第6話『見つけてしまう奴』

 タワーの根本にある売店には土産物しか売っていなかったので、仕方なくコンビニまで戻って適当な弁当を見繕ってきた。

 提げたビニール袋は風が吹くたびにガサガサと耳障りな音を立てて、目の前に広がる風光明媚な景色にまったく溶け込む気の無い俗なロゴマークを揺らしている。

 せっかくだから最後までご当地物をと思っていたのだけれど、とはいっても上のレストランまで登って家族連れに紛れて……という気分にはならなかった。

 こんな締まらないオチもまあ、自分らしくてそれはそれで悪くないのかもしれない。ちなみに最寄りのファミリーマートまで行って戻って40分はゆうに掛かったし、店員に無理を言って少し熱めに温めてもらった牛カルビ弁当は海風のせいでとっくに冷めていた。逆に冷たかったお茶は一緒に袋へ入れてしまったせいで半端に熱を吸収して、今頃温くなってる事だろう。

 あのタクシーの運ちゃんに見られていないだろうな、こんな醜態。

 想像する頭の中では不満より、気まずさの方が面積を広くしている。

 二度と顔を合わす事の無いようにと祈りながら、まずはコインロッカーへ財布とスマホをちょっと申し訳ない気持ちと共に預けた。それからあと5分海まで歩き、日ごろの運動不足に時々たたらを踏みつつ岩場を登っていく。

 自然が成したものとは思えないこの岩の立ち並びは、柱状節理と呼ぶのだそうだ。タワーの1階で失敬してきたパンフレットにそう書いてあった。なんでも世界に3か所かそこら程度しか存在していない名勝なのだそうだが、今の俺の目にはそんなレアリティより、景観を守るべくというただ1点の方が何よりも重要に映っている。

 時刻は昼時を少し過ぎたあたり。これで辺りが人で賑わっていたならあるいは──なんて思ったのだが、流石にそこまでタイミングに恵まれてないわけではなかったようだ……いや、逆か?

 まぁ、どっちでもいい。

 あとは最後の晩餐──もう昼過ぎだけど──にこれ以上ない程相応しいロケーションで、これ以上ない程ミスマッチなこのしけた弁当を空ければ、タスクは全て終了だ。


 この旅行の。

 そして、この人生の。


 腿に張りを覚え出した頃には、少しずつ波しぶきの音が近づいてきていた。

 高さがバラバラの段差を行く先へ構えながら、トータルでなだらかな上り坂を描いていた岩場もだんだんと終わりが見えてくる。丁度目線のやや上にある、あと100メートルかそこらで見える頂点に立てば、目の前に水平線が広がる事だろう。

 結構な距離を歩いたこともあるんだろうが、ゴールが見え始めた途端に腹の下の方がきゅうと鳴いた。

 こんな時にも内臓というのは律儀に働いてくれるらしい。食べるもののグレードは幾分か落ちてしまったが、このロケーションと心情に空腹が加わってくれれば、少しは格好も付いてくれるだろう。


「……おぉ」


 とうとう、スニーカーの底が頂点の岩場を踏みしめる。

 同時にもはや耳やかましいほどにまで音を大きくしていた波の音に風の唸りが混じり、提げた弁当袋をいっそう強くバタバタと揺らした。正面から吹き付けた突風に顔を顰め、ビニール袋が泣き止んでからゆっくりと開いた眼の先へ広がった景色に思わず声が漏れる。

 濃淡の異なる青と蒼とが、遥か遠くで1本の長い線を挟んで重なり合っている。

 雲はひと欠片も見当たらず、太陽はちょうど頭の上にいた。混じり気の無いふたつの単色だけが際限なく広がる視界の真ん中にあって、まるで自分の身体が天地も方角もない藍色の宇宙へと放り出されたような錯覚すらも覚えていた。

 あるいはこの光景が、これから行く先を暗示しているのかもしれない。

 呆けていればどこまでも身体から離れていきそうな意識を、足元から伝わる岩の感触だけを頼りに引き戻す。

 ともあれ飯を広げよう。

 踏み出すのはその後だ。

 ひとまず顎を引いて足元へ目をやれば、急激に角度を増した崖の下で、真っ白い波頭が幾重にも重なって岩の壁へとぶつかり合い、すっかり耳を麻痺させていた波の音を生み出し続けている。

 ここへきてぴたりと風が止んだのは幸いだった。普段高い所は別段得意という訳ではないが、脚の震えどころか気後れのひとつも感じることなく淵へ腰掛けることが出来る。

 もうそういう事を気にする段にいないというだけかも知れないが、なんにせよ外した弁当の蓋やお茶のキャップの行方を気にする必要もなく、ただ目の前に絶景を独り占めしながら箸を割ることができた。

 ──やっぱり、冷めてんなあ。

 弁当の底にを支える手のひらには、もはや人肌以下の微かな温もりしか伝わってこない。やっぱり最後に食べる飯としては、しみったれていると評されても仕方ないだろう。けれど不思議とそこに惨めさを覚える事もないまま、ただ自分にはお似合いなんだとに感じていた。


 ……きっと今回、たまたま運の無い人生だっただけさ。


 遥か頭の上で、呑気な鳥の声が近づいては遠ざかっていく。

 少しの間だけ目を閉じてから、上の具を端へと寄せた。

 それから瞼を薄く開きつつ、タレが染みて茶色くなった米の塊へ平行にした箸を差し込む。それは無意識のうちに覚えていた、学生の頃の食べ方だった。

 味の無い白飯が最後に残らないように、たまの贅沢弁当を最後まで楽しめるように。それは金の無い──金が無くても楽しかった──学生時代に編み出した手管だった。これと6缶パックで特売されていた発泡酒、あとはポテチあたりを雀卓の上に置いておけば、それで明け方まで話が尽きる事はなかったっけか。

 思い出しながらひと口頬張ると、もはやベーコンかと見紛う牛肉の薄さよりも、変わらない茶色に反して妙に薄く思える味の方が気にかかった。滲む視界に箸が重くなり、気を紛らわすようにお茶を飲み下してから顔を上げる。


「……あれ、って」


 思わず呟いてしまったせいで、口の端から米粒がぽろぽろと落ちた。

 箸を握ったままの袖口で拭った目を前へ向け、そこで初めて『つ』の字型に突き出た向かいの岸壁に、小さな人影が経っている事に気付いたからだ。 

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