「トレイの大工さん」後編

 あまりにも暇すぎる廃校ライフを、なんとかDIYで変えてやろうと決意したその日から、私、花子さんの生活は激変した。何しろこれまでずっと「学校のトイレに棲む幽霊」という固定イメージを背負っていたにもかかわらず、今や目指すは「トレイの大工さん」。夢か幻か、いえ紛れもなく現実(?)だ。前編(と勝手に呼んでいるけど)では道具箱を見つけて意気揚々としていた私だが、実際のところ、道具だけ揃えても何ひとつ上達しないのは当然。そこからが長い道のりだったのだ。


 まず、廃校の薄暗い備品庫に潜り込み、使えそうな資材をかき集める。古いドアの板切れや、いつの時代のものかわからない鉄パイプ、それに座布団のような何か――少なくともトイレ修理に必要なものは数多く存在しそうに思えた。いかんせん廃校で電気が通っているわけもなく、真昼でも薄闇、ランタン代わりに廊下に転がっていた懐中電灯を手に提げて探索する。かれこれ数十分経ったころだろうか、備品庫の奥に腐りかけた木材の束が見えた。マスクもなしに近づくのはややリスキーだけれど、私はすかさずその材木を引っ張り出す。すると突然、ガサゴソガサゴソと嫌な音がした。


 嫌な音がした、というか、正直に言うと、何かが蠢いた気がする。幽霊の私が言うのも変だが、これは明らかにこの世ならざる動き――いや、普通の生き物かもしれない。ネズミやゴキブリのたぐいなら、廃校には山ほど生息しているだろう。でもね、暗闇でにゅるりと動いたあれは、あまりにも大きい。“ほぼ猫サイズの虫” なんて存在するのだろうか? あるいは、すでに成仏できずに彷徨っている何か? 思考はぐるぐる回る。いや、怖がるな私。よく考えろ、私はホラーの象徴、花子さんじゃないか。


 しかし私の怖がる心に呼応するように、その “物体” はうごめき、裏返ったバケツを転がして姿を隠す。見なかったことにしておこう。きっと私が動かさない限り、あれが再びこちらを襲ってくることはないだろう。すぐそばの板の裏に「異形の影」が潜んでいる気配はするものの、この荒廃した備品庫のあちこちに潜む “何か” の一つに過ぎない……と考えたら、なんとか落ち着きを取り戻せた。幽霊だからって、無敵というわけじゃないんだよね。生理的な恐怖はぬぐえないものだ。


 そうして私はあれこれ考えるのをやめて、木材だけはしっかり確保し、錆びたクギなんかもそこら中から拾い集めた。どうせ誰も使わない備品だし、使えるものは使ってしまえという精神である。とにかくDIYのためなら何だって利用するのだ。怪しい物音には一瞬ビビったが、気にしていたら一生トイレは改修できない。勢い第一。


 さて、いざトイレに戻って資材を並べてみると、そのあまりのボロさに思わずため息が出た。床は抜けかけ、便器は割れ、鏡は割れていて自分の姿が千々に映る。しかもカビ臭い。何度も言うが、ホラー的には大成功だろう。だが問題は “汚らしさ” のレベルが半端ないということ。ここは私が長年(?)陣取ってきた場所のはずなのに、なんでこんなにも惨状になってしまったのか。いや、放置すればこうなるよね、とわかっているけれど、いざ目の当たりにすると想像以上に胸が痛む。やるべきことは山積み。しかし、それと同時にモチベーションも山盛りで湧いてくる。


「とりあえず配管だよね」


 まずは水回りをなんとかしないと、トイレなんて存在意義を失う。実際、便器に水が通わない以上、ここはただの物置だ。私は錆びた工具を駆使して、洗面台の下の配管へ手を伸ばしてみる。パイプレンチらしきものをぐりぐり回すと、思ったよりあっさり外れる部品。それと同時に、どす黒い水の塊がぶしゅるるる、とまるで妖怪の吐息のような勢いで吹き出した。ぎゃあと悲鳴を上げたのは私だ。油断していたからね、思いっきり不快な臭い水をかぶった。いやいや、幽霊だから服は汚れないのかもしれないが、気分的には最悪だ。


