罪の花園
@hayte
寄り添いの花と恋多き男
『ねぇ、知ってる? あの噂』
『噂? 何のこと?』
『えー知らないの? 今ネットで有名だよ、花園の話』
『花園?』
『そう、何でもそこに行ける人は何か悪いことをした人でその人の悪いことの度合いによって帰れるかどうか決まるみたい。だから罪の花園なんて言われてるんだって』
『何それ嘘くさくない?』
『だから噂なんでしょ』
*
聞き耳を立てるつもりがなくとも聞こえてくる近くの少女たちの声を煩わしく思いながら男は窓に目を向けた。
そこにはガラスを不定期に叩く雨水と、その中を歩く色とりどりの傘たち。
その姿を見ながら軽くため息をつき、視線を手元にやる。
スマホには今日の予定が記されているがそのどこにも喫茶店で休憩といった言葉はなく、その事実を不快に思いながら頼んでいたコーヒーを口に含んだ。
口に広がるコーヒーの苦味とコク。その味を楽しみながら少しスマホをいじってから再び窓の外に目を向ける。
信号が赤になったのか行き交う人々の足が止まり、彼らの持つ傘の色だけでなく柄や模様までよく見える。
暇つぶし程度に男はそれを眺めていた。
どこもかしこも似たようなデザインに早くも飽き飽きし始めているとある一点で視線が止まった。
しかし、変な柄がついているというわけでも周りと比べて奇妙な形をしているわけでもない。
他との違いをあげるとするなら、それは赤かった。
なぜたったそれだけの物に反応したのか自分でもわからず、視線を外せないでいるとその持ち主が振り返る。
その姿を見て男は目を大きく見開いた。
黒く長い艷やかな髪に、血の気の薄い肌、全てを見透かしたような真っ赤な瞳。
その儚さと妖艶さを併せ持ったような顔立ちの彼女が微笑む様に男は再び目を奪われ、気づけばその人を追っていた。
背後から店員が何か言っているのも、他の客からの視線も気にせず走る。
何度も姿を見失うもそのたびに赤い傘がその居場所を教えてくれる。しかし、いくら追っても距離は埋まらない。
それどころか繰り返すたび、徐々に開いていく間隔。ついには目立つ傘すら消え男は足を停めた。
息も上がり膝に手をついてそれを整えながら辺りを見回す。
そこには見知った建物どころか建造物自体無く、あるのはうっそうと生い茂った木々。
灰色の空と降ってくる雫、不定期に吹いてくる風によっておどろおどろしさが感じられる。
その中で顔を上げた時からずっと異彩を放つものに男は目を向けた。
そこには赤、黄、紫といった鮮やかな花々が施されたフラワーアーチが一つ。
明らかな異質物を不審に思いつつも、好奇心に勝てず吸い込まれるように中へと入っていく。
実際に歩いてみてわかったことは側から見た時よりも長いことだった。
しかし、それを苦と感じることなく男はその道を一歩一歩着実に進んで行く。
景色の変わらない花のトンネルを歩いて程なくすると先の方に明かりが見え、そうこうしているうちにその元へとたどり着いた。
そこは先ほどまでの雨雲は晴れ青空と暖かな陽射しが広がった花畑とその真ん中にポツンと立つ桜の木を照らしていた。
そして男は見つけた。
特徴的な赤い傘を手に持った黒髪赤眼の彼女を。
*
思いもしなかった人物との再会に驚きながらも今しかないという使命感に似た何かに突き動かされ、男は努めて落ち着いた声で話しかける。
「あの……」
「ようこそお越しくださいました」
男の続く言葉よりも先に出た彼女の声。それと同時に顕になった表情には初めて見た時と同じ笑みが浮かんでいる。
その際僅かに違和感を覚えたが気のせいと一蹴し男は彼女との距離を詰めていく。
「えっと……ここは一体?」
「あら? 私に付いてきたのでてっきりご存じかと思ったのですが……」
首を傾げながら発する彼女の言葉に男は身を硬くして恐る恐る口を開いた。
「……気づいていたんですね」
「後からあんな勢いで走って来られたら誰でも気づくと思いますよ」
「すいませんでした。怖い思いをさせてしまって……」
「いえ、別に構いません。あなたにとってはいつものことすぎてお忘れになっているだけでしょうから」
彼女の言葉に男は眉を顰めた。
初対面の相手に知った口を聞かれたというのもあるが、それ以前にこの流れでは不名誉すぎることもあり少しきつめに問う。
「どういうことですか?」
「どうと言われましても殺人鬼さんからしたら女性を追うことはいつものことなのでは?」
その言葉に男は固まった。
目の前には先ほどと変わらない笑みで彼女が立っている。しかし、そこでようやく男は違和感の正体に気づいた。
それは瞳だった。
白目に生える赤の虹彩。けれどそこには表情から読み取れる喜びはなくあるのは無のみ。
その事実に戦慄を覚えながらそれでも男は努めて落ち着いた声で問いかける。
「な、なにを言っているんですか?」
「その言葉通りですよ」
「一体何を根拠に?」
