第5話 池のほとりにて






「うわーー! きれーい!」


 馬車を停めた道から少し入った先にそこだけポッカリと切り取られたような小さな池があった。周りの木々の色が濃いせいか水面はエメラルドグリーンに染まり、時折日があたってゆらゆらと美しく色を変えている。池の淵には花が咲いていて、白い水鳥が羽を休めていた。まるで精霊でも出てきそうな様相の池だ。


「水、綺麗だね! うわー、本当に綺麗」


 水を手ですくいながらはしゃぐイルに「落ちるなよ」と注意しながら苦笑した。この娘は自然に触れている時が本当に一番いきいきしている。


「なんだろう。ここに母様がいたらめちゃくちゃ絵になるよね」


 美しい池を背景にイルが両手を広げたが、ガヴィは思いっきり顔をしかめた。


「ヤメロヤメロ。せっかく煩わしい保護者の目から離れたのによ」


 アルカーナ王国の王都から、二人の故郷であるノールフォールの森に居を移したのはガヴィにとっても悪いことではなかったが、ノールフォールに住まうということはイルの母である精獣の黄昏の縄張内と言う事であり、ガヴィにとっては何かと都合の悪いことも多々あった。


(どこから見られてるか、解ったもんじゃねぇからなぁ……)


 水面下の魚を眺めてはしゃいでいるイルの安全を確保するようにさり気なく腰を引き寄せる。「お魚までキラキラだねっ」と二人の距離感を全く意識せず無邪気に笑うイルに、ガヴィは仕方ねぇなぁと思いつつ、いつも通りのイルにそれはそれで安心するのだった。


 「ここ、見たことない花が咲いてる。やっぱり外国なんだねぇ」


 ノールフォールと気候が似ているとはいえ、やはり山を越えると生態系も多少変わるらしい。イルは初めて見る花や草に興味津々だ。アルカーナ王都にいた時は気づかなかったが、イルは薬草や花の種類に対しての知見が深い。ノールフォールに移住してからは暇さえあれば草の採集に出かけている。本人曰くただの趣味らしいが、あまりに詳しいので最近では魔法使いのマーガやドムが時々イルの採取した草を貰いに来るぐらいだ。「ね、あっちの方ちょっと見てきていい?」とイルに言われてガヴィは「池の周りだけな」と返事をした。




 ガヴィから少し離れて池の畔を歩く。草や花に興味のないガヴィはイルが草取りに夢中になると距離を置く。集中すると一緒にいるガヴィのことを忘れがちになるので、放っておいてくれるのはちょっと有り難い。べったり張り付かれてしまっては、それはそれで動きづらいのだ。

 ここには見たことのない花や草があり、採取したくてウズウズするが、王家専属魔法使いであるマーガから「草や花、生き物の中にはその地ならではの生態というものがあります。むやみに他の土地の種や生き物を持ち込むと持ち込んだ先の生態を崩す……ということもありますから注意が必要ですね」と教えてもらった。それでも、新しい草を発見した時に採取したい欲は沸く。そんな時はどうしたら良いのだと尋ねると、マーガはニッコリと笑って「これに描き写すといいですよ」とイルに小さなノートと持ち運び用の筆記用具をプレゼントしてくれた。それからは、イルの腰のポーチにはいつもノートとペンが入っている。


 池の淵に咲いた、薄桃色の小さな花をノートに描き写す。勉強はあまり得意でなかったが、好きなものを調べたりすることは大好きだ。風に揺れる小さな小花を上手く写し取れたことが嬉しくて、イルはふふ、と密かに笑った。


「……あれ」


 すぐ傍で、ブルルと馬の声が聞こえた。

 ふと顔を上げると、少し離れた所で黒毛の裸馬が水を飲んでいる。その馬は黒い毛並みだが、さした光で青いような、碧いような色をしていた。人間であるイルが直ぐ側にいるのに平然と水を飲んでいる。黄金色のたてがみが黒い体躯によく映えて、不思議な風格を醸し出していた。


 ゆっくりと立ち上がったイルが裸馬を見る。黒毛の裸馬のアイスブルーの瞳がこちらを見た気がした。



 馬車を停めている所から、侍女のリズが「侯爵様ー! イル様ぁ!」と呼んでいる。休憩がてら簡単に火を起こして茶を淹れると言っていたから準備ができたのだろう。ガヴィはリズの方に軽く手を上げるとイルに近より声をかけた。


「茶が入ったってよ……どうした?」


 池の対岸を見つめて動かないイルを不思議に思って尋ねる。イルはすっと馬の場所を指さした。


「……あのね、さっきそこに馬がいたの。黒くてね……この辺、野生馬っているのかな」

「馬? ……まあ、いてもおかしかねえと思うけど」

「そっか。そうだよね」


 なんか不思議な感じのする馬だったから見とれちゃった、と笑ったイルは「おやつもあるかなぁ?」と何事もなかったかのようにガヴィをぐいぐいと皆のいるところに引っ張っていった。

 

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