4話


 目を開くと、いつのまにか昌子はリビングのソファに横たわっていた。すぐ横で、大きくなった愛が人形で遊んでいる。


「まさちゃん!」


 昌子が体を起こすと、すかさず愛が駆け寄った。


「まさちゃん、ロールパンナちゃんみたいだよね?」


「ああ?」


 小さな手に握られたソフビ人形を一瞥する。


「愛、パパたちは?」


「パパはねえ、お外」


「他のやつらは?」


 愛は首をかしげ、話を聞いていないのか「ねえ、ロールパンナちゃんはなにが好きなの?」と聞いた。


「ロールパンナちゃんに聞きな」


 昌子は立ちあがり、窓辺に近づいた。その後ろで、素直にも昌子の言うことを聞き入れた愛が人形に話しかけている。ロールパンナちゃんは、なにがおすきですか。パンですか。お肉ですか。愛はシチューがすきだけど、レティがお野菜をこっそり入れるから、やっぱりきらい……。

 昌子はシャツの前ポケットからたばこを取り出し、窓辺にしゃがみこんで吸った。まだ愛は人形と会話を続けている。その意外にきちんとした物言いを聞きながら、それでも愛は子供だ、と昌子は考えた。好き嫌いは多いし、言葉もまだ不十分だし、走っているとしょっちゅう転ける。わがままだし、言うことが支離滅裂で、こちらの言い分を聞かない。

 昌子の唇からなだらかに煙が流れでる。考えごとが、そのまま宙に漂っているような気がした。


「愛もそれ欲しい」


「だめ」


 愛が手をのばしたので、庭に吸いがらを捨てる。すると愛が膝の上に乗ってきて、ポケットからたばこの箱を素早く取り出した。口にくわえようとするので、慌てて取りあげる。


「こら! これは大人専用なんだよ」


「えー、じゃあ、愛はおとなです!」


「じゃあってなんだよ。なりたくてなれるもんじゃないの」


 頰をふくらませる愛を捕らえ、手の届かないように箱をズボンのポケットにしまい直す。しばらくそれすらも奪おうと暴れていたが、力づくで押さえつけると、ようやく諦めて膝の上でおとなしくなった。


「まさちゃんは大人なの?」


 けろりとした顔で愛は昌子を見上げた。


「そうだよ」


「愛、いつになれば大人になる?」


「あと二十年くらいたてば勝手になる」


「えー、愛、待てるかなあ。まさちゃんはいつ大人になったの?」


 昌子は数秒考えこんだ。


「まあ、最近だな。ある意味」


「ふーん、パパは?」


「パパは、わたしより遅いんじゃないか」


 愛は目を輝かせた。いたずらを思いついたときの顔だ。警戒していると、やはり愛は目をきらきらとさせながら「ねえ、まさちゃんは、ばばあなの?」と言った。


「なに?」


「トアがねえ、まさちゃん、一番ばばあだから、パパがかわいそうにおもって、きづかってるって言ってた!」


 ベランダの脇に、ちょうど道具箱が置いてある。昌子はその中からスパナを取り出し、何回か手の上で投げると、頭上に向かって手首のスナップを利かせて投げた。スパナが回転しながら緩やかに飛んでいくのを横目に、愛を抱えて立ちあがる。すぐになにかの割れる音と、ガラスの破片が庭先に落ちてきた。甲高い怒鳴り声が聞こえる。


「愛、それは悪い言葉だから、言っちゃだめだ」


「でも、トアは言ってたもん」


「あんなアバズレの言うことは聞くんじゃない」


 そう言ってから、これもまた悪い言葉であると気づく。怒涛の勢いで階段を駆けおりる足音が聞こえる。愛を床に降ろし「とにかく、トアの言うことはあんまり聞くなよ」と言いつけてから庭に走りでた。そして膝を曲げたバネで、玄関のひさしへ飛びあがり、右から二番目の窓に飛びこむ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る