第11話『上がる奴ら』
「けれど、半分は自分で決めた挑戦じゃなかった?」
「それ、は──」
それは問いかけというより、確認と言った方が正しかった。
……というのも単純な理屈だ。学校を目指す動機の片割れが親や先生といった『他人の意思』によるものならば、残る一方はおのずと答えが見えているようなものだからだ。いわば二元論の連立方程式みたいなもんだ。
見透かされている事に気付かない様子で答えあぐねて口ごもっている間に、さりげなくまた一歩距離を詰める。
「流石に最初の模試からA判定って事もなかったでしょ?初めて合格圏内入った時、少しも達成感なかった?」
再び素朴に投げかけた疑問に返って来た、息を詰めたように続いた沈黙が答えだった。
確信を抱くと同時に安堵する。それがどんなジャンルであれ、自分で成し得た事に対する喜びを感じられているのは、まだ心が活きている証拠だ。達成未達、成功失敗いずれにも揺さぶられないほど、この子は手遅れって訳じゃない。
「君が目指してるのは相当に頭のいい
まだ声としての反応はないが、逸らしたままの眼の形が明らかに丸みを帯びた。その僅かな反応が、胸の内に生まれた微かな驚きを繊細に物語ってくれた。
……つまるところ今俺の挙げたメリットは、この子にとって全く考慮の外だったって事だ。
「頭が良ければ、イジメ程無意味で自分のキャリアに傷つけるものはないって理解できるからさ」
興味を引くことが出来たと解れば、口の弾みも付いてくる。
さしたる損得もなしに誰かを苛むのは、決まって先を考える脳の育っていない未熟な奴らだ。そいつら個々人がその勢いのままに成功していくかどうか、それは今大した問題じゃない。重要なのんはある程度画一的な進路である小中学校から先は、ふるいに掛けられて似たものが集まるという性質の話だった。
もちろん学力が全てというつもりはないし、当然例外もある。だが所謂『底辺校』がおしなべて荒れている事実を考えれば、あながち見当外れってことはないだろう。
半分降りた瞼の奥で静まり返った湖面のように虚ろだった目が、今や光を反射し揺れ始めていた。それが心境の顕れであることを願いつつ、敢えて間の抜けた欠伸を挟んでから続けてやる。
「そうじゃなくたって高校……っていうか就職でもいいんだけど、中学から先って劇的に環境変わるのよ。それが大学ともなれば尚更で、やれることも増えるし許されることも順次解禁。自分でお金も稼げるし、自由度が上がる。合わない水から逃れる手ってのもまた、道が広がるにつれて増えていくよ」
──ちょうど、それみたいにさ。
一度言葉を切って、鞄の端で揺れているアクリルキーホルダーを指差してやる。
そのキャラクターが出てくる、オープンワールドを駆ける自由度を謳ったゲーム。それこそ旅行の前日にブックオフで買ってきた
言った後でそう後悔したものの、ほんの少しだけ上を向いた顎先を見るに、ニュアンスくらいは通じたようだった。
「親が期待じゃなくて叱咤を飛ばしてくるのが嫌だってんなら、いっそ全寮制か学校近くに独り暮らしって手もある。それでも他人が怖いってんなら、なんならもう学校自体行かなくたってもいいじゃん」
息を呑む様な喉の音が聞こえて横目を上げるとそこには驚きをいっぱいに広げ、とうとうこちらに剥いた子供の顔があった。全寮制うんぬんはともかく、
『高校へ進まない』という選択肢もまた、端から頭に無かった──そういう表情に見えた。
「どうやって──」
「卒業だけして即大検取っちゃえばいい。君の地頭なら無茶ってこたあないと思うけどね。その傍らでどっかバイトしてみるのも面白いかも知れないぞ。それだって立派な『新しい環境』だし」
あとは、そうだなあ。
ちょっとだけ勿体ぶる素振りを見せてから、鞄の端へと目線を映す。側面に提がっているDカンには人差し指くらいの長さのアクリルキーホルダーがくっついており、俺達の間に挟まって所在なさげに揺れていた。
「学校行かない分趣味に時間を割いたら、そこでまた新しい道が拓けるかもしんないよ?」
いちど言葉を切ってそれを軽く指ではじき、薄く歯を見せてやる。それまで浴びせられる言葉の羅列に戸惑うばかりだったその顔に、一拍遅れて思い出したように紅みが差した。
