初めてと先輩の顔

「ほら先輩、しっかりして下さい!」



時間がないって言う類先輩に申し訳なさそうに押し付けられたハル先輩に肩を貸し、何とかベッドまで運び込んだ私はその場に座り込んだ。



よくやった、私。



身長も体系も違う男の人を運ぶのにどれだけ体力と腕力と根気がいるのかわかった。

もうやりたくないと本気で思う。




ていうか先輩、どんだけ酒癖悪いの。

酔っ払って寝ちゃうのは仕方ないとして、それを介抱する人の身になって欲しい。



まぁこんなふうに文句を言っても本人は夢の中なのだけれど。





溜め息をついてリビングに荷物を置きに立ち上がった。


のに。



「――っ!?」



手を掴まれたと思ったら後ろに体重が移動して。



ヤバイ、と思った瞬間にスプリングの軋んだ音が響いた。



「どこ行くの?」



低い声に、目の前にある整った顔。

その表情のなさに、思わずゾクリとした。



体重をかけて押さえつけられて動くことが出来ない。


先輩の手に掴まれた両手もベッドに止められたまま、動かそうと思っても出来なかった。



「せ……せんぱい?」


「なんで…」


「え…?」


「なんで、今日素っ気無かったの?俺なんかした?」



弱々しい声で聞いてきた先輩の顔が歪む。



「…は?」


素っ気無いって。そんなつもりは全くなかったですけど。



その台詞はよく言われる。

何をしているわけでもないのに、言われる。

それはもう無意識なものだから仕方がないのに。



私にわざと素っ気無くされたと思っているらしい先輩は傷ついた顔をしている。



「…元々です。こういう性格なんです」


「…からかってる?」


「からかっているのは先輩でしょう」


「…は?」



ハル先輩からは想像できないような低い声を出した先輩の、顔から表情が消えた。



「だって先輩、私なんて相手にしなくても遊んでくれる女の人はいっぱいいるでしょう?」



そう踏んだからあのキスだってカウントしなかった。



先輩は真面目じゃない。

少なくとも女関係には。



そんな遊んでいる人の行動をいちいち真に受けてなんていられない。



それが分かっているから私はこの人たちと交流を絶とうとしたのに、いつの間にか巻き込まれている。



それはこの人の気紛れなんだろうか。



「……いるよ。遊んでくれる子はね」


「だったら私はいいじゃないですか。離してください」


「……ヤダって言ったら?」



低い声で拒否を申し立てたハル先輩に、思わず目を見開いた。



そんな私の反応を微塵も見逃さないように、先輩は顔を近づけてくる。



「みどりちゃん……抱いていい?」


耳元で囁かれたそれに、息を止めた。




「な、に……言ってるんですか?」


「今すごいみどりちゃんを抱きたい」



普段だったら酔っ払いの戯言、もしくはチャラ男のお誘い、と思って突っぱねていたのに。



すぐに拒否出来ないのはきっと先輩が真剣な顔をしているから。


はぐらかすことを許さない、真面目な声色をしていたからだ。



「緑……」



切なげな声で呼ばれた瞬間、自分の中の女の部分が反応した。



「嫌だったら、逃げなよ」



押さえ付ける力は弱めないくせに、逃がす気はないくせに。



さっきとは違う野性味を帯びたハル先輩の顔が近付いてくるのを確認して、目を伏せた。



「んっ……」



激しいキスが落とされる。

酸素すら奪われる、貪るようなキスに体の力が抜けていく。



「はぁっ」



離れたと思ったら、もう一度くっついて。


キスに酔わされている私の服の中に手が入ってきてピクンと反応すれば、かすかに笑う気配がした。



首に顔を埋めた先輩の舌が這って、チクンとした痛みを伴う。



体中にハル先輩の湿った吐息を感じた。


先走りそうになるのを押さえるように、時々激しくなる先輩は、でも優しく私を扱う。



まるで彼女にするようなそれに、他の女の子は勘違いを起こすのだろう。



自分を本気で愛しているかのような目は、錯覚を引き起こす。



「あっ……んぁ」


「……はっ」



十分に私に愛撫を施し、やっと入ってきた先輩は色っぽい声を漏らす。



私を真っ直ぐに見てくる先輩は、女の私より色気があるんじゃないかと思うくらい。


あの10センチの距離で見つめられる。



「みどり……」


「ん……せんぱ…」


「ハル」


「え……?」


「ハルって呼んで、緑」



いつもこの距離で見るたびに揺れている瞳は、今は揺れてなくて。



ただまっすぐに私を見ていた。


「は、る…ハル……っ」



名前を呼んだ瞬間、噛み付くように口付けられて。

それに応えれば先輩の動きも早くなった。



「緑…っ」



名前を呼ばれるたび、好きだと言われているみたいで。

キスされるたびに錯覚しそうになる。



曲者だ。

先輩も、先輩の態度も。



けれどダメ。先輩はダメ。



先輩に何回も愛されている間ずっと、その言葉を可能な限り心の中で唱えた。













ハル先輩は甘かった。



終わった後布団の中で腕枕なんかしてくれて、幸せそうに口の端を上げながら耳元で甘く囁く。



まるでお菓子のようなそれにちょっと誘惑されそうだったけれど、眠気のほうが勝っていつの間にか寝てしまった。