 だが、こうなることもある程度想定内だ。配管ってのは、何十年もほったらかしにしておくと腐るんだなあと改めて実感。それでも、ここで諦めるわけにはいかない。私は次々とパイプを抜いては、使える部位と使えない部位を振り分ける。それが正しい工程なのかはわからない。だって私はDIY初心者である。だけど、やっているうちに妙な手応えを感じた。錆びの固まった部分を削って、そこに新品(といっても廃校で拾った部品だけど)をなんとかはめ込んでいく。配管がどこへ続いているのか、構造はよくわからないが、とにかく繋がっていれば水が流れるかもしれない。


 そんな希望的観測を頼りに、数時間かけて水回りをいじった後、私は意を決して蛇口をひねる。すると、がしゃん、ぶしゅる、がらがら、と錆びつきまくったパイプの抵抗音が響いたあとで、少しずつ――お世辞にも透明とは言えない色の水が出てくる。しかも断続的に、ぼっとん、ぼっとん、と断末魔のような音を立てながら。まあ、いい。まずは出るだけマシ。まったく出ないよりは進歩だ。


「よし……第一関門突破って感じかな」


 私は満足げにうなずいた。廃校なんだし、清浄な水が出るなんて期待していない。とりあえず流れれば御の字。なにせトイレを動かすには水が必須だ。あとは時間をかけて水を少しでも澄ませるしかない。この辺は半ば楽観的にやるしかないので、とにかく配管は一歩前進。よかった、DIYって根気があれば何とかなるのかもしれない。次は、真っ二つにヒビ割れた便器の交換……といきたいところだが、この廃校には新品の陶器の便器が転がっているわけもなく、手元の材料と針金、ボンド、そして謎の鉄板で “なんちゃって修理” をするしかない。専門家が見たら絶句するような修理だろうけど、自己流でゴリ押しだ。


 私は木材や鉄板の破片を抱え込み、便器の形をなんとか保つようにぐるぐる巻きに補強していく。この際、外見はどうでもいい。使えればいい。最後に適当に防水シーラント剤っぽいもの(備品庫の棚から見つけた缶)を塗り込み、なんとなく隙間を埋める。どれだけもつのかは未知数。そもそも水漏れが起きそうで怖いが、やってみないとわからない。


「怪しい仕上がりだけど、まあいいや」


 ついさっきまで廃材だったものを便器の一部に取り入れているあたり、どこかシュールだ。ただ、その外見の不格好さが、手作り感があって愛着を高めている気もする。いや、こんなカスタム便器、世の中に存在しないだろう。何が何だかわからない部品がくっついているし、もうこれをトイレと呼んでいいのかも疑問だが、とにかく私は自分の手で少しずつ修繕を進めているのだ。笑わば笑え、私が不器用でも手探りで前に進もうとしている、この状況こそが幽霊としての新しいステージかもしれない。


 しかし、その作業の合間合間に、先ほど備品庫で見かけた “何か” の気配を再び感じることがあった。いや、配管の上流にいるのか、あるいはこの廃校全体を徘徊しているのか、ともかくときどきカサカサと嫌な音がする。正直言うと、私は気が気じゃない。ホラーの象徴である私がホラーに怯えるというのは、ギャグとしては成立するかもしれないが、当の本人からすればそんなに笑えない。気になる。けど、かといって作業を中断するわけにもいかない。振り向いたら負けみたいな雰囲気があるし、第一、私が足を止めたらこのDIYは永遠に終わらない。


 それでも気になった私は、少しだけ廊下に耳をそばだてた。すると天井裏のほうで、ずるずるずる、という音とともに、水道管を伝うような足音がするような……気のせいかもしれない。完全にホラーじゃないか、これじゃ。だけど、いまさら怖がっても仕方ないので、私は開き直ってトイレの壁を補強する作業を続ける。割れたタイルを剥がし、モルタルの代わりに謎の接着剤を塗り、木材で蓋をする。無茶苦茶な工法だが、思いのほか壁は安定してきた。こういう「なんとなくうまくいった」瞬間って、実にDIYの醍醐味じゃない? 私はちょっとだけテンションが上がった。


