(三) 転生

 おれが中学三年生だったそのころ、縁は十九才で、浪人生だった。縁が、どれくらいまじめに勉強をしていたのかなんて知らない。おれが見ているかぎりで、さぼって遊び呆けているような様子はなかったから、来たる二度目の受験に備えて、それなりにがんばっていたはずだろう。そんな日々のこと、縁はとつぜん死んでしまった。重病を患ったわけでも、事故に遭ったわけでもない。前日と同じように眠りにつくと、翌朝にはベッドで完全に死体になっていた。一般的に言って、死ぬにはあまりにも若すぎて、縁がなぜ死ななければならなかったのか、誰にもわからなかった。

 翌日に通夜が行われて、さらにその翌日には縁は火葬されて灰になった。

 この出来事は、おれにとって、もちろんかなしいことには違いなかったが、それ以上に驚きがまさった。ひとりの人間の命というものが、かくもあっけなく、理不尽に断ち切られてしまうことに、それでいてことがスムーズに進んでいくことに、現実感がなかった。混乱していたといってもいいかもしれない。

 そのまま縁が生き返ることがなかったなら、たぶん、じわじわと悲しい気持ちがやって来たのに違いない。人並よりはやさしかった姉、とはいえかならずしも仲がいいばかりではなかった姉、一個の人間として向き合えたわけでもない姉について、記憶を一つ一つ掘り起こしては、もう二度と出会うことがなくなったことを痛感したのかもしれない。河童神社の肝試しでかけてくれた言葉が胸に迫ったりして、その喪失に涙したのかもしれない。それはつまり、目の前の現実にたいして、おれの現実感が追いつく時間が十分にあったならば、そうなっただろうということである。

 現実には、その時間はなかった。

 縁の死体が火葬された翌日のこと、おれはもう通学を再開していた。そこには縁のことを知るやつも、おれの身内の死にたいして関心を持つやつもいない。つまり、なんの変哲もない一日を過ごして、帰宅をすると、両親と一緒に、見たことがない若い女がリビングのテーブルに座っていた。

 彼女は、おれよりもすこし年上、大学生くらいに見えた。短髪で、くりくりとした丸い瞳がまっすぐに人を見る。いかにも親しげにおれの親たちに向っていた。セーターの上にワンピースを着て、袖をまくって、屈託なげに菓子を食べているらしき様子は、かえって世長けた大人っぽい印象をおれに抱かせた。でも、ひどく痩せていて、白い肌をしていて、いわゆる活発で社交的というタイプというわけでもなさそうだ。

 おれと目が合った。

 「おかえり」

 と、彼女は言った。

 声が気安い。

 おれはこのとき、彼女のことを所々の事情で葬式に参加できなかった親戚か、または縁の友人が、遅ればせながら我が家にやってきたのだろうと思った。縁の骨壺がまだ我が家にあって、仏壇の横に置かれていたからだ。きっと、彼女は縁に線香でもやりに来てくれたのだろう。ただ、いかにもくつろいでおれに声をかけたせいで、おれは気まずい思いをあじわった。

「見たことがない」などとはじめに思ったのはおれの勘違いで、たぶんおれと彼女とは面識があって、彼女はそれを覚えている。が、おれはそれを忘れている。そういうことではないか? 思いださなければ失礼なことにちがいなかった。

 おれが視線をさまよわせると、母がおれにたいして声をかけた。

 「おちついて、聞いてほしいの」 

 彼女と母とは、交互に彼女の身の上について教えてくれた。その物語は、おれの予想だにしていないものだった。


 縁が死んだときのこと、つまりこの三日前のことだが、縁の魂は、死神につかまえられて、冥界まで連れていかれることになった。冥界は、おれたち生者がたどり着くことができないほど、無限に離れたところにあって、一瞬で千里をかけるとも喩えられる、魂だけが辿りつくことができる場所だ。その冥界の使者として、おれたちには不可視の存在であるが、死神なるものもいるらしい。そして、そのそこでは、死神の上司たる大王がいて、その裁判所が死者の次なる転生先を決めている。縁の魂も、そうした所定の手続きに則ることになったわけだ。

 だが、縁が死神によって、大王の前に連れて来られたとき、あることが発覚した。それは、縁が別人と間違えられて冥界につれて来られたということである。たしかに「花白縁」は死ぬべきだったのだが、縁は死ぬべきではなかった

 この意味が分かるだろうか? 最初に聞いたとき、おれにはわからなかった。おれと同じ程度の理解力の者に向けて、もうすこし詳しく言おう。

まず、おれたちが住む山田市から五十キロ程はなれたところに鵜足市があって、そこには花白縁さんという女性が住んでいた。運命のいたずらと言うべきか、彼女は「花白縁」という名前を同じくしていたばかりか、生年月日も同じだった。姿形はもちろんちがうが、彼女もまた、十九才だったのだ。こうしたまぎらわしい事情が、ことの背景である。

 鵜足の縁さんは、重い病を患い、もう長い間病院から出たことがなかった。余命宣告を受け、自宅に戻って、なつかしい自室で起き伏ししながら、死を待っていた。ほんとうは、わが姉ではなくて彼女こそが、このときついに息を引き取るはずだった者、つまり、死神によって魂を冥界へ召される定めにあった「花白縁」だったのだ。ところが、担当をしていた死神がうっかり者で、名前と年齢を同じくする二人を取り違えてしまった。

 大王の前に縁がつれて来られたとき、大王はなにかがおかしいことに気づいた。大王は死神を追及して、手違いのあったことを認めさせると、あらためて鵜足の縁さん(の魂)を冥界につれて来させた。几帳面な大王は二人の魂をあらためて検分し、死ぬ時期が若干ずれてしまったことにたいする報告をまとめて、鵜足の縁さんが死ぬべきであると決めた。

 こうしておれの姉は現世に戻ることになった。

 しかし、ここで関係者各位を困惑させる事態が発生した。それは、縁の魂が冥界に来、大王の判決を待ち、その面前に来たところでミスが発覚し、大王と死神の問答の末、あらためて鵜足の縁さんの魂が召されることが決まり……、といった一連のやりとりのなかで三日が過ぎてしまったせいで、当の縁の死体が、火葬されてしまったということである。

 大王が縁を現世に返そうとしても、もはや宿る身体がどこにもないのだ。どうやって生き返ればいいというのか?

 ここで、大王が決めたさしあたりの弁償法は、鵜足の縁さんの身体はまだそのままだったので、その肉体に、我が姉こと山田の縁の魂を宿らしめようということだった。もちろん、死を待つばかりだった縁さんの苦痛に満ちた身体をそのまま渡すわけにはいかないから、ちょっとばかり人知の及ばぬ奇跡を起こして、それを健康体に戻すよう担当部署に手配することも忘れなかった。

 こうして、死後三日を経た晩に、花白縁は復活をとげたのである。

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