絶望のバッテリーパック
まさか からだ
第1話 残量ゼロの男
大和の朝はいつも同じだった。スマートフォンのアラーム音が無機質に響き渡る中、彼の目は重たく、開くことを拒む。毎朝、起きる理由を探すような感覚に苛まれながら、身体は機械的に布団を離れた。
鏡に映る自分の姿を見ても、何も感じない。生気のない顔色、くすんだ目の下のクマ、こびりついた無関心――それらはまるで自分自身ではない別人のようだった。
職場に向かう電車の中、大和はイヤホンから流れる音楽にも耳を貸さず、ただ窓の外をぼんやりと眺めていた。車窓に映る自分の顔はどこか歪んで見える。だが、それが自分の心情を反映しているのだと思うと、妙に納得してしまう自分がいた。
仕事は容赦なく彼の心を削り続ける。上司からの叱責、終わりの見えないタスク、競争に疲れ果てた同僚たちの冷たい視線――それら全てが大和を静かに、しかし確実に追い詰めていた。家に帰れば、待っているのは不機嫌な妻と、不安そうにこちらを見つめる子どもたち。彼らの期待がプレッシャーとなって、さらなる疲労を生む。
ある夜、大和はとうとう自分が限界に達していることを悟った。ソファに腰を下ろし、何気なくテレビをつけたが、画面の中の人々の笑顔が無性に疎ましかった。何が楽しいのか分からない。何が幸せなのかも分からない。心の中にぽっかりと空いた穴は、どれだけ埋めようとしても埋まる気配がなかった。
そんな時だった。部屋の隅、段ボール箱の山の中から、ひとつの光が漏れ出しているのに気がついた。
「何だ……?」
不思議に思い、段ボールをどけると、中から黒く光る小さな装置が現れた。スマートフォンほどのサイズで、中央には液晶画面が付いており、そこにはバッテリーの残量を示すメーターのようなものが表示されていた。現在の値はゼロ。
「何だこれ……」
誰が置いたのか、どこから来たのか、大和には全く覚えがなかった。しかし、その装置は彼を奇妙に引きつけた。
ふと液晶画面が明るくなり、機械的な音声が再生された。
「あなたのエネルギーを充電します。手を触れてください。」
それはまるで命令のようだった。大和は、ためらいながらも装置に手を触れた。その瞬間、何かが身体を駆け抜ける感覚に襲われた。
胸の奥から、まるで押しつぶされていた何かが解放されるような感覚。頭がすっきりと冴えわたり、肩の重みが一瞬で消えた。驚きと共に画面を見下ろすと、バッテリーのメーターがぐんぐん上昇していくのが見えた。それに比例するように、大和の心は妙な高揚感に包まれていった。
「なんだこれ……すごい……!」
その夜、大和は久しぶりに深い眠りについた。翌朝目覚めると、身体が驚くほど軽かった。通勤電車の中でも、心に余裕があるような気がした。仕事もいつも以上に効率的に進められ、上司から初めて褒められたような気がした。
だが、喜びも束の間だった。
日が経つにつれ、バッテリーパックが再び空になり、使わないと心が焦燥感に駆られるようになった。装置を使えば楽になると分かっているのに、その度に奇妙な感覚が伴う。夜中、何かが耳元で囁くような音が聞こえた。鏡を覗き込むと、自分の背後に黒い影のようなものがちらついているような気がする。それがただの疲労のせいなのか、それとも装置が見せる幻なのか、もう大和には分からなかった。
「これを使い続けて、本当に大丈夫なんだろうか……」
そう思いながらも、彼は再び装置に手を伸ばしてしまう。そして、彼の目にはバッテリーメーターが充電される様子が映し出された。その時、大和は気づいていなかった。充電された分だけ、彼自身から何か大切なものが失われていることに。
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