自分でもわかるほど男は口調がキツくなっていく。しかし、赤眼の女はそれを気にした様子は全くなく変わらない口調で語る。
「今日は急に雨が降ってきましたね」
「それが何か?」
「ここに来るまである程度山道を歩かなければならないのですが、この雨では足場は最悪です。なのにあなたはなんてことないように走ってこられました。それはあなたの履いているものが登山に向いているものだったから……もともと山を登る予定でもあったのですか? それにしてもあなたの服装は登山には向いていないです。お出かけ用のおしゃれをした服装……そうまるでデートをするためのような格好。でもおかしいですね? あなたは私を追ってきた時に彼女さんの姿はありませんでしたどこに言ってしまったんでしょう?」
「…………」
一息に言い切った女の言葉に男は何も言わない。彼の沈黙を彼女は肯定と捉え、言葉を紡ぐ。
「ここまで考えればあなたが山で何をしたのか大まかですがわかると思いませんか?」
「はぁ、………………女性の一番綺麗なタイミングっていつだと思いますか?」
唐突に始まった男の話に女は目を細めた。
「僕は死ぬ寸前だと思います。それも若い子がこれからの人生を残して無念に散っていく姿はその期待が絶望に変わるその瞬間こそ最も美しい」
「それは罪の告白ですか?」
恍惚とした表情で語る男に女は聞く。しかし、男の表情は全く変わることなくむしろ自身の行いは間違っていないとそう言わしめているように答えた。
「罪? いや、これは違うよ。他の有象無象にとってはわからないけど、少なくとも僕にとっては一つの真理だ」
「そうですか…………では当事者たちに聞きましょう」
「はい?」
彼女の言葉に男はついにその表情に疑問が浮かんだ。男と女故にこの場で優位に立っているのは自分だと確信していた彼に赤眼の女はあいもかわらない言葉でこう言った。
「ご存じないと思いますけれど、ここ──罪の花園はそういう場所ですから」
*
そして男が何か声を発するよりも先に女は言葉を紡ぐ。
「ようこそ罪の花園へ。あなたにはどんな花が咲いて見えますか?」
嬉々として問いかける言葉と同時に一陣の風が吹き周囲の風景を変えていく。
一瞬にして桜の木を中心として広がっていた草原はたちまち白い花弁と橙色の
その花の名は、────
「白いゼラニウムですか……花言葉はあなたの愛を信じない。今まで多くの女性を弄び、挙げ句の果てに死なせたあなたにぴったりなお花ですね」
絶える事のない満面の笑みで語りかける。
その異様な景色に男は踵を返し一目散に走り去っていくが、いつの間にか晴天だった空には夜の帷が降り、それに従い入ってきたアーチは影も形もなくなっていた。
出口を失い、放心状態でいると男の足に何か触れる。
それは細く、冷たいなのに骨が軋むほど強く握られて痛みが走る。
恐る恐る足先へと視線を向けるとそこには土から見覚えのある手が生えていた。
「…………め……い?」
その名前はまさに今日男が首をしめ山に埋めてきた元カノの名前。確実に殺めたはずのその人物は今この瞬間も冷たい土の中からその身を出そうと必死に足掻いている。
「あらあら。お迎えの方もいらしているじゃないですか」
声のする方へと視線を向ける。
そこにはこの状況を楽しんでいるのがわかるほど破顔させた黒髪赤眼の女。
全ての元凶であるそれに男は怒鳴るように声をかける。
「おい! これはお前の仕業だろ何とかしろ!」
「いえいえ、それは違います」
しかし、女は態度を変えることもどうにかすることもなく、さも当然のように落ちついた声色で話す。
「これはあなたがしてきた罪への罰です。それを部外者である私がどうにかすることはできません。ですので、大人しく彼女たちに連れられて死んでください」
その言葉を皮切りに男は完全に平静を失い発狂だけが響きわたる。
抵抗しようと掴まれていない方の足で死者の露出した頭や肩を蹴って逃れようとするも、別の方から来た他の死者に捕まれたことでバランスを崩し尻餅をつく。
その状態の男にある死者はのしかかり、ある死者は引き摺り込み、ある死者は噛みつき、ある死者は引っ掻く。
男は叫びながら抵抗をしていたものの徐々にその声は小さくなっていき、最終的には死者たちと仲良く土の中に入っていくのであった。
死の間際、男が微かな声でごめんなさいという言葉を発していたがそれを聞いた人はどこにもいなかった。
*
『ニュースをお伝えします。本日未明、山中で男性の遺体が発見されました』
『現場には身元を特定するものはなく、またその所持品の少なさからも警察は自殺の線で捜査を続けています』
『また男性の手には一輪の花が握り締められていましたが、本件とは無関係と判断されました』
『次のニュースです。────』
罪の花園 @hayte
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