第4話 言葉がつなぐ作業場の風景

 学は月曜日、事業所Mに行った。そこにはゴウ、イナズマ、コトゲの3名が待っており、学を含めた4人は冷房の効いた部屋で涼んでいた。


 彼らの滑り出しは、おおむね順調だった。シンプルに、「こういう時は、「はい」と言って下さい」や、「今のは、「ありがとう」って、言ってください」など、学の知っている、やり方で、彼らは、少しずつ、挨拶を覚えていった。


 でも、学は、何か、良い方法があるのでは? と、人知れず、悩んでいた時期でもある。


 そんな様子を見ていた他の人々は思った。

 ——学にはできるのに、なぜ自分にはできないのか——

 彼らは学の真似まねをしようとしたが、思うようにいかず、やがて苛立いらだち、八つ当たりするようになった。学にとって、それは、ひどく心を、乱される事だった。


 特に、太田というふくよかな女性と、小池という中年男性は、高飛車な態度で学の大切な仲間たちに接し、まるで彼らを自分の下僕しもべのようにあつかった。

 

 学は、彼らに注意をうながしたかったが、なかなか実行できなかった。仮に説得しても、彼らは強引で、自らの非を認めるようなタイプではなかったからだ。


 学は彼らと対立することもできたが、それよりも融和ゆうわを選んだ。

 3人と共に作業を進める中で、学は「延滞えんたい」という新たな対応策を提案した。

 「皆さん、聞いてください。嫌な思いをしたとき、対立する以外に“反応しない”という方法もあるんです」

 「?」

 「どういうこと?」

 3人は怪訝けげんそうな表情を浮かべながら、学の言葉に耳を傾けた。


 学は続けた。

 「相手が喜ぶような反応をするから、つけあがるんです。もし、何も反応しなければ、相手は『つまらない』と感じるはずです。そうすることで、自分を守ることもできるのではないでしょうか?」


 3人は、理解したような、しかし完全には納得していないような表情を浮かべた。

 そこで学は、対立と延滞に加え、もう一つの可能性——「すみません」——に、ついても話すことにした。


 「良い組織で生きていくには、『すみません』が絶対に必要です。皆さんが成果を上げれば、上司から褒められます。しかし、失敗したときは『すみません』と謝る必要があります。たとえダメ出しされても、『はい』と受け止めて、耐えなければならないんです」

 ゴウは何となく理解したようだったが、イナズマとコトゲは、その重要性をまだ十分に把握はあくできていない様子だった。


 延滞で距離を取り、それでも、突っ込んでくる様なら、「済みません」と言って、突き放す……。こうして、なるべく、斜めに、斜めに、下がっていく……。


 このように、学の知恵を彼らに伝える事で、彼らや、周囲の人達にも影響を与え、学は次第に皆からリーダーとして、認識にんしきされるようになった。



 しかし、太田はともかく、小池は学に激しく挑戦ちょうせんするようになり、まるで目の上のたんこぶのような存在になっていった……。


 決定的なのは、早春そうしゅんの火曜日、学は小池に連れられ、人からりている遠くの畑で作業することになった時の事である。


 畑に着くと、小池は仕事の前に言い放った。

 「しゃがむな」「そこをやれ」

 個々の性格や特性を無視し、恫喝どうかつすることで自分の意のままに使役しえきし様としていた。その指示は、学や仲間達にとって、到底とうてい、受け入れられないものだった。


 学は心の中で思った。

 ——この男は、昔からこうやって人々に嫌われてきたのだろう。それなのに今もなお、その方法に固執こしつし、同じように嫌われていることに、気付かないのだろうか?  ——

 学は不本意ふほんいながらも、小池の言葉を無視しながら作業を続けた。


 すると、紙折りの材料が届き、支援員の勝子さんが、「戻っておいで」と声をかけた為、学は 直ぐに、建物の中へ戻り、紙折りの作業をすることになった。


 作業場の奥の部屋では、イナズマ、太田、シローとともに作業を始めた。小池への不満はあったが、それはひとまず置いておき、作業は和やかに進んだ。

 ふと様子を見ていると、太田がその作業の進め方に興味を持っているようだった。

 「!」

 学は思った。

 ——面白い——

 そこで、学はイナズマに対し、太田へ指示を出すように促した。イナズマは学が、普段彼らにしているように言葉をかけた。

 「この紙折りの束を折ってください、お願いします」

 すると、太田は「はい」と返事をした。それに続いて、学も「はい」と応じた。


 作業を進めるうちに、太田とイナズマの「お願いします」「はい」というやり取りの精度が増していった。「はい」「はい」とスムーズに進み、見事に成功した。

 ただ、惜しいのは、太田は、明らかに、自分が、楽をしたい、優越感を感じたいと、言う意図を持って、指示を出し、さらに、苦労して、指示を果たした人に対しての感謝を示す「ありがとう」の言葉を、まったく言わなかったことだ……


 この「ありがとう」と言うべき所を、誰にでも、分かるように、簡潔かんけつに説明する事が、その時の学には出来なかった。

 確かに、何かしてもらったら、「ありがとう」なんだが、学は我が身を振り返ると、それだけでは無い様だ……。


 ただ、もともと学の守備範囲は、ゴウ、イナズマ、コトゲだったため、太田の欠点に言及げんきゅうすることはなかった。当面はイナズマのとがった言い方を、どうにかするべきではないか。それが、直近ちょっきんの課題となった。

 学は思った。

 ——私にできるのだろうか?——

 この問題について、学は「とがっている」ととらえていたが、イナズマに過度に干渉かんしょうしない方が良いとも感じていた。


 しかし、仕事に関する声かけには定型的な文句があるため、それらについては、尖らない言い方に修正し、少しずつ教えていこうと考えていた。

 これが、学とイナズマの二人三脚だった——。


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