第3話
新しい主人の元に来てから、早くも1ヶ月が経とうとしていた。
『主人を悪役令嬢にする』という、無理難題の糸口を掴むため、この1ヶ月、頭痛が痛くなるような思いを何度もした。
何度か、もう一度売り飛ばしてくれないかと、本気で悩む夜もあった。
ただ、トンチキではあるが、ここより良い環境はまず望めないと、気持ちを切り替えて悪役令嬢になりたい主人のため、頭を回すのであった。
とはいえ、主人の目指す悪役令嬢像があまりに曖昧であったこともあり、無意識の内に考えている主人の悪役令嬢像の確認と、現在の人間関係などの確認も必要であり、この1ヶ月は、自分からなにか行動を起こすということはあまりしていなかった。
小さな行動だとしても、その余波がどれほど大きなものになるかはわからない。だからこそ、情勢を知るのは大事だ。
情勢を知り、的確な行動を起こすことで、目的の達成がより確実になる。
「――で、結論から言いますが、諦めれば?」
その上で、この結論に至った。
「なんで!?」
深紅の瞳が驚きと殺意に満ちて、こちらを見つめる。
今にでも、噛みついてきそうな勢いだが、待ってほしいと手を前に出せば、話だけは聞いてやろうと、重心がやや前のめりのまま動きを止める。
この結論に至るにはちゃんと理由がある。
そもそも、情勢を知り、的確な行動を起こせば、目的を達成することができる。
これは、今までの自分の人生において、唯一と言っていいほど絶対的な持論である。
だが、『日ごろの行い』という理由が存在するほど、普段の行動の積み重ねは、あまりにも大きな意味を持つ。普段の行動が良ければ、ひとつ悪いことや失敗をしたところで許してもらえたり、逆に普段の行動が悪ければ、良いことをしても信じてもらえなかったり。
つまり、これから行動を起こすにしろ、ヴァイオレットが今まで積み上げてきた行動を客観的に、確実に評価する必要がある。
そして、この1ヶ月、使用人たちへの聞き込み、貴族たちの噂話を立ち聞きしたりなど、情報を集めたところ、
こいつ、令嬢として、びっくりするほど完璧だった。
おそらく、家柄の自慢をして、周りを困らせる作戦を実行したかったのだろう。
ところが、王族御用達公爵家であるルミエール家の功績は、単純に比べようもないとてつもないものであった。
それは構わない。
実際に公爵家になるくらいなのだ。功績が凄まじいことであることは理解してる。
だが、それを自分がやったかのように”永 遠 に”語ることで、周りは困り果てる。この悪役令嬢としての完璧な振る舞いを、ヴァイオレットはそれまでの話題に合わせた功績を”適 度 に”語り、去る。
悪役令嬢にそんな話術はいらない。去らなくていい。無駄に話題に関係のない功績まで語り続けろ。周りを辟易させろ。
「う゛……」
どうやら心当たりがあったらしく、苦しそうに眉を潜め、重心が後ろに下がる。
だが、社交界については、まだ言いたいことがある。
「あと、ブルーベル様が男と話している時に横入するのも、ただ妹のフォローに入っているようにしか見えない」
男遊びが盛んな悪役令嬢のように、ブルーベルが同じ年位の男と話しているところに、ヴァイオレットが割り込む。
その行為そのものはいいが、大前提として、あの容姿で、未だに婚約者が決まっていないブルーベルを、貴族の男が狙わないはずがないというのが大問題だった。
下心丸見えの男たち、下手すれば息子を紹介したいという年の離れたオッサンに話しかけられて、ブルーベルが困っているところに、横から会話に入ってくる姉のヴァイオレット。
しかも、ブルーベルに向かっている質問を、全て自分にされているかのように話し続ける第一王子の婚約者で、次期王妃。
下心しかない連中にとって、これ以上ないほどの脅しだ。
つまり、もう完全に困っている妹助けに来ている妹思いの姉だ。
「な゛ん゛て゛」
ブルーベルの婚約者については、ルミエール家自体が、ブルーベルを第一王子の婚約者に挿げ替えようとしているため、仕方ないといえば、仕方ない。
その事情を知らない周りからすれば、不思議でならないだろうが、一部ではヴァイオレットが大切な妹を任せられる男でないと婚姻を許してもらえないのではないかと、噂されているおかげで、誤魔化されているようだ。
これについては、ブルーベルからのヴァイオレットの評価が高いことも問題だった。
そもそも、ヴァイオレット曰くブルーベルには厳しく接しているつもりらしいが、ただの正しく厳しいだけだ。
そして、その厳しさはしっかりブルーベルに伝わっている。信頼関係が見事なまでに構築されてしまっているのだ。
「理由もなく、水をぶっかけるぐらいしてください」
理不尽に嫌がらせをするくらいはしてほしい。悪役令嬢なんだから。
「それでブルーベルの品位が落ちたら、第一王子に嫁げないでしょ」
そこは引けない一線なのか、こちらを睨むように否定する主人の言葉に、こちらもため息が漏れる。
最終的な目標が、ヴァイオレットと第一王子の婚約破棄およびブルーベルとの婚約である限り、ブルーベルもといルミエール家の品位が下がるようなことは許されない。
あくまで、ヴァイオレット個人の評価のみを下げなければいけない。
その難題のためにも、ブルーベルには心身健康にいて頂かなければならない。もちろん、無垢なブルーベルに這い寄る連中も、排除しなければいけない。
彼女が、つい友人の紹介だからと言って、悪徳貴族の犯罪の温床にされてみろ。この作戦が破綻しかねる。
何度考えても、あまりに理不尽で難しい問題に、これこそまさに悪役令嬢なのではないかと思ってくる。
「あと、自分についても」
突然、現れた謎の男が次期王妃候補である公爵令嬢の傍にいれば、話題にもなる。
ヴァイオレットの評価を聞いて回っている時に、どうしても自分の噂も耳に入ってくる。
「!! ようやく、奴隷を買ってるって悪い噂になってきた?」
主人は、ようやく得られた自分の悪評の可能性に、目を輝かせているが、貴族が奴隷の一人や二人持っていることに、今更何か言うわけないだろう。
ルミエール家というのは、多少驚かれるかもしれないが。
「奴隷に、使用人の服を着せて、執事として傍に侍らせるなんて、実は自分が何か訳ありで、ヴァイオレット様が、売られていた自分を助けたのではないかというのが、専らの噂です」
「みんな、頭にヒマワリでも生えているのかしら?」
「いいですね。今の悪役令嬢っぽいです」
怒りに任せてテーブルに置いてあったコルクを投げつける様など、正に目指している悪役令嬢じゃないか。
できることなら、グラスの方を投げてほしいが。
「もっと悪い話もありますよ」
「…………いいわ。聞きましょう」
不貞腐れている上に、もっと主人にとって悪い情報を耳に入れようとすれば、一度息を大きく吐き出すと、まっすぐとこちらを見つめる。
自分にとって悪い情報であっても、しっかりと聞こうとするヴァイオレットは、本当に人として好感が持てる。
つまり、まぁ、本当に悪役令嬢に、向いてなさすぎる。
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