白蛇姫と黒龍
藤泉都理
白蛇姫と黒龍
いちまい、
にまい、
さんまいと、
念仏を唱えながら、濛々と燃え上がる櫓の中に邪気封じの御札を投じては浄化していく。
夜通しの御役目。
降り止まぬ小米雪が溶け消えずに地面に積もり続ける。
早く終わらせたい。
生まれた邪念を振り払う。
いくら寒さに弱いとはいえ、大切な御役目に集中しないなど。
白蛇姫は気を引き締めて、胸に負う純白の風呂敷から邪気封じの御札を燃え上がる櫓の中に投じて行く。
いちまい、
にまい、
さんまいと、
このまま小米雪が降り続けば、朝を迎えた時には確実にひとつ、大きな雪だるまができているのではないだろうか。
新たな邪念が生まれた白蛇姫は歯嚙みをした。
御役目に集中しろ、白蛇姫。
邪念が積もってしまえば、邪気封じの御札を浄化できずに翌年に持ち越し師匠にしこたま叱られるばかりか。
「おい。小娘。邪気を封じた札を寄こせ。わしが喰らう」
邪悪な生物を引き寄せてしまうのだから。
「………おまえ。黒龍、か?」
じろりじろじろじろりじろ。
深淵の闇すら飲み込む漆黒の着物を緩やかに纏い、長く艶やかな漆黒の髪の毛を垂れ流す、細く長い身体に、上瞼が腫れぼったくも目つきが鋭い男を不躾に見上げては、白蛇姫はそう問いかけた。
「ほお。流石は陰陽師。わしの正体を見破るか?」
「熱くないのか?」
顎をさする黒龍は、今もなお燃え盛り続ける櫓の炎のただ中に浮き続けていたのだ。
「熱くはない」
「いや。熱かろう」
「熱くはない。脆弱な貴様らと一緒にするな。わしは黒龍ぞ。貴様らがくべた炎など何も感じんわ」
黒龍は悠々と櫓の炎から白蛇姫の眼前に降り立った。
白蛇姫は座を正したまま、黒龍を見上げ続けた。
「寄こせ。邪気を封じた札を。それを喰らい、わしはさらなる力を得る。要らぬ抵抗はしてくれるなよ、小娘。無益な血は流したくはない」
「はっは。それはそれは。無用な気遣い、誠に痛み入る。が」
白蛇姫がやおら上半身を横に傾けたかと思えば。
「ほおう。動きが速いな、小娘」
何時の間にか背後から抱きしめられていた、否、か細い小娘の力とは思えぬほどの剛力で以て抱き締め上げられようとしている黒龍は、しかし、不遜な笑みを浮かべた。
「小娘などと、私を軽んじてくれるなよ。黒龍。私の名は白蛇姫。身体の滑らかさと力自慢が随一の陰陽師ぞ」
「………そこは陰陽師の能力が随一、と言う処ではないのか?」
「まだそこは育ち盛り。長い目で見守っておくれよ」
「長い目。なあ」
「おまえ。私のような美人が抱き着いているのだ。歓喜に打ち震えてさっさと気絶をせぬか」
「あほう。並外れた移動速度と剛力は認めるが、まだまだわしを締め上げて気絶させるには足らぬわ」
「腐っても黒龍か」
「誰が腐っておるか………はあ。興覚めだ。よい。今日は見逃す。次に、」
「無事にやり遂げたようだな、白蛇姫。おや。どうした。顔が真っ赤っかだぞう」
「師匠」
無事に雪だるまにならず朝を迎えた白蛇姫は、師匠を立って出迎えた。
朝日も然る事ながら、朝日に照らされた一面に降り積もる純銀の雪はもはや目潰しをする凶器と成り果てていた。
「小米雪が降りしきるほどに寒かったのだ。真っ赤にもなろう」
「そうか。何も、問題はなかったか? 例えば、黒龍がおぬしを口説きに来たとか?」
「………何も問題はなかった。無駄口を叩かせないでくれ、師匠。早く眠りたい」
「ああ。そうだな。ご苦労であった。負ぶってやろうか?」
「ああ」
師匠の細くもやわらかい背中に遠慮なく飛びついた白蛇姫は、黒龍の去り際の言葉を思い出してしかめっ面になった。
(何が、『次に会った時にわしを締め上げる事ができたら、嫁にしてやろう』だ。願い下げだ莫迦者が)
(2025.1.12)
白蛇姫と黒龍 藤泉都理 @fujitori
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