起きたら、やっぱり抱き締められていた。


幸せそうなハル先輩の寝顔を見て後悔が押し寄せる。



やっぱり先輩はダメだ。


言い聞かせるように頭を振り、今日はするりと腕から抜ける。



ベッドの下に落ちた服をかき集めて着てからリビングに行く。



スマホを見ればまた類先輩から朝食について来ていた。



それに返信していると後ろで物音がする。


振り向けば、寝ぼけ眼のハル先輩。



「みどりちゃん、何してんの?」



近付いてきて後ろから抱き締めてくる先輩は、昨日の甘ったるさが残っている。



「先輩、早いですね」


「みどりちゃんがいないから目ぇ覚めた。それより…」



スマホから顔を上げた私の顎が掴まれる。


後ろを向かされて、先輩の顔がドアップで映った。



「ハル、ね」


「ハル…?」


「うん」



どうやら呼び捨てじゃないとイヤらしい。

嬉しげに笑いながら肩に顔を埋めてくるハル先輩は、やっぱり甘えただ。



「先輩、朝飯どうします?」


「だから、ハルだってば」


「あ…あはは」



拗ねたように見てくるハル先輩。


乾いた笑いを浮かべた私に触れるだけのキスをすると、首筋に顔を埋めてきた。



「今度先輩って呼んだら襲う」


脅しなのかそうじゃないのか。



よく分からないけど笑いでごまかした。


「ハル、ご飯は?」



本当に襲われたら困るから、先輩は言わないでおく。


朝からなんてごめんだし。



「んー、いらないー」


「ダメです。ご飯食べさせろって類先輩に言われてるんで」


「…は?」



髪を触りながら首を舐めてくる先輩の怪しげな雰囲気に危険を察知し、それを交わして腕から逃げた私にハル先輩は不機嫌な声を出した。



「なんで類?」


「だって類先輩にハル押し付けられたんですもん」


「……じゃあみどりちゃんは類に言われなかったらここ来なかったの?」


「まぁ、そうですね」



類先輩に半ば強引に押し付けられなきゃ、こんなことになってない。

しかも2回も。



ていうかどうして私が先輩の面倒見なきゃいけないんだろう。


類先輩にハメられてる感マックスだし。


そういえばこの会話、3回目だなぁ、なんて呑気に考えていると。



「――きゃっ」



いきなり手が引っ張られたかと思うと、視界には天上。



押し付けられた背中の痛さと目の前のハル先輩の顔に、昨日の状況に再び追いやられたと気付く。



「みどりちゃんは、類が好きなの?」


「……はい?」



昨日の距離。

やっぱり動けないように押さえ付けられて、先輩には意味不明なこと聞かれる。



「好きなの?類のこと」



いや、繰り返さなくても聞こえてます。

なんて声は出せる雰囲気じゃない。



黙っていると沈黙を肯定とみなしたらしい先輩が悲しい顔をした。




「そっか、類か」


「あの、先輩?」


「いいんだよ、うん」



なにが「うん」なのかさっぱり分かりません。



勝手に聞いて勝手に納得したらしい先輩は私の拘束を解くと、床に座ったままソファに寄りかかってしょんぼりした雰囲気を醸し始める。



自己完結の早さに思わず呆気に取られた。


起き上がって近くに行けば、ふい、と視線をそらされる。



子供みたいなその様子にちょっと呆れた。



「分かってる。気にしないで」


気にしないで、って。

十分気にかけて下さいっていう雰囲気を出している人に言われても説得力は皆無だ。



何が気に入らないのか拗ねモードに入ったハル先輩はやたらめんどくさいと判明した。



「先輩、私類先輩が好きなんて一言も言ってません」


「……え?」


「私がいつ類先輩好きなんて言いました?」



目の前の瞳が見開かれる。


少し長い前髪を払って、その瞳を真っ直ぐ見つめた。



「私、類先輩のことそんなに知りませんけど」


「…うん」


「あの人苦手です」


「……え?」


「信用できないと思ってます」


「……」


「ぶっちゃけて胡散臭いと思ってます」


「……くっ」



最後噴き出した先輩は肩を震わせて笑う。



「類のことそんなふうに言う人初めて見た」


「だって本気でそう思います」


「そっか。くくっ、胡散臭いって」



一頻り笑った先輩は目に浮いた涙を拭って私の手を取った。



「じゃあ類のこと好きじゃない?」


「恋愛的な意味では全く」


「そっか」



先輩は嬉しそうに笑った。



花が綻ぶように笑う、ってこういうことをいうんだ。


表現だけでしか知らないそれを見て、やっぱりハル先輩は普通の人じゃないんだって改めて思った。


「――っていうか」



そう先輩が口に出した声は、面白さを含んでいる。


我に返った私の前で、先輩は楽しげに口角を上げていた。



「先輩って呼んだら襲うってさっき言ったよね」



先程のふんわりした雰囲気なんてない。

そこにあるのは昨日見た野性味を帯びた瞳だけ。



「ハルって普通に呼べるようになるまで、かな」



何のことを言っているのか。





それを理解した瞬間には、もう口を塞がれていた。




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