(五) 別れ

 縁と顔を会わせたのは、半年ぶりだった。

 大学の夏休みの後半、一週間くらい泊まっていくつもりであるらしい。母からは、少しまえにそういう話をきかされていたが、うっかり忘れてしまった。高校生であるおれはもう夏休みが終わって、学校が始まっているのだから、夏休みがまだつづいている縁の話なんて、覚えていられるわけもなかった。じっさい、おれが顔を会わせることができるのは夕飯時くらいである。縁は、鵜足での新生活を面白がりつつ、故郷である山田をなつかしがっていた。

戻ってきた縁は、昔の友人たちをたずねたりしていた。

 縁が死んだのは浪人中だったから、かつての同窓の中には、このときはじめてその死と復活を教えられた者もいた。縁は、その彼女たちと遊ぶとき、自分の転生について話した。十人十色とでも言うべきなのか、ある程度時間が経てば容姿が変わることは当たり前であると受け入れていて、そもそも縁の身体が変わったことに気づかない者もいれば、まず大学デビューにあわせた美容整形を疑い、縁が弁解のように転生譚を語らなければならない者もいた。おれには信じられないような話だったが、後者は、縁が美容整形したことよりも転生したことを信じたらしい。

 両親と違っておれがものわかり悪く懐疑論を抱いていたのは、そうなると、親と子という立場の違いによるものではなくて、おれの個性に由来することでなければならなくなる。

 もちろん、縁の死後、すぐに転生を知らされた友人たちもいた。高校卒業後、いったん学校という共同の場所から切れた後でも、わざわざ縁の葬式にあらわれて、涙を流していたような者たちである。たとえば、千崎水緒。水緒は、縁の同い年で、幼なじみで、勉強の面では秀才だったが、同時に在学中から神童めいた新進の陶芸家でもあって、高校卒業後は大学には進学せずに、その道を邁進していた。高校受験のとき、おれの家庭教師をしてくれることもあった。見ているかぎり、水緒は、縁の転生をすんなり受け入れていた。それは、作家の空想力をもってすれば、受け入れられる話なのかもしれないとおれに思わせた。よするに、おれみたいな凡人にはよくわからない人種が、よくわからない話を受けいれていると言うのは、べつに珍しくないことだろうというわけだ。

 縁が帰ってきて三日目の夜に、縁と水緒と一緒にカラオケに行った。

 水緒は半年前に会ったときは髪をシルバーに染めていたが、このときはグリーンアッシュに染めていて、ワイヤーグラスをかけていた。複雑な形をしたボタンがついた黒い服を着ていて、縁がそのブランドの名を名前をあげながら、水緒のファッションを褒めたりした。

 カラオケでは、水緒は、おれたち三人のうち誰よりも朗々と歌っていた。

 とつぜん電話がかかって、縁が席を外した。おれと水緒だけになった。

 「こうしていると去年を思い出すね。二人とも受験勉強をしてて、煮詰まってそうだから、私がストレス発散にカラオケに誘ったりしたんだ」

 と、水緒が言った。

 「縁は、受験中、いろいろ禁止事項を作ってたからね。彼氏と会うのも控えてたみたいだし、私が空気を読んでやったってわけ。いや、なつかしい。あれはあれで楽しかったな」

 「水緒さんは受験しなかったからそう思うんですよ」

 おれは言った。

 「おれは三年後またあるんです。ああ、考えたくない。憂鬱だあ」

 「きみら姉弟は似ているね。昔縁も同じこと言ってた」

  水緒は、まじまじとおれを見ながら言った。覗きこむようにして、首をかたむける。

 「いや、ほんとに似てる。この頬骨から顎にかけてのカーヴとか、鼻の線と目がしらと目じりを結ぶ線の交わる角度とか、バランスとか、そっくり。彫刻向けの顔だね」

 「その辺はもう似てないでしょ」

 と、おれは言った。

 「まあ、そうか。でも私のなかで縁と言ったらまだあの顔だなあ」

 水緒はすこし気まずそうに一人笑いした。

 「いや、いまの顔が悪いとは言わないけどさ」

 「それはいまの縁の顔が偽物っぽいって意味ですか?」

 と、おれは訊いた。

 「それって信が思ってることじゃないの?」

 水緒は言った。

 「そうかもしれないです」

 「『かもしれない』ってなんだよ、弱気だねえ」

 「だって、偽物に違いないって信じてるわけじゃないし……、どちらかというと、死神の手違いでどうしたこうした話をみんながみんな信じるのに、なんかついていけないだけですから。水緒さんも信じてるんでしょ?」

