい。

お祭りの日には伝統衣装を着る。観光地では忍者の恰好をしている人もいる。


服というのはその人の役割を間接的に表現する。

特に役割が割り当てられていない日常では、個人の趣向に紐づいて選ばれる。

狙う、狙わないは別として、ユニセックスのように中性的な服が好まれる場合もある。


「可愛らしい服だね」


僕が言うと、ルカはにっこりとほほ笑んだ。


「こういうのが好きなんです。嫌いじゃなかったですか?」


ふっつりと切りそろえられた前髪から、少し悪戯っぽい瞳がのぞく。

黒いブラウスは袖口に少し透け感があり、胸元には小さなリボン、いくつかのフリルがある。

ルカの服も、外見も総じて女性という記号をしっかりと内包していた。


「着られるうちに着たくて。子供の頃はあんまりこういうの着られなかったから」

「そうなんだ。両親の方針?」

「んー、そんなこともないんですけど、そうと言えばそうです」


よく分からない答えに僕は首をかしげる。


「正確に言うと、よく知らないんです。小さい頃、親と離れたから」


その後は親戚の家に暮らしたらしい。

両親の事はルカは何も聞かなかったし、聞かされることもなかった。


「でも、お父さんはきっと蒸発したか、死んじゃったんだろうなって思う。そんな気がするの」


アイスコーヒーの中の氷が、カランとなった。

ルカと会ったのは、たまたま僕が平日休みの時で、カフェもガラガラだった。

少なくとも僕たちのように昼間からだらだらして、急ぐ用事が無さそうな人はほかに見当たらない。

話しているうちに、ルカの口調も砕けてくる。


「保育園だったかな。発表会で、ブラウス着てスカートはいて。かわいい女の子だね、って褒めてもらったの覚えてます」

ずっとかわいい子で居てね、ってお父さんは笑ってました。


彼女の父は僅かな記憶の期間にしかいないが、客観的にはあまり良い大人でもなかったようだ。

酒に酔い、ときどき暴力をふるった。


「色々大変だったんだと思います。自分も大人になってちょっとわかるっていうか」


それでも、ルカは父の事を口にするときは、かすかに憧憬のような響きが混じっていた。

傷つけられ、やがては捨てられても、怒ることもなく、父のまま慕っている。


「体験のメッセージをくれたきっかけは?」

「うーん。まあ、なんとなくです。寂しかったから」

「いままで経験はある?」

「なくはない、くらいです。エッチな経験自体は多いといえば多いかも。たまに風俗でバイトしてるので」

「そうなんだ」

「でも挿入とかはないやつなので、したことあるのはプライベートだけです」

「仕事で男性と関わるなら、休日はそういうの避けたいのかなって思ったけど」

「そういう人もいるけど、あたしはあんまり…普段から何も考えてないので」

「どうして風俗を選んだの?」

「ほかに何もできないから。普通の仕事もあんまりうまくいってないし」

「そんなことはなさそうだけど」

「ありがとう。でも、学校も成績悪かったし。自分で分かるから」

「そっか」


一息ついてグラスを持ち上げようとする

極細の鎖で編まれたブレスレットが手首で光る。

そこにいくつもの古傷があることを僕は見つけた。


「…おっと」


水の入ったグラスを持ち上げると、水滴が滴ってルカの胸元を濡らした。


「大きいね」


何となく、何も言わないのも変なように思えて、僕は素直な感想を口に出した。

胸はルカの大きな”特徴”だった。

性的な記号として、彼女の意志とは無関係に、彼女の個性の一つになっていた。

本人とは何の関係もない。けれど、自然と目につくものだし、少なからず繰り返された話題でもあるだろう。

例えば、背が低い女が「小さいね」と言われるように。


「そうなんですよ」


ほんの一瞬、ルカは微妙な表情を浮かべた。


「嫌?」

「昔はすごい嫌だったけど、今はそうでもないです。仕事には役立ってるし」


僕は思わずクスリとする。


「中学生くらいからもうこのサイズでした。Fです」

「昔は何かあったの?」

「男はこれで優しくしてくれるけど、女が大変なの」

「そういうもん?」

「うん。中学のころとかやっかみ?が酷くて。聞こえるように「デカパイ」とか言ってくるし」

「きついね」

「嫌すぎてサラシ巻いてました」


好奇心で色々と聞いてみたい誘惑にかられたが、失礼だと思いなおしてやめた。


「そろそろ、行こうか」


SMのようなセクシュアルな話題を通じて知り合いながら、この場で彼女の苦悩に触れる続けるのは嫌だった。色々な感情がごちゃまぜになり、僕は二人だけの空間に早く逃げ込みたかった。


失われた少女。現れた女体

ホテルの一室で、僕はルカをあらためて見る。

かわいい。

顔立ちのことではない。普遍的な好ましさのようなものを僕は感じていた。

少女、というテーマに沿ってうまくまとめられたスタイル。

純朴で汚れを知らない、周囲に明るい希望を与える、若さという特権。


「ありがとう」


ルカのグレーの瞳に、僕は惹きつけられる。

カラーコンタクトに縁どられた、妖しい光。


「お洋服、ほめてくれて嬉しかったです」

「…脱がせにくいな」

「いいんです。好きにしてください」


僕は、彼女のブラウスのすそに手をかけてまくり上げる。

黒い、真っ黒い服をまくり上げる。

真っ白な肌。生まれたてのまま隠し続けてきたような、なめらかな肌。


やがて下着がのぞく。

服と肌の間で暖められた空気が抜ける。むわっとするような、女の匂い。

ブラが少しズレて、乳首の赤みが見えた瞬間に、ルカは少女の幻想を失う。

そこにあるのは、まぎれもない女の体である。


かわいいも、女らしい、も身に着けていない肉体。

守るべき少女から、汚してはいけないものから、対等な生身の人間、大人の女に。


ルカの世界は、何も変わっていない。

服を着ている間も、脱いだあとも、変わらず自分を少女だと思い込んでいる。

でも、僕の中ではすべてが変わっていく。

もう神秘ではない。一人の女だ。


あまりの違いに、僕はルカと、ルカ’という別人を相手にしているかのような錯覚に陥る。


「そんな目で見ないで」


下着まではぎ取られた彼女は、消え入りそうなくらい、小さく見えた。


「自分の体が、嫌なの」


手首よりもずっとたくさんの、無数の傷跡がルカの胸元に刻まれていた。

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