先輩




やっと駅について車を降りる前に美菜は心配そうに私を見てきたけど、


「大丈夫だよ」


って声をかけるとホッとしたような顔をした。



「じゃあまた月曜日ね」


「うん。またね」



車がバタンと閉じて、類先輩が「じゃあ行くよー」と車を発進させる。


窓の外を見てやっぱり心配そうな顔をしてくる美菜に手を振ると、振り返してくれた。



美菜が見えなくなった後も窓の外を見ていた私に、類先輩の楽しげな声がかかる。



「ハルの家駅から歩いて15分くらいだけど。明日帰るとき道はハルに教えてもらって」



何をこの人はこんなに楽しそうに話してくるんだろう。しかもバックミラーに映った顔はすごい楽しげだし。


溜め息が出る。



それから5分位くらいして車が止まる。

見上げると1つマンションがあった。



「ここね、ハルん家」



それなりのマンション。学生のくせに明らかに1Kとか1Rじゃない。



実はこの人ボンボン……?


そんなふうに思いながらハル先輩を抱える類先輩についていく。


エレベーターに乗って案内された先はマンション5階。



類先輩に言われてハル先輩のポケットから鍵を拝借し、部屋に入って、そのまま類先輩は寝室にハル先輩を連れて行った。



その間リビングに荷物を置いた私の元に戻ってきた類先輩は後ろを指差し、



「じゃあ悪いけどよろしくね」



にっこり微笑む。


それに「はい…」と小さく返事をした私に、彼は面白げに笑った。



「ハルのこと襲わないでね」


「……」






もはやこの人はこの状況を楽しんでいるとしか思えない。



やっぱり胡散臭い人だった、と思った私は呆れながら首を縦に振る。



「それは心配しないで下さい」


「そっか。安心」



へらりと笑って類先輩は玄関に向かう。


追いかけた私に、靴を履いた先輩は思い出したように振り向いた。



今度はなんだ、的な視線を送る私に気付いているだろう先輩がスマホを出す。



「スマホある?」


「まぁ」


「じゃあ交換しとこう。なんかあったら連絡入れて」



一応無理難題を押し付けたことは認めているようで、連絡先を交換したスマホを顔の近くで振るとやっぱり「ハルのこと襲っちゃダメだよ」ともう一度念を押すように言って帰っていった。