 「さあ、どうだろう? 私は、まず先にあの縁が本物だと思った。だから、あの話もでっちあげのデタラメなんかじゃないと思った。べつに話に説得力があるから信じたとかじゃないからねえ」

 「なるほど」

 と、おれが言った。

 「『なるほど』、……ねえ?」

 水緒は苦虫を噛み潰したような顔をした。

 「まだ若い高一の懐疑論者をはげますために言うとね、縁が生き返ったって信じてる人ばかりじゃないんだよ」

 と、水緒は言った。

 「縁が拓真とべつべつの人生を歩むことになったのも、私が思うにそれが原因だな」 

 「え、縁って拓真さんと別れたんですか? 初耳です」

 「別れたんだよ」

 「初耳だ……」

「ついこの間のことだから、私がこんなところでうっかり漏らしてしまったことは秘密にしててくれよ」 

 水緒は人さし指を口元にピンと立てた。

 「なにはともあれ、この先の縁の人生に幸あれ、だ。鵜足の花白家といえば地元の病院で知られているようだし、その御息女であるならば、それは心配いらないかもしれないけど……、それはともかく、信が気になるのはこの場合大事なのはその原因ってわけだよね」

 おれはうなざういた。

 「遠距離恋愛が上手くいかなかった、就職した男と大学に進学した女で価値観が合わなくなった、ただたんに潮時だった、いろいろな言いようはあるはずだよ」

 と、水緒は言った。

「じっさい本人たちに訊いたらそういう答えが返ってくるだろう。でも、そんなことに騙されちゃダメ。ほんとうの理由は違うよ。拓真にはいまの縁が縁と信じられなくなったし、縁にもそれが分かった。二人ともはじめのうちはたんなる気紛れだと思いたかったはずだ。でも、そんな自己欺瞞はいつまでも続かないもの。こうして十分な時間が経ってしまえば、必然的な結論にたどり着かずにはいられなかった――私が察するところ、こうだ」

 「すごい。そんなことが分かるなんて」

 と、おれは言った。

 「ほんとうだったらすごいけど、でも水緒さんの想像じゃないですか。本人たちの言い分を否定するような証拠でもあるんですか?」

 「そんなものはいらない。二人のことを見てきた私にはなんとなくわかる。探せば証拠だってあるだろうけど、分かりきったことを確かめるために費やす無駄な時間なんて、私にはない」

 「うちの親は似たようなことを『気持ちの問題』って言ってた気がしますね」

 「ううん、俗な言い回しだね」

 水緒は言った。

 「私の霊感と言ってくれた方がまだましな気がする」

 「でも、そんなら拓真さんには、ちょっと人として残念な感じがしますね。結婚まで考えてたらし恋人なのに」

 「恋をしていたからこそ、とも言えるよ」

 水緒は言った。

 「拓真は縁に惚れていた。拓真にとって愛しい縁の笑顔は、きみにそっくりなあの笑顔だったわけだ。拓真の胸中にはその絵がしっかりと刻まれていた。でも、生まれ変わった縁は変わってしまった。たしかに、記憶は同じかもしれないが、その笑顔はもうかつてのものじゃない。一般的にはいまのほうが美人かもしれないが、拓真を救ってくれたかがやかしい笑顔と、いまの笑顔とが、同じものであるなんて、または一般的な美人の笑顔にそれ以上の価値があるなんて、拓真には信じようと思っても信じられない。彼が惚れた縁が素敵だったと思いたければ思いたいだけ、難しいことになる。拓真にとって、縁はもう死んだんだ。それが自分の気持ちにウソをつかない誠実な生き方だった!」

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