「見たんですか」
「巧かった。タイムラインで見かけたら他にどんなの描いているかって見に行っちゃうと思う」
茶化されてると思われちゃ台無しだ。
ここは真っ直ぐ眼を見返しながら、具体的に伝わりやすいよう調理した賛辞を向ける。素人が絵柄云々述べるより、こっちの方が真摯に受け止めてくれると思った。
指導票の裏面、隅っこに描かれていたこのキャラの全身像。中学生の落書きというには恐ろしく達者なその作品を、俺は見逃していなかった。
「これくらい、少し練習すれば誰だって──」
「さっきも言ったろ?」
千日手は好きじゃない。呆れ気味な声で再び覗かせた皮肉をシャットアウトしてやる。興味関心から始めた努力ってのは、その芽が出るまでに投げ出してしまうのが半分……いや、8割を占めている。対してあの落書きはSNSに流れてくれば思わず指を止めてしまう程度には、とうにその段階を越えているように見えた。人目にさえ触れれば決して少なくない人数の興味を惹く出来栄えといって過言ではない。
とはいえ当然だが他と──例えばプロのイラストレーターの成果物と比較しても傑出している、とまではいえるものではない。あくまでまだ可能性の領域をでないそれがマネタイズや、まして生き筋そのものへ繋がっていくかどうかは全くの未知数ではある。
「でも、上手くいくなんて、限らないじゃないですか」
「ま、そりゃそうなんだけどね」
まあこんな事は、あれだけお勉強が出来るこの子にとっては言われずともとも解かる事か。あっさり認めて肩をすくめる俺を見る顔が、再び影を帯びていく。
いい加減喋り過ぎて、喉の筋肉に怠さを覚えていた。それに引っ張られて凝った肩をほぐすべく首を左右に振って鳴らしてやる。
「でも、やってみない限りは可能性ゼロよ?いいじゃん。どうせここで死ぬつもりだったんだからさ。何があっても儲けもんでしょ」
あっけらかんと放ってやった逆転の発想。アッパーカットでも食らったかのように、顎が勢いよく跳ね上がった。
そのオーバーなリアクションに思わず小さく笑ったところで、揺れる視界の端が坂の麓にぱらぱらと集まっている人影を捉える。
豆粒ほどの顔が一様にこちらを捉えているということは、もしかしたらただならぬ気配を感じ取られてしまったのかもしれない。
「全部全部試してみて、それでもダメだった後で改めてここに来ればいいんだから、むしろ他の人より気楽にチャレンジできる分、アドって思わない?」
慌てた表情やこちらに来ようとする素振りがないあたり、まだ様子見の段なのだろうが、いい加減潮時かね。
俺たちは結局、こんな所でもタイミングを逃す間の悪さを発揮したわけだ。
だがそれが、今は不思議と不快じゃなかった。
「とりあえずさ」
返事を待たずに立ち上がって、改めて向き直りながら話を畳みに掛かる。
そんな俺を見る眼は相変わらず諦めきれないような縋るような、そんな揺らぎを見せていた。
「最初に言っていた、誰からも望まれてないってとこだけ否定しておくよ」
「え──」
こちらの意図が掴めず声を詰まらせる子の眉間目掛けて人差し指を伸ばす。それから一拍を置いてもう一度、脇に落ちている鞄のアクリルキーホルダーへと指先を滑らせた。
「俺もこないだそのゲーム買ったんだけど、一緒にやってくれる友達がもういなくてさ。もし良ければ近いうち、キャリーしてくれると嬉しいんだけど」
財布からレシートを取り出し、その裏へなるべく丁寧な筆致でIDを書いた。
それからひょいと身を屈め、そいつを鞄の前ポケットへと忍ばせてやる。その指先が鞄から離れるまでの間、その子からは手も足も、声のひとつも飛んでは来なかった。
自分の荷物に手を掛けられているというのに微動だにしなかったのは、予想外の言動過ぎて心が置いて行かれているからだろうか。
あるいは余りの嫌悪にドン引きされているだけかもしれない。
もはや帰るしかなくなった俺に取って、そんな事はもうどうでもいいのだけれど。
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