……意味が分からない。



なんで私が今日初めて会った人を襲わないといけないのか。


喋ったことすらないんですけど。


なんて内心毒づいてリビングに戻る。



それにしてもこの部屋は殺風景。必要最低限の物しか置いてない。



「男の人の家ってこんな感じ?」



入ったことないから知らないけど。



呟いてリビングからキッチンに移動して一頻り観察したあと、思い出したように鞄から二日酔いの薬を出して寝室に向かった。



美菜がよく酔っ払って二日酔いに悩まされるのに、自分で持たないから何となく持ってた薬が役に立つ日が来た。



寝室に入れば、かすかな寝息が聞こえている。


布団に潜り込んで寝ている先輩はさっきみたいな大人っぽいイメージはなくて、なんか可愛かった。



見ていると起こしずらくなってしまう。


今のところ特に異常はないし、薬は後でもいいかもと思って立ち上がった。




「……――だれ」



かかった声に、思わず足を止めた。


それは予想外に冷気と鋭さを孕んでいて。


振り返ればハル先輩の目が開いていて、私をしっかりと捉えていた。




「だれ」




低い声に、雰囲気に、先程居酒屋で見たふんわりしたところなんてなくて。




ちょっとびっくりした。




「……美菜の友達の緑です。類先輩に先輩を押し付けられました」


「類に…?」


「はい。これ、薬飲んでください」



知らない人がいればそりゃ警戒する。


でも頭が痛いらしい先輩は考えることを投げ出したらしく、私の言葉に何も言わず従った。




薬を飲んで体力を使い果たしたらしいハル先輩は、寝転がって私をじっと見てくる。



「あんた、どうすんの?」


「私リビングにいますから。なにかあったら呼んでください」


「帰ってもいいよ」


「……類先輩に怒られますから、隣にいます」




言い切るとそれ以上ハル先輩は何も言ってこなかった。



見ればその目は眠そうに、けれど不安そうにさまよってて、その様子にちょっと目を見開いた。



あぁ、女の人が放っておかない。


なんとなくそう思った。



私の兄もそうだった。私の前でだけだったけど、不安そうな彼の、この放っておけない感じは母性本能をくすぐる。

だから彼は気を集める。

たとえ本人の意思に関係がなくても。



じっと見ていた私に、ゆるゆると揺れる瞳が向けられる。


暗い中、月明かりが上手い具合に手伝って彼はとても神秘的に映った。



「て……」


「て?」


「……なんでもない」



首を振るハル先輩はそのまま布団にもぐりこんでしまう。


けれど垣間見た不安そうな瞳が焼きついて、思わず布団から出ている先輩の髪の毛に触れた。



ビクッと反応する。




息を詰めた気配が伝わってきて、思わず髪に触れた手で彼の頭を撫でた。



「大丈夫です。先輩が寝るまでいます」


「……」


「もしよければ、起きるまでいます」


「……それは、悪い」



布団から顔を出した先輩は、すぐ目の前。


10センチの距離で見つめ合いながら、私は思わず笑いを零した。



不安なくせに、一応私を気遣っているらしい。

何に不安なのかは知らないけど、こんな人に心配されてるのが笑える。



「います。だから、先輩寝てください」


「……ん」



静かに頷いた先輩はやっぱり眠そうに目を伏せた。

すぐに聞こえてきた寝息に思わず口元が緩む。



頭を撫でながら今日会ったばっかりの先輩とこんな変なつながりが出来たことに苦笑してしまった。



しばらくそうしていたけど、先輩が起きる様子もないことを確認して立ち上がった。



どうせこのまま何もしなくても暇だし。

予習しよう。



リビングでテーブルの上に参考書を広げた。




ノートを広げた後、ふと周りを見回す。


広い部屋。

1人暮らしには広すぎる気がする。しかも来たとき思ったように2LDKだし。


大学生にしてみれば大きくて、きっと家賃も高いはず。



なのにあんまり使われた形跡はない。

さっき水を持ちにキッチンへ行ったときも、シンクに水の後は一切なかった。


それは手入れしてる感じじゃなくて、使ってないからだ。



つくづく不思議な先輩だ、と思いながら参考書に目を落とした。



と思うと。



ドンだかガンだか分からない衝突音が聞こえてきてビクッとした。



次にバタバタと足音がして寝室に続く扉が勢いよく開けられる。



「せ、先輩?」



焦燥を張り付けた先輩は、私を見て顔を歪めた。



盛大に息を吐いてその場に蹲る先輩に、思わず駆け寄る。



「ちょっと、大丈夫ですか?ほら、先輩立ってください」



何があったのか知らないが、先輩は息を乱している。


それほど慌てて出てきたらしい先輩はやっぱり抵抗しない。



手を貸してベッドに戻らせ、水を持ちに行こうとすると後ろから手を掴まれた。



「どこ行くの?」


「水を持ちに…」


「いいよ。それより、ここにいて」



強く手を引っ張られて先輩のまん前に座らせられる。


先輩は億劫そうに見上げてきた。



「名前……なに?」


「…緑です」


「そう。ごめんね、いろいろと」


「いえ……」



もう色々ありすぎたせいで否定するのもめんどくさい。

それに一応先輩だし、気は遣う。



「ねぇ、緑ちゃん」



あまりにも小さな声に、何も言えなくて。


見つめてくる視線にドキッとした。


「一緒にいて」



不安げなその瞳にやっぱり拒否は示せそうにない。


頷いた私に、けれどハル先輩は疑いの眼差しを送ってきた。



「さっき、いるって言っていなかった」


「それは」



まさか本気に取られると思っていない。


朝までずっと一緒にいるなんて、無理だし。



けれどこういう手の人は言葉をかければ安心して寝るからそっと嘆息して彼の手を握った。




「寝るまでですか?それとも起きるまで?」


「起きるまで」


「分かりました」



さっき私を探しに来たところから考えるに眠りが浅い人かもしれない。そして誰かにいてもらえないと寝れない人。


なら、それを叶えないと寝てくれなさそうだから。



近くにあった大きなクッションを拝借してそれに座って、先輩と手を繋ぎながらもう片方の手で髪の毛を撫でた。


少しずつ綺麗な顔がホッとしたように緩んで。



安心したようにゆるゆると目を閉じた先輩の寝息がすぐに聞こえてきた。



本当に、世話が焼ける人だ。



ただの添い寝。まさかこっちにきてやるとは思わなかった。




少し経ってからつないだ手を離そ試みてみたけど力が弱まりそうにないから諦めた。



かすかに聞こえてくる先輩の寝息。

あまりに整いすぎた顔立ちをここまで間近で見れる機会なんて滅多にないからガン見しておいた。



髪から香る香水の匂い。

すっきりした感じの匂いが彼と合わないようで合っていて。


そんなことを考えていたら瞼が落ちかかって。




いつの間にか先輩の顔の横に突っ伏すように寝ていた。



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