第二話:王宮からの脱出
昼か夜かすら曖昧な、重苦しい王宮の廊下を歩いていると、まるで迷路に迷い込んだ気分になる。
もっとも、王宮に召喚されるだけでも浮きまくりだろうから、いまさら何を言っても始まらないが。
俺の名は
異世界に呼ばれて「大賢者の魂を宿した救世主」とやらに祭り上げられ――かけたものの、魔法検査で出たのは“補助魔法適性”だけ。周囲の期待を見事に裏切った哀れな男である。
そんな俺に王様や
いや、そう見せかけているだけかもしれない。
俺の部屋には最低限の衣服や食べ物が届くし、まるで「お客様ですよ」と言わんばかりに騎士の見回りまで付いている。
問題は、その好意がどうにも表面的だということだ。見回りというよりは“監視”に近いし、時折「救世主様、何かご用命は……」と訪れる
俺にしてみれば気まずい話だが、相手もあからさまに失望を隠しきれていないようだ。
しかも、王様と宰相が話し合っているのを小耳にはさんだところ、どうやら、
「せっかく救世主を召喚したからには、外聞的に“救世主がいる”とアピールせねばこちらの面目が立たぬぞ」
「しかし大した能力もなさそうですし、余計なことをされて公になり困るのも事実であります。もしこのことが“ユグラ”の耳に入ってしまえば・・・」
みたいな腹の探り合いをしているらしい。
俺のことを何だと思ってるんだ。いや、いまさら言っても仕方ないか。
しかし、一瞬会話に出てきた“ユグラ”。なんか王様も宰相も名前を出した途端にめんどくさそうな表情を浮かべていたが……。
まあ、つまり端的にまとめると、「大した力がないなら、大賢者様という名目だけ利用させてもらう。が、万一のために手元に置いておきたい」というのが彼らの本音らしい。
例えるなら、捨てたいけどいずれ役に立つもしれないし捨てるに捨てられない道具。みたいな。どうせ持ち腐れだとしても、完全に手放すのは惜しいみたいな――そんな雰囲気がひしひしと感じられる。
もちろん、これをまともに真に受けていたら、俺は王宮の飾り物として扱われるだけだ。「救世主でーす、でも実は補助魔法しか使えませーん!」と、パレードにかり出される可能性もゼロではない。
それに、仮に強大な脅威が攻めてきたら、文字通りの生贄扱いにならないとも限らない。面倒事の予感しかしない。
というわけで、俺としては「この場所にずっといるのはマズい」と判断した。逃げるなら今だろう、と。
召喚されて何日も経っていないこのタイミングがベストだ。
王や宰相が俺を完全に利用し切る体制を整える前に、こっそり身を引く。
幸い補助魔法といっても、じつは色々細かく便利そうなところがあるらしく、これを使ってうまく姿を隠してみせれば、脱出くらいは何とかなるのではないか。そんな予感がしている。
ここ数日で、実際に魔法を使えないかと色々と試していると、ふと頭の中で呪文というかイメージが浮かび上がってきた。
例えば、〈微細操作(ミクロ・マニピュレーション)〉というスキルがあって(名前は俺がそれっぽく付けた)、“小さなもの限定”になるが、浮遊させたり、ネジをゆるめたり、鍵の隙間をいじったりと、細々使い方ができる。
戦闘力には直結しないが、こうした“ちょっとだけ人間離れした器用さ”というのは、脱出には役立つはずだ。
さらに部屋のドアの鍵が簡単な差し込み式だったのを見て、「これなら〈
こっそり夜中に試してみたら、鍵穴の中のピンの配置を数秒で書き換えられるじゃないか。
おいおい、これって結構すごいことをしているんじゃないのか? まあ、まだ慣れていないから集中力を切らすと失敗しそうだけど。
「よし、決めた……今夜ここをでよう」
俺は部屋の扉の前に立ち、呼吸を整える。騎士が見回りに来るのはだいたい夜八時と深夜の一時。それ以外にも不定期で巡回があるようだが、大抵はその二回がメインらしい。
俺は深夜の一時見回りが去った直後――もっとも城の者が油断するであろうタイミングを狙う。
食べかけのパンをかじりながら、緊張で落ち着かない胸を誤魔化す。こういうのは不器用な人間がやるとミスるのが定番だし、俺もこんなことは初めてだ。
けれど、ここで止まったら一生“お飾りの救世主”として王宮に縛られる……そんな最悪の未来を想像すれば、やる気も出てくるというものだ。
――深夜。日付が変わり、廊下がしんと静まり返ったのを確認してから、俺はそっと扉を開ける。
