カラス
シブサワ
カラス
カラスも楽ではない。
我々はなまじ頭がよいばかりに苦労する。
まず、我々は互いに意思疎通が取れるから、会話だって当然できるわけだが、カラスどうし、餌場を分け合わなければならない。縄張りとも言うのだろう。どちらにしても、肝心なのはこの風習が私にとって都合が悪いということだ。
私の右の翼には、白い羽が混じっている。これが厄介なのだ。異なるということは好ましく作用しないことが多い。もう言ったことだが、我々は頭がいい。だからお互いの違いが理解できるし、同じものどうしで縄張りを形成し、不適切な者を排除する。知性を得た群体というのは、人間のように愚かになってしまうらしい。同じカラスとして、非常に嘆かわしい。烏滸の沙汰とはこのことだ。
私の羽は、あのつまらない真っ黒けどもから見れば、とても奇異なもののようだ。私の体のごく一部が白いだけで、それ以外はつまらない真っ黒けなのだが、それでも違いがあるということは、どうにも許しがたいことらしい。私にはそれが、どうにも理解できない。
生まれてすぐ、私は他のカラスたちから除け者にされた。どこの縄張りにも入ることが許されず、私は一人で生きてきた。時には、薄汚く、食べ物を横取りしたこともある。仕方がない。生きているからには、食わねばならぬ。食わねば生きられぬ。生まれたからには、生きるために食わねばならぬのだ。
こういうわけで、私はいつも一人だ。昔は一人ということにもずいぶん苦労したが、今となっては、あの群れの中にいなければ生きていけない連中の方が気の毒に思える。まあ、たまに私にわざわざちょっかいをかけてくるバカなカラスもいるので、身を隠しながら生きねばならない不便さはあるだろう。
私が最近、専ら一日の大半を過ごす小さな公園がある。後からできた何やら大きな建物の陰になり、一日中日陰で、ほとんど人が寄り付かず、遊具は錆び、ベンチは汚れ果て、草は好き勝手に生え放題という有様だが、そんなことカラスには関係ない。ほかのカラスが滅多に来ないと言うだけで私には価値がある。
ところがそんな場所に、最近よく訪れるやつがいる。
メスのクロネコだ。年齢にして八歳くらいだろう。このネコ、余程の変わり者のようで、私の存在に気づくと、ショッピングモールのゴミから食べ物を拝借して、公園の隅に持ってきて私を誘うのだ。てっきり食われるものと一週間ほど無視していたのだが、ついに向こうから声をかけられて、私は下りてやった。
「取って食ったりしないわ。安心なさい」
クロネコはそう言った。もちろん、それが事実とも限らないが、この賢いメスネコにならば食われても仕方がないかと思い、誘いに乗ってやったのだ。
調理された鶏の残骸に舌鼓を打つクロネコの正面に来て、嘴で一緒にそれをつっついた。不味くはないが、私には少々油っ気が強かった。
「お気に召したかしら」
とクロネコ。
「貴様も変なネコだ。私のようなカラスに、なぜこのようなことをするのだ。取って食ってしまえばよかろう。動物とはそういうものではないか」
「いやよ。一回あなたとお話してみたかったのよ。カラスのくせにいつも一人。ほかのカラスとつるんでるのを見たことないんだもの。あなたこそ、よっぽどの変わり者ではなくて?」
実に賢しいネコだ。ネコでなければ、よき友になっていたことだろう。
「綺麗な羽だわ」
私は思わず聞き返した。
「羽よ。白い羽。綺麗だわ」
「黙れメスネコ。貴様に何が分かるという。この忌々しい羽が美しくなどあるものか」
「それで、仲間外れなのね」
「ああその通りだ。彼奴らの頭の悪さは鳥だとしても酷いものだ」
「ええ本当に、酷いものね。こんなに綺麗なものを理解できないだなんて」
クロネコは私の羽を見つめた。私も翼を広げて、改めてよく見てみた。……やはり、美しくなどあるわけがない。
