第三話:冒険者ギルドへ
逃げた先が運が良かったと言うべきか、悪かったと言うべきか。
王宮を夜抜け出してからというもの、俺は街外れをひたすら歩き続けた。
夜闇の中を歩くのは危険だが、昼間に大通りをうろうろしていたら追手に捕まる可能性が高い。
そう判断して、適当な小道を選んで進むしかなかったのだ。
結果として朝日が昇るころ、通りがかりの人に道を聞きながらも、俺が目指してたどり着いたのは王都の外れにある冒険者ギルドだった。
標識もないような場所にポツンと建っていて、外観はやけにボロい。
「……ここ、本当に“冒険者ギルド”か?」
人通りの少ない路地に面した扉を見つめながら、そう呟いた。
正直、入るべきかどうか迷う。
けれど、この世界で仕事をするなら“冒険者ギルド”なる組織を頼るのが鉄板だと、俺の監視担当をしていた王宮の騎士から話は聞いていた――
少なくとも、俺の知り合いはいないし、何をどうすればいいか分からない状態だ。
このままだと路頭に迷うだけだから、思いきって扉を叩くしかなかった。
扉を開けると、まだ朝が早いためか、空気もひんやりしていて客の姿は
俺は挨拶を返そうか迷ったが、「おはようございます」と無難に返しておいた。
このギルド内の一角には、求人票というか依頼書がたくさん貼り出されている。
討伐依頼、護衛依頼、採集依頼――聞きなれない単語も並んでいて、見ているだけで頭がクラクラするけど、どうやらここがこの世界の“職安”みたいなものだと考えればいいのか。
「すいません、俺……冒険者になりたいんですが」
カウンター越しに恐る恐る声をかけると、渋面の職員が書類をパラパラと捲りながら、無表情に答えた。
「ふぅん。名前は?」
「
「所属国は? 身分証は?」
所属国? 身分証? やべえ、そんなの持っているわけがない。
王宮を脱走する際、ろくに物を持ち出せなかったんだ。
そもそも俺は異世界人なので、ここでの正式な手続きなんて分からない。
しかし、そこはとにかく「持ち合わせてません」と正直に言うしかない。
職員はますます面倒くさそうに「ふーん」と鼻を鳴らしてから、サッと何かを書き込み、書類をこちらに突き出してきた。
「登録に必要な事は自分で書き込め。読み書きはできるのか?」
ああ……、今度こそまずいな。異世界だから文字とかわからないぞ。
と思ったが、奇妙なことにこの世界の文字は、なんとなく日本語めいたものに見える。微妙に記号が違うところもあるが、不思議と意味が分かってしまう。
おそらく“召喚されると自動翻訳能力が付与される”というテンプレみたいなことだろうか。
詳しくは知らないが、助かったことには違いない。
書類に名前や年齢、得意な魔法やスキルを記入する欄がある。そこで俺は「補助魔法が使えます」とだけ書いて提出した。
すると、職員は「補助魔法、ねぇ……」と呆れたように鼻を鳴らしつつも、
「登録ランクは当然D、いや、正直なところEがあればEにしたいが、うちはDが最下層だ。いいか?」
と問いかけてきた。
「Dランク、了解です」
もっと突っ込まれるかと思ったが、どうやら“補助魔法しか使えない奴=弱い”という認識は広く共有されているらしい。
俺としてはありがたいような悲しいような。だが、下手に目立つよりはずっと安全だろうと思い、素直に受け入れることにした。
そうして手早く登録が済むと、職員は「ほら、これがギルドカードだ。失くすなよ」と、黒っぽい板を手渡してきた。
板と言ってもクレジットカードよりやや大きい程度で、そこに“タカナシ ケン/Dランク/補助魔法:
「で、仕事って何がありますか?」
「雑用だったら山ほどあるが……正直、補助魔法だけだと戦闘依頼は難しいな。掃除、配達、店番、あとは牧場の手伝いとか。そんなのでいいならあっちの掲示板を見ろ。Dランク依頼が張ってあるから」
なるほど。雑用や簡単な護衛のような軽い仕事が中心か。
正直、最初から危ない仕事は御免だけど、生活費を稼ぐためには何でもやるしかない。
こうして俺の冒険者デビューは、実に地味な形で幕を開けたのだった。
ともかく早速、掲示板で見つけた“雑用依頼”をいくつか引き受ける。朝早い今のうちから取り組めば、今日中にいくつか片づけられるだろう。
まずは住む場所の確保もしたいし、効率よく稼がないと。
最初は「剣を振ってモンスターを倒す」みたいなイメージがあったが、それはもう少し先の話っぽい。いや、俺はそもそも戦闘狂じゃないから、地道にコツコツ稼ぐ方が性に合ってるのかもしれない。
***
ギルドの小さな倉庫の掃除を請け負うと、そこに毛布みたいな布やら蔵書らしき古い本やらが雑然と積み上げられていた。昔の依頼票が散乱して虫食いだらけになっていたりもする。
これを延々と片づけるのは骨が折れそうだが……ここで俺の補助魔法の出番である。
〈
たとえば書類を宙に浮かせて仕分けしながら、必要そうなものだけテーブルに重ねる――なんて離れ業も楽々可能だ。
あの某〇リー・ポッターのワンシーンを彷彿とさせるような絵面だ。
