2. 教室


「え、執事やめちゃったの!?」


 教室で声を上げたのは、いつもつるむクラスメイト。「しーっ!」と反射的に指を立てると、「ごめん」と声を抑えてくれたものの、そのことを学校やクラスで隠しているわけでもなく。


「そんな、大声出すような話じゃないから。いつでもやめていい、って、ウチの親にもあっちの親にも言われてるし」

「けど、給料いいんだろ? もったいね~」

「稼いでも使い道がねぇもん。そんな派手に金使う趣味もねぇし」

「じゃ、俺にちょうだいよ。ガチャ回したい」

「やだよ」


 昼休みの教室でバイトの話。別に変な光景じゃない。どこにでもある平凡な高校で、どこにでもいる高校生が、持ち寄った弁当を食いながら話しているだけだ。ただ友人からすると、この話題には食いつかずにいられないらしく。


「なかなか無いんじゃないの~、執事のバイトなんて。毎日豪邸で寝起きして、美味い飯の匂いを嗅いで、仕事が同い年のお嬢様の身の回りの世話なんてさ~。いや~、辞めるなんてもったいないって、マジで」

「豪邸つっても使用人の部屋は地味だし、美味い飯が食えるとは限らないし、お嬢様は触れたもの皆傷つける暴力暴言女だから」

「ま~働く環境は大事ね。でももったいね~と思うけどな~。そんな仕事、俺じゃ一生つけねぇもん。“志水しみず”の特権だろ?」

「まぁ……」


 その点だけは、否めない。

 志水は元々、椿ヶ原つばきがはらに代々仕える使用人の家系で、祖父の代までは生涯、椿ヶ原の執事・メイドとして役割を果たしていたらしい。

 一つ言っておきたいのは、それは決して打算や義務感だけで成立していた関係ではないということ。どの時代でも誠実に人と向き合ってきた椿ヶ原家への尊敬と、人との関わりを大切にすることを家訓にしてきた志水家への信頼で成り立っているのだ。

 その辺の事情も知っている友人は、もぐもぐ弁当を頬張りながら質問を続ける。


璃空りくが生まれる前は、同じ屋敷に住んでたんだよな?」

「屋敷っていうか、“離れ”な。そうらしいよ」

「一家で使用人をやめるにしても、そこまで出て行くなんてもったいねぇ~。喧嘩別れで追い出されたってわけでもないんでしょ?」

「超円満退社だよ。でもあるだろ。時代とか、コンプライアンスとか」


 インターネットを通じてあらゆる情報がオープンになり、生き方も多様化した今、家系で生き方を縛るやり方は、時代に合わないと父や祖父が判断したのだ。実際、使用人になることを嫌がった人が家を出て行ったゴタゴタも、無かったわけではないらしい。

 俺が生まれる前、志水家と椿ヶ原家はこのことについて大家族会議を行って、“家系”というくくりでの主従関係はやめよう、これからは良き友人として交流し、その中で、もし働くことを希望する者がいれば迎え入れよう、という形に落ち着いた。


 そんなわけで俺は、ごくごく一般的な家庭で生まれ育ち、親から執事としてしつけられたことも、そういう道に進めと言われたことも一度も無い、のだが。


「逆に、なんで執事のバイトやってたの? 璃空、そういうタイプじゃなくね?」

「それは……」


 事情を話そうとしたところで、「きゃーっ」と、教室から黄色い声が上がった。窓辺に生徒が群がって、きゃあきゃあと外を見やっている。


「あれ! リムジンじゃない?」

「えー。リムジンってもっと長くなかった?」

「どっちにしても高級車だよ! ほら、お嬢様みたいな人いる!!」


「……はっ?」


 嫌な予感。俺も生徒の群に混ざると、校門の付近に、黒い高級車。

 そして、腕組みして周囲を見回す、品の良いドレスで着飾ったお嬢様が。


「なっ……」

「璃空様ーっ!!」


 教室に野太い声が響いた。今度は廊下の方を振り返ると、真っ黒なスーツにサングラスをかけた男性が、入り口に立って教室を見回している。


「失礼します! 璃空様、いらっしゃいますか!!」

「うわっ、わっ、わっ、わっ」


「もしかして!?」とニヤニヤする友人の横で、慌てて弁当を片付ける。まだ俺を見つけていないらしいSPは続けて、


「志水璃空様、湖羽音こはね様がお呼びです! 一年B組出席番号十七番AB型の――」

「いますいますいます! 恥ずかしいからやめてください!!」


 弁当箱をしまって飛び出す俺に、「申し訳ありません!」と顔見知りのSPはやたら元気よく謝罪。そのまま「では参りましょう、担任にも許可をいただいております」と教室の外に出されてしまい、ざわざわするクラスメイト達から、「志水君ってAB型だったんだ……」と聞こえた。どうでもいいだろ!


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