「……くだらないな」
そう言って私は急いでその場を去った。
その後も何度か、このクロネコと話す機会があったが、いつの日からか、クロネコがやってこなくなった。一日や二日やってこないことは今までもあったが、今度は一週間しても戻らない。私は不思議に思って、探しに行くことにした。
久しぶりに街に出た。相変わらず人間もカラスも喧しい。特にカラスどもの、私に聞こえるか聞こえないかの声の悪口雑言は不快でしかなかった。しばらく聞いていなかったから、特にそう感じるのだろう。
日が暮れるまで探し、翌日も、その翌日も、私はクロネコを探し続けた。あの賢しいネコが簡単に死ぬはずはないと、食べるのも忘れて探し続けた。それがよくなかったのだろう。私はうっかり、カラスの縄張りのど真ん中に飛び込んでしまったのだ。
「おい、あの盗人が来たぞ」
「小汚いやつめ、近づくな」
「八つ裂きにしてしまえ」
カラスどもは口繰りに汚い言葉を吐き、罵った。私はすぐに逃げようとしたが、逃げ損なった。大勢に囲まれ、全身を嘴でつつきまわされ、それはやっとの思いでそこから逃げだすまで執拗に行われた。おかげで片目は潰れ、嘴は欠け、全身から血が流れた。
飛び続けることができず、カラスのいない場所で一休みしようとしたが、安息の地はどこにもなかった。人間どもがいたのだ。
「汚ねえカラス!」
「こっちくんな!」
人間の子供は、道端の礫を拾うと、思いっきり私に投げつけた。体にいくつか当たったが、何とかその場を逃げた。また別の場所で羽を休めようとすると、今度は人間の老婆に見つかった。
「ひぃっ、寄るな! 不吉だ!」
などと喚いた老婆は、私を持っていた箒で叩きのめした。それは私の右の翼の骨をへし折り、ついに私は動けなくなった。もう飛べない。翼の先を少し動かすことさえもできず、ただ少し歩くことはできたから、そこから逃げようと、この歩きにくい足で逃げた。あの忌々しかった空でも、二度と飛べないとわかると、寂しかった。
だが、ダメだった。ほんの何歩か歩いたところで、視界がぼやけて、躓いてしまった。倒れた私は、今度こそもう動けなかった。飛ぶも歩くこともできず、ただ全身の痛みだけが私の感覚のすべてだった。視界も暗くなっていく。怖さもあったかもしれないが、呆気ない私の死に、拍子抜けする気持ちもあった。
「……あなた」
聞き覚えのある声。あのクロネコがそこにいた。首に似合わない赤い首輪と鈴をつけている。
「ここに……いた……か……」
「拾われたのよ。居心地もいいし、それでいいと思ってたわ。あなたに挨拶しなかったのは心残りだったけれど、まさか探しに来てくれるとは思わなかったわ……どうして、来たのよ」
「……さあ。わからぬ。わからぬが、貴様の顔を拝みたかったのだろうな。私は、今まで私というものが忌み者でしかないと思って生きてきたのだ。まったく、こんな羽があったばかりに、私は仲間を持つこともできなかった。一人で生きてきた。だが貴様が、貴様だけが……私のこの羽を綺麗だと……美しいと言ったのだ。なんと……嬉しいことが、あったものだと……思った……ものよ。生きているうちに……美しいなどと、言われるとは……」
クロネコの舌が私の頭を撫でた。ザラザラとした温かい感覚がぼんやりと伝わってきた。
「……ねえ、今でも、その羽は嫌い?」
賢しいクロネコは、最後に愚かな質問をした。
ああ、愚かだとも。貴様にしては実に愚かな疑問だ。この忌々しい羽のせいで、私は何も得ることはなかったが、最後にひとつ、得難きものを得たのだ。
「決まっているだろう……」
私は、もう満足なのだ。
カラス シブサワ @ShivSour
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