 さて、大まかな修繕が終わり、あとは掃除が残っている。最初に言ったように、このトイレの汚れ具合はホラーでは済まされない領域。私は腐ったスポンジやボロ雑巾を駆使して、床や壁、便器まわりをこすりまくった。幽霊のはずなのに汗まみれ、いや冷や汗かもしれないけれど、全身全霊でこのトイレを磨いてやる。途中で水を流してみたら、めでたく(?)水漏れが発生。慌ててクギと木材で塞ぎ、なんとか騙し騙し回避する。試行錯誤の連続だが、まるで生きているかのように意思を持つトイレと対峙している気分だった。私はいつのまにかDIYに没頭し、自分が幽霊であることすら忘れかけていた。


 長いようで短い数日間。時間の概念が曖昧な私にとっては「まあ一瞬だったかも」と言えるほど、一気にトイレが息を吹き返す。いや、息を吹き返すほどピカピカになったわけじゃないけど、すくなくとも廃墟じみた汚れはだいぶ落とせた。相変わらず怪しい設備ではあるけど、少なくとも水は出るし、便器も座ってみればそこそこ安定感がある。配管からの変な音も減った。壁に貼った板をペンキで雑に塗ったら、なんだかレトロ可愛い雰囲気になってきた気さえする。自画自賛だけど。


「やった……私、ついにやり遂げたよ」


 浮かれて声を上げた瞬間、ふと天井からミシッと音がした。慌てて見上げると、丸い虫のような何かが天井裏の穴からこっちを覗き込んでいる。一瞬、ぎょっとしたが、すでに私は自分のテリトリーがきれいになった達成感に包まれている。たとえ正体不明のクリーチャーが出てきたとしても、今さら驚かない。むしろ今なら「おまえ、手伝ってよ」と言えるんじゃないか。もちろん言葉は通じないだろうけど。動じない自分に、我ながらびっくりしている。DIYの過程で、私は少しだけ“花子さん”という幽霊から、ふつうの存在に近づいたんじゃないだろうか。


 そうしてその“何か”は、私をじっと見つめている。怨霊なのか、ただの野生生物なのかはわからないが、天井裏に戻る前に、ほんの一瞬だけ頷いたような気がした。認められた? あるいは「また来るよ」という合図かもしれない。よくわからないが、やたらと恐怖は感じない。むしろ、共存してやってもいい。だって私は一仕事を終えて、満足感でいっぱいなんだから。廃校にはいろいろな生き物や霊がいるかもしれないけれど、私だってここに根を下ろしているわけだし、ある意味同居人みたいなものだ。いいじゃないか、少し怖い思いはしたけど、この程度なら許容の範疇だろう。


 改めて、便器のフタをパカリと開く。ここが私の新しい居場所。汚いなんてもんじゃなかった昔の姿は、もうそこにはない。少なくとも数日は保ってくれるだろう。私の悪戦苦闘の結晶だ。世間のイメージとは違うかもしれないが、学校の怪談に出てくる花子さんだって、手先が器用な時もあるのだ。自分のトイレくらい自分で整備したっていいじゃないか――そんな新時代の怪談を生きる私は、そっと自分の“DIYトイレ”を眺める。誤解されそうだけど、これが今の私の誇りだ。


 とはいえ、まだ細部の仕上げは残っている。壁の穴を埋めるとか、ドアの蝶番を直すとか、実はやりかけの課題がいくつもある。せっかく道具は揃ったんだし、これからもコツコツアップデートしていけば、さらに快適なトイレライフが待っている……かもしれない。だってこの廃校、他に誰もいないんだから、いつかは人が来るかもしれないし。そのときは怖がらせるよりも、この完成したトイレを見せびらかすのも悪くない。いったいどんな顔をされるんだろう。学校の怪談がまさか手製のトイレにこだわるなんて、誰も予想しないだろうしね。そんな未来を想像するだけでちょっと楽しくなる。