いつもなら鍵が掛けられているはずだが、〈
鍵穴の中で小さな金属片がカチリと開錠する音が鳴った時は、正直鳥肌が立った。なんだろう、もう後戻りはできないという妙な気持ちの高ぶりが沸いてくる。
足音を殺しながら廊下に出る。やたらと幅広い通路が続き、先には大型の甲冑がずらりと飾られ、夜の暗がりで不気味に佇んでいる。
王宮って、昼間は大層きらびやかなものだが、こうして深夜に見ると薄暗く、冷え切っていて、人の気配がまるでない。正直ちょっと怖い。だけど、ここで逃げ出さなきゃ俺の人生が詰む。
不意に、巡回兵の足音が遠くの角から響いてくる。
やばい。すぐさま柱の陰に隠れ、〈
兵士の注意を別方向に逸らせるため、廊下の反対側にそっと転がす。
カラン……と小さな音がして、兵士の足音がそちらへ向かったのを確認すると、俺はその隙に逆方向へすり抜ける。
地味だが、確かな効果を発揮しているではないか。補助魔法、おそるべし。もう少しこの機能を掘り下げれば、本当にいろいろ便利に使えそうだ。
いくつかの踊り場を越え、ようやく王宮の外壁近くへとたどり着く。
出口となる城門は夜間に閉じられているだろうが、そこには隙間や窓があるはずだ。
俺は正規の門から出るなどという無謀をやる気はない。見つかったら一巻の終わりだし、なにより王宮脱走なんてバレたら厄介事確定だからな。
窓際に近づき、石造りの
高さは……うん、そこそこある。
着地に失敗すれば、軽く足の骨にひびが入るか、最悪骨折はするな。俺は微かな不安を飲み込みつつ、両足を窓枠に引き上げる。
「よし……落ち着けよ、高梨 剣。ここでくじけたら終わりだ」
息を吐く。怖いけれど、
微力ながら、それなりの重さのものならふわっと持ち上げられる。これを自身の体に掛ければ落下の衝撃をだいぶ緩和できるはず。これは重宝しそうだ。
俺は意を決して外へ飛び降りる。ビュッと冷たい夜風が吹いて、心臓がきゅっとなったが、足への衝撃は想像よりもずっと軽い。
ほんの少し宙に浮く感覚があり、何とか転倒せずに着地成功。
大成功だ。
思わず息をのむ。こんな芸当、現実世界じゃできないぞ。俺の“補助魔法”はやはり侮れないパワーを秘めているのだろう。それを身をもって感じた瞬間だった。
そのまま、庭園の茂みに隠れながら城壁沿いを回りこむ。門兵らの警戒は思ったより厳重だが、直接門から出るつもりはないのでむしろ問題ない。
少し歩くと、古い小門のようなものが見えてきた。そこは倉庫か何かを搬入するための裏口らしい。
鍵が掛けられているが、これまた〈
まさか自分がこんなふうに、スパイじみた行動を取ることになるとは夢にも思わなかった。
こんな大冒険――いや、大脱走か――をするなんて、もし誰かに話したら「何言ってんの?」と奇異な目で見られそうだ。
でも、俺としては生き延びるために必死なのだ。
古びた鍵穴を〈
扉を開けると、夜風がふわりと吹き込む。
そこに広がるのは漆黒の城外――街のほうまでは見えない。だが、とりあえず俺は自由を手にしたも同然。部屋に監禁され、王宮のお飾りにされる未来は、ここで一度シャットアウトできた。
「さて……ここを出て、どうしようかな」
俺は低く呟く。今はまだ具体的なプランなど全くない。
ただ、確かなのは「王宮に留まるよりはマシ」という一点だ。
まずは身を守りながら情報を集めたい。
そして、いずれ……この“補助魔法”がどこまで使えるのか、じっくり試してみる。きっと何か道が開けるかもしれない。
俺は夜の闇に紛れて、レヴァロン王宮をあとにする。
自分でも驚くほど落ち着いた気持ちだった。わけの分からない運命に振り回されそうになったが、今はまだ振り払うチャンスがあるのなら、それに賭けるしかない。
そうして俺、高梨 剣は、わずか数日で王宮を脱出し、未知の世界へと足を踏み出した。
これが吉と出るか凶と出るかは分からないけれど、このままじゃどうにも窮屈すぎるから、やるしかないのだ。
思い返してみれば、事故で命を落とし、気づけば異世界。その時点で大事件だが、それをさらに上回る衝撃的な行動を自分が起こしている。
――仕方ない。やると決めた以上は、やるしかない。
そうしてこそ、生きている意味があると信じたい。
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