地味ではあるが、効果は絶大。想像よりも手際よく作業が進むではないか。
すると、通りかかったギルドの男が「あれ? この新人、魔法で片づけしてんのか?」と驚いたように声を上げる。
俺は「あ、すみません、なんか見苦しかったですか?」と謝ろうとしたが、彼は笑って首を振った。
「いやいや、そういうのも立派な魔法の使い方だと思うぜ! なるほど、補助魔法ってのも結構使えるもんだな」
彼の言い方に嘲笑のニュアンスはなく、むしろ「おお、面白いじゃん!」と興味を持ってくれているようだった。
俺は面倒事にならなくてちょっとホッとしていた。
そのあと、同じくDランクの冒険者の若者に、「すまん、この箱を上の階まで運ぶの手伝ってくれないか?」と頼まれたときも、〈
とたんにその若者が目を丸くして、「お前すげえな! そんな簡単にできちゃうのか?」と感心する。
冷静に考えれば、戦闘能力は低くても、こういった日常での役立ちっぷりは高い。地味な人力作業を大幅に効率化できるわけだから。
これはギルド内での評価が少しずつ上がるかもしれない。
たまたま通りかかった受付嬢――というよりはギルド職員のお姉さんが、「あんた、補助魔法とはいえ結構器用に使えるのね」と褒めてくれた。
俺は照れ隠しに「いや、大したことはないですよ」と笑うしかなかったが、「これはかなり使えるぞ」と半ば確信し始めていた。
俺自身も、こういう形で誰かの役に立てるなら嬉しいし、危険を伴う大冒険に行くよりは性に合っている。
「ところで、あんたどこ出身なの?」
「……えっと、正直、あまり言えるような身分じゃないというか……」
「まぁいいわ。身の上話は興味ないし、そのうち話したくなったら聞かせてね」
あっさりとそう言って彼女は去って行った。あまり根掘り葉掘り詮索されなくて助かる。
そう、今のところ俺が“自称・王宮召喚されし大賢者”なんてことをバラすわけにはいかない。絶対に面倒なことになるに決まっている。
かくして、俺はギルド内の雑用依頼をいくつかこなし、そこそこの報酬を得ることに成功した。宿泊費くらいには十分足りる額だ。王都の外れには安宿もあるだろうし、危険を冒す必要もない。
――なんだかんだで、このままでもやっていけそうじゃないのか俺?
王宮を抜け出したときは路頭に迷うかもと覚悟したが、案外この世界は俺の“補助魔法”を受け入れてくれている。
いや、正確には「なんか器用に仕事をしてくれるやつがいて助かる」ぐらいのノリかもしれない。
けれど、その温度感が俺にはちょうどいい。
「よし、しばらくはこの冒険者ギルドでDランクライフを送るか……」
ギルドに集まる連中も、やたらとガラが悪いわけじゃないし、無理をしなければ誰かと衝突することも少ないだろう。
魔物の脅威とか王国の情勢とか、そういう大きな話はまだピンと来ないけど、ここにいれば自然と耳に入ってくるかもしれない。
そうやって情報を集めながら、いつか自分の“本当の居場所”を見つければいい。あるいは本当にこの地でスローライフを送るのも悪くない気がする。
異世界に来たのなら、後に引けない冒険をするのが王道なのかもしれないけれど、俺は俺のやり方でやるしかない。
こうして、Dランク冒険者・高梨 剣としての新しい日常が始まった。
世の冒険者が魔王やら伝説の竜やらを倒していく中、俺は倉庫を整理したり、雑務を請け負ったり、たまに商品輸送の護衛をしてみたり。
戦わない冒険者ってどうなの? と自分でも思うが、そんな選択肢が許されるなら、喜んでこの道を選びたい。
それでも、誰かが「助かるよ」と言ってくれるなら、それが俺にとっての正解だって気がするんだ。
夜になり、安宿のベッドで横になりながら、そんなことを考えていると、ドシッと疲労が押し寄せてくる。
掃除やら整理やら、思った以上に体力を使ったみたいだ。
まだ魔法にも慣れないし、何より勝手が違う世界の生活は、ストレスも地味に溜まる。
それでも、なんだか心地よい疲れがあるのはきっと、自分で稼いだ報酬をポケットに入れているからだろう。王宮で残念な子を見るような視線を向けられるよりは、だいぶ前向きな気分だ。
「明日も依頼、頑張るか……」
小さく呟いて瞼を閉じる。
いつからこんなに平凡な日常を求める人間になったのかと笑いそうになるが、ここで生きるためには何かしら手段が必要で、俺の手持ちの武器は“補助魔法”しかない。
だったら徹底的に極めてやろうじゃないか。
――そんな風に少しだけ意気込んで、俺は深い睡魔の中へ落ちていく。
薄暗い王宮の倉庫部屋で寝ていたときとは違う、仮にも“冒険者”としての安眠。それが明日への活力となって、俺はまた、地味だけど意外とやりがいのある一日を迎えることになる。
この世界をまだ何も知らないがゆえの怖さもあるけれど、少なくとも今は、“ここならやっていける”という小さな確信だけを胸に、俺は眠りについた。
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