三十一幕 学者の性

 

「……気持ちはありがたいけど、流石に無理だよ。これに関しては、きっとユートでも無理だ」

 

 しばらく呆気にとられていたセルドゥルは、やがて申し訳無さそうに首をふる。それは先程のような嫌悪感から来る拒絶ではなく、ただの事実として言う声音だった。

 

「僕が……いや僕達、星の賢者を目指す学者が永遠に研究しているテーマ。これは魔法学や魔術理論とは全く別の原理なんだ。他のこの都市に居る学者の大半はそういう研究をしているし、ユートみたいな外から来た人が力になることもあると思う。でも、ここの研究は違う」

 

 セルドゥルは机の横に刺していた巻物をサッと広げた。そこには複雑な軌道を描く螺旋と、重なって描かれる円。それぞれの円に書かれた日時の記録。────これは、

 

「〈運命星環論〉僕らの研究は、魔法の一切関与しない自然と……神の領域をテーマにしたものなんだ」

 

 俺は思わず口を押さえた。そうしなければ自分がどんな表情を浮かべているのかすら分からない。この感情をなんと表せば良いのか。でも、間違いなくそこにあるものの一端は歓喜だった。

 

「それって、天が回っているのではなくちきゅ……この地面が回っているのだ、みたいな段階の話じゃない、よね?」

「ユートは天地別動説を知ってるの!?」

「うーん、多分そんな感じ? でも確かにおれはあんまり詳しくないかな……。でもこういうの、多分ジャズは得意だよ」

 

 バッと勢いよく視線を向けられてたじろぐ。正直こちらに話を持ってこないだろうと思っていただけに、俺は完全に固まってしまった。戦闘中だったら致命的だな……などと冒険者として染み付いた思考を追い払いつつ、俺はなんと答えるべきか思案する。

 きっと信じてもらえない。俺の意見なんて否定されるだけ────そんな諦めは、期待に目を輝かせるセルドゥルの目を見た瞬間霧散した。

 

「……一番最近だと、三年くらい前に出た『星動四軸説』の本を読んだ。でもあれは多分、火星と土星を見間違えてる時があって、正確には──」

「そう! そうなんだよ僕もそれを考えてて、絶対研究し直したほうが良いってバーバに言ったのに自分は北天の星の研究をするんだって言って聞かなくて。だからこの一年で僕がやるしかないって思ってたんだけど……君はあれを読んでどこで感じたの!? あの本の中だけじゃそう矛盾はなかったはずだけど」

「でもあれじゃあ──の──と矛盾して……五十周期くらいからずれが────」

「そう! そう! そうなんだよ!!」

 

 ピョン、と飛び跳ねたセルドゥルが天井スレスレで頭を丸める。その顔は本気で嬉しそうで、俺はついスルスルと言うつもりの無かったことまで話していた。興奮するセルドゥルが本棚からいくつか本と資料を抜き取ってくるのを眺めていると、いつのまにか気配を消していたユートが扉に手をかけている。

 俺と目が合うと一つ頷きを返し、ユートは外に出た。山を探索している途中だった事を思い出すが、完全にセルドゥルの勢いに呑まれてしまっている。

 何より、俺自身まだ話したいと思っているのは否定できなかった。

 

 そのまま流されるようでいて自分から飛び込むように語り続けた俺達は、日が沈む頃に戻ってきたユートが呆れて声を掛けるまで机に向かって議論し続けていた。

 

 

 

「それで、ジャズはどうだった? まだ『戦うしか能のない野蛮人』だと思う?」

「とんでもない、ジャズはすごいよ! 都市の先端学問を学んだ僕と遜色ない知識を持っているし、何より着眼点が天才的だ! 彼がペンじゃなくて剣を持っていることが僕は信じられないよ」

 

 臆面もなく言い切られる賛辞に、俺はまた遠回しに馬鹿にでもされているのかと思った。しかしこれまでの数時間で、セルドゥルがそういう物言いをしない事もよく分かっている。

 俺は努めて冷静な風を装いながら、セルドゥルをからかうユートを盗み見る。その瞳がわずかに揺れるのを俺は見逃さなかった。

 

「で? お前は昼間どこへ行ってたんだ」

「ああ、ちょっと神聖都市までひとっ走りして来た」

「……はあ!?」

 

 思わず大声を出し、横に居たセルドゥルの身体がビクリと震える。しかし俺はそんな事にかまっていられなかった。

 

「山を降りたのか? 一人で?」

「セルドゥル達街の人間がここに食糧を持ってこれるって事は、少なくとも丸一日は掛からない距離ってことでしょ。実際、ここからは霧でよく見えなかったけど、少し降りたら割とすぐ街が見えたよ」

 

 じとりと睨みつけると、ユートは悪びれずに肩を竦める。いくら山歩きに慣れたとはいえ、ろくに知らない土地で一人行動なんて危険すぎる。

 

「何故俺を呼ばなかった?」

「……その事なんだけどさ、ジャズはしばらくの間ここに泊めてもらったらどうかな。神聖都市にはおれ一人で行くよ」

 

 どこか罰が悪そうに言う、その瞳は揺れていた。俺はユートの顔を凝視するが、さっきから一度も目が合わない。別行動自体は今までもよくあった。しかし今、こいつは俺に何かを隠している。

 それが何かを見極めようと黙り込んでいると、話においていかれていたセルドゥルが場違いに明るい声を出した。

 

「あっそうか! ユートは神聖都市を目指しているんだったね。だったら山から近い場所に家があるから、そこに泊まれば良いよ!」

「えっ……そんな、いいよ。そこまでしてもらうのも悪いし」

「ここら辺、というかこの街自体、そんなに宿が無いんだ。決まって訪れる商人の為の分くらいしかない。交易はほとんど関所の周辺で済ませちゃうし、長期滞在が出来る場所を探すのは結構大変だと思う。ユートが良ければ家を使ってよ」

「そういう事なら……でも本当に良いの?」

 

 にこにこと気前良く言うセルドゥルは、ユートに念を押されるとちらりと俺の方を見た。

 

「うん。だからその……家とここだったら定期的に往復する道があるからそんなに危険がないし、いざという時の連絡も取れるでしょ? だからジャズには、ぜひこのままここに泊まって、僕の研究を手伝ってほしいなー……なんて」

 

 ちら、ちら、と期待するように向けられる視線に、俺はなんとも言えない顔をする。正面を見ると、苦笑するユートと目が合った。もしかしたらこいつはこうなる事を予想してたのかもしれない。ただ、それだけではないのも確かだ。

 機会を見つけて問いただすしかない。今は無理だと悟った俺は、二人から向けられる期待の眼差しに渋々頷いた。

 

 

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