永遠の孤独

ケシノハナ

第1話 森

 世界には、人間と同じ重量のアリが存在すると言われている。重量が同じであれば、数では圧倒的にアリが多いはずだ。しかし、地球は数で勝るアリたちではなく、人間たちによって支配されていた。人間たちは空に向かって進んでいく一方で、アリたちは地面を這いずりまわっていた。

 ある森の中、数多くの木々に囲まれた暗い地表には小さな穴があり、その先には、狭いトンネルが木の根のように広がる巨大なアリの巣が存在していた。多くの働きアリたちが巣の中を、まるで血液中の赤血球のように絶え間なく行き交い、一族の繁栄のために忙しく働いていた。原始的な脳しか持たない小さな動物たちが、巨大なシステムを維持している様子は壮観であり、それはどこか人間の営みに似ているようにも見える。

 働きアリたちは、同じ遺伝子構造を持つ兄弟であり、まるでクローンのような存在だった。もしアリの巣をひとつの生命体と考えるならば、彼らはその一部に過ぎない細胞のようなものである。その中の一匹、仮に名前を「ジョン」とすると、ジョンも他のアリと同様に日々の労働に励んでいた。彼は、他のアリたちから受け取ったフェロモンを頼りに、食料のある場所へと向かっていた。ジョンや他のアリたちにとって、労働は意思を伴うものではなく、食事と同じく本能的な行為であった。

 ジョンは凸凹した地表を、六本の脚を巧みに使ってバランスを取りながら進んでいく。前にも後ろにも、同じように働きアリたちが歩いていた。彼らの小さな脳は、これほど複雑な運動をいとも簡単にこなし、地表の石や草といった巨大な障害物も軽々と乗り越えていく。それでも、アリたちはその見事な動きに誇りを感じることはなかった。

 巣から始まったアリたちの長い列は、森の中に細い道を作り、巣から遠く離れた小動物の死体へと続いていた。アリたちはその死体から肉をサイコロ状に切り出し、再び巣へと戻っていく。彼らの動きは実に正確で、まるでロボットのように同じ動作を繰り返しながら、長い列を保ち続けていた。ジョンと他のアリの位置を入れ替えたところで、何も変わらない。

 しかし、その次に起こる出来事は、彼を確かに他のアリたちとは違う「ジョン」にした。突然、空が強烈な光に包まれ、森全体が眩い閃光に飲み込まれた。まるで時間が止まったかのように、森の生物たちは動きを止め、木々のざわめきさえもその瞬間には消えていた。光がアリたちの小さな目を刺激し、彼らの脳はその異常事態に一時的に対応できず、動きを止めてしまった。森の生物にとって、その瞬間は永遠のように感じられたが、実際には一瞬で光は消え、元の暗さが戻った。森は何事もなかったかのように再び動き始め、木々が風に揺れた。

 ジョンも他のアリたちも、その異常現象を理解するほどの情報処理能力は持ち合わせていなかった。彼らの脳は閃光により一時的に機能を停止していたが、光が消えるとすぐに本来の任務を思い出し、再び食料運搬の作業を再開した。ジョンも何事もなかったかのように、一歩ずつ前へと進み始めた。

 だが、それで終わりではなかった。アリたちが一歩を踏み出した瞬間、空気がピタリと止まった。異常を察知する間もなく、爆風が彼らを襲った。木々は激しく揺れ、ぶつかり合う枝同士が鈍い音を立て、葉のざわめきが森中に響き渡った。その後、爆音が風に乗ってやってきた。その音は凄まじく、地面を激しく振動させ、小さなアリたちにとっては巨大な地震のように感じられた。多くのアリが風に吹き飛ばされた。

 列が乱れ、アリたちは地面に散らばった。ジョンもわずかに体勢を崩したが、すぐにバランスを取り直した。彼の周囲でも、多くのアリが倒れ、葉の下に埋もれていたが、彼らは何事もなかったかのように列に戻ろうとしていた。風が止み、森が静けさを取り戻すと、アリたちは再び規則正しく動き始めた。乱れた列もすぐに整えられ、作業は再開された。

 ジョンも再び前進を始めた。先ほどの爆風や地面の振動は、彼の意識に全く影響を与えていなかった。アリたちは恐怖や混乱を感じることはなく、そうした情報は彼らにとってあまり重要ではなかった。

 ジョンも元の位置に戻り、再び彼の脳が食料の存在を認識すると、何事もなかったかのように歩き始めた。彼の六本の脚は効率的に地面を踏みしめ、荷物をしっかりと運んでいた。風で散らばった葉や土が地面に散乱していたが、アリたちの列はすぐに順応し、再び整然とした列を形成していた。彼らはすぐに、自分たちに何が起こったかを忘れてしまったかのようで、まるでリセットしたコンピューターのように、脳に刻まれた本能によって正確な行動を再開していた。

 アリたちにとって、遠い空で生じた閃光が何を意味するのかは興味の対象ではなく、実際に彼らの行動にも何ら影響を与えなかった。

 しかし、アリたちの中にはある変化が起こっていた。閃光によって発生した高エネルギーの電磁波が、森の木々や葉をすり抜け、地表を歩くアリたちに届いた。そして偶然にも、その電磁波が一匹のアリの脳細胞深部にまで達し、遺伝子を構成する塩基の一部を損傷させた。さらに、細胞が分裂する前に修復機構がそのエラーを修正しきれず、遺伝子にわずかな違いが生じた。

 その損傷した細胞は、数十万の脳神経細胞の一つであり、この時点ではアリ全体には影響を与えていなかった。しかし、小さな歯車の異常がやがて大きな機械の故障へと繋がるように、この細胞の変異もゆっくりと影響を広げつつある。

 他の多くのアリも電磁波にさらされ、さまざまな変異が起こっていたが、ほとんどのエラーは生物が長い進化の歴史の中で得た恒常性によって修復され、何の影響も残らなかった。しかし、「ジョン」の場合は異なっていた。彼には、極めて稀な確率で生じた変異が残り、その結果、彼は他のアリたちとは異なる存在となった。

 ジョンは、自分の中で進行している変化にまったく気づいていなかった。彼の体はこれまでと同様に動き、外見上、他のアリたちと変わらない行動を取っていた。前を行くアリに合わせて規則正しく脚を動かすその様子からは、何の変化も見て取れなかった。

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