「……トレイの大工さんか。意外といい響きじゃない」


 私がそう呟くと、改装した鏡の破片に映る自分(幽霊のわりに気持ちは生身)がにやりと笑った。ホラー要素たっぷりの神秘的な笑み……ではなく、ただの自己満足に満ちた笑顔だ。そうとも、これは私の自己満足。だけど、それでいい。暗く埃まみれだった場所を、自分の手でちょっとだけ明るくしてやった。それはもう立派な成就だろう。次なる目標は、タイル張り替えかな。それとも古い窓をDIYして、日の光を取り入れられるようにするのもいいかもしれない。やりたいことは無限にある。廃校の寂しさはもう感じない。空気こそ淀んでいるけれど、私の心は妙に清々しい。


 かくして、私が一人で(ときどき謎のクリーチャーの気配を感じながら)進めたトイレのDIY大作戦は、ひとまずの完成を迎えたのだ。まだ完璧にはほど遠いし、“作品” と呼べるほどオシャレでもない。だけど、私自身が満足する形で改修できた――それこそが重要だ。


 最後に、せっかくだから便座に腰掛けてみる。おそるおそる水を流すと、配管はガタガタ鳴りながらも、かろうじて水が循環する。ほら、ちょっとだけ機能するじゃないか。すごい。私、やればできるんだと感動しかない。栄光の拍手喝采を送る観客もいないし、誰に見せびらかすでもないけれど、この小さな成功体験はきっと私の新しい糧になる。


「私の新しい伝説――“トレイの大工さん”。あながち冗談でもないかもね」


 こう呟いたとき、不意に廊下から吹き抜けた風がトイレの扉をばたんと閉めた。ぎょっとしたものの、これがホラー演出ならタイミングは完璧だ。だけど私はどこまでも楽観的だ。恐怖よりも達成感が勝っているから、むしろ自然な風の悪戯だろうと思える。ほら、どこかからファンファーレが聞こえてきそうじゃないか。私、もう誰も来ない廃校で、こんなに“生き生き”しているんだ。誰かに見せられないのがほんの少し残念だけど、まあ今はこれで十分満足。


 というわけで、この汚いトイレをDIYするという大胆なチャレンジは大成功(自称)に終わったのだった。私はこれからも、ここで“トレイの大工さん”として自給自足のライフスタイル(?)を続けていくんだと思う。花子さんと呼ばれるほどにはホラー的存在なはずが、今や私は配管の仕組みに強い怪談キャラ。新時代の幕開けと言えましょう。いつか、この廃校に誰かが訪れたとき、もし勇気を出してトイレの扉を開けてくれたなら、驚きと哄笑と、ちょっとだけ感動を与えられる自信がある。幽霊だってDIYするんだぞ、と。


 そうよ、世の中がどう言おうと関係ない。私は今、廃校のトイレで誇らしげに笑っている。もう一度言おう――私は花子さん、正式には“トレイの大工さん”だ。何かカッコいい台詞を残したかったけど、思いつかないからやめておく。まあ、いいよね。これくらいの曖昧さが私らしい。


 終わり……でも、また新しいDIYが待っているかも。好きにすればいいんだ、この廃校が私のキャンバスなんだから。やっと見つけた、私の生き(?)がい。どこまで続くかはわからないけれど、楽しみは尽きない。よし、じゃあ次は洗面所の鏡をきれいに貼り直すか、その足で理科室の器材でも拝借してきて、しゃれたインテリアでも作るか。まだまだ私のホラーコメディは終わらない。もう誰もいないけど、私はここにいる。これこそが私の“スクールライフ”だ。そんなことを思いながら、トイレの扉をそっと開け放つ。


 ――学校の怪談は、こうして続いていく。めでたし、めでたし。


(完)

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トイレの大工さん 真島こうさく @Majimax

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