始業式が終わり、俺たちは教室へと戻ってきた。

 藍塚はクラスの女子三、四人で集まって何やらキャッキャと戯れている。見た感じクラス替えする前からの友人だろう。

 俺は早速、彼女に話しかけようとしてみた。ようやく同じクラスになれたんだ。周りの男子が藍塚の魅力に気付く前に、早くアタックしなければ。

 けれど、どうやって話せば良いのか分からなかった。

 彼女の顔を見て話しかけようとすると全身が突然熱くなる。熱くなっているはずなのに口元は震えて話しにくい。こんなことは初めてだった。

 自分で言うのはなんだけど、俺はちゃんと話せる人間だと思っている。別に陽気な人間では無いけれど、陰鬱とした人間でも無い。ここ数年間藍塚に対しては変人極まりないかもしれないが、男女問わず友達もそこそこに多い。藍塚以外のことであれば、俺は至って普通の人間なんだ。


 俺が話しかけられずに困っているのがよほど目立っていたのか、藍塚の周りにいた一人の女子が俺に声を掛けてきた。

「あ、伏見じゃん!」

 彼女は一、ニ年生の時に一緒のクラスだった女子だ。顔と声ですぐに分かった。

 彼女は『久しぶり〜』と手を振っていた。そして次に何かを思い出したかのようにハッとすると、目と口を三日月型にして、うっしっしと怪しく笑みを浮かべていた。藍塚も『なになに?』とこちらを気にしているようだった。藍塚の視線が刺さってむず痒く感じた。

「なんだよ」

 少し素っ気なく返してしまった。彼女の態度というより、側にいる藍塚に俺は緊張してぶっきらぼうになってしまっていた。

「凛ちゃん。あいつ伏見って言うんだけどさ。五年間ずーっと凛ちゃんと同じクラスになりたがってたんだよ」

「なっ!」

 俺は動揺を隠せなかった。

 ていうかなんでそのことを知ってるんだよ。女子の情報網の恐ろしさを思い知った。

 俺は全身から脂汗が滲むのを感じた。

 どうしよう。こんなことを藍塚に知られてしまっては、アタックするどころではなくなってしまう。


「えーなにそれー」


 しかし当の藍塚の反応は俺の想像とは違っていた。藍塚は女友達と同じようにクスクスといたずらっ子のように笑っている。

 それが心を弄られているように感じて、妙にこそばゆかった。これじゃあまるで俺が変態みたいだ。

 ついつい顔が赤くなる。火照った自分を誤魔化すように俺は言った。

「っ! なんだよ」

 すると、藍塚はしばらく笑った後、笑みを浮かべて俺に言った。

「なんかおもしろっ。伏見、よろしくね」

 藍塚から"よろしくね"という言葉を貰っただけで、天にも昇る気持ちだった。


 世間では美人は三日で飽きると言うが、それは全くの迷信ではないかと思うようになっていた。

 現に俺はいまだによく藍塚に見惚れていた。

 彼女の横顔を見ていると、いつの間にか授業の時間が過ぎることが多くなった。板書なんて……取っている暇がなかった。そのせいでテストの点数は悪くなるばかりだったけれど、気にしてはいなかった。

 けれど、俺と藍塚の間柄は未だこれっぽっちも進展が無かった。

 もちろん会話はする。この前の女友達と一緒に話すというか、弄られるというか……絡みが無いわけではない。けれど藍塚と二人でちゃんと話をしたことがない。

 このままではいけないんじゃないかと俺は思っていた。

 もっと二人で会話する機会を得なくてはならない。休み時間に話すとしても、藍塚はいつも女友達の誰かと一緒にいる。俺が話しかけても藍塚とその取り巻きにからかわれて休み時間は終わる。

 せめて、隣の席とかになれたら良いんだけど……


 うちのクラス、というかここ五年間のクラスの座席は大体男女で隣りの席になる。

 男子と女子がちょうど同じくらいの人数であるため、ワンペア生まれる形になる。

 毎日隣同士の異性と近くで過ごすというのはなかなかにすごいもので、仲の深まりが段違いに良くなる。席替えは一ヶ月に一回だが、その一ヶ月間だけでも十分仲は良くなるのだ。

 俺たちは小学生と言っても、もう10歳とか11歳だ。異性との関係では色々あってムキになったり気恥ずかしかったりする。故に席替えをした初日、つまり新しいペアになって間もない頃だと、机同士を意図的に離していたりする。

 どういう感情で机をくっつけ合いたくないのかは説明が難しいけれど、多分"異性と仲良くしてる自分"を他人に見られるのが嫌なんだと思う。人によってはからかってくる奴もいるし……

 しかしこれがどういうわけか、一ヶ月後にはすっかり男女仲良くなり、自然と机と机の隙間を無くすようになる。まるでお互いの心の距離を表しているみたいで、俺はなんだか見ていて気恥ずかしくなったりもしていた。


 まあつまるところ、俺はこの現象を上手く利用したいと考えている。

 休み時間だけでは藍塚と仲を深めるのは難しそうだし、なんとかして隣の席を確保したいと思っていた。

 しかし願いはそう上手く届かず、あっという間に一年が過ぎてしまった。女子の数は13人とかそこらである。席替えは9〜10回くらいあったというのに自分の運の無さにはうんざりするばかりだった。クラス替えの神様……いや、席替えの神様を呪わなければならない。

 

 そんなこんなで何の進展も生まない五年生だったが、六年生になってようやく俺に運が巡り始めた。

 なんと新学期始まって早々である一番初めの席替えで、藍塚の隣の席を確保出来た。

「ええ〜伏見かぁ」

 隣に来た藍塚はわざとらしくため息を吐いた。しかし顔はいたずら心万歳にニヤついている。

「悪いかよ俺で」

 内心嬉しさ満載の気持ちを表に出さないようにぶっきらぼうに答える。出来ればもう少し爽やかに会話したいけれど、これが今の俺の精一杯だった。

 すると、藍塚はフフっと笑った。

「いいや別に。一回伏見とちゃんと話してみたかったんだよねー」

 そんなことを言いながら目を細め、艶かしい笑みを浮かべる藍塚に、俺は動悸が止まらなかった。

 自分と藍塚の机を見ると、数センチ隙間が開いていた。藍塚は口ではああ言うけれど、まだ机をくっつけるまでには親愛度は低いらしい。

 けれど"話してみたかった"このセリフだけでもしばらくは生きていけそうだった。この一ヶ月間。俺は寿命が半年くらい伸びそうだと思った。


 あっという間な一ヶ月だった。本当に一瞬だった。楽しい時間はすぐに過ぎると言うけれど、それは本当だと思った。

 俺と藍塚の机は隙間なく埋まっている。

 俺はそれが何より嬉しかった。

 藍塚は話してみると、結構フランクで話しやすかった。

 好きなものも分かった。ゲームでは”ぷよぷよ”とか”どう森”とかが好きらしい。漫画とかドラマもよく見るらしく、恋愛やアクション系の作品が好みらしい。

 藍塚のことを知れるのはとても喜ばしいことだった。

 けれどそれも後少しで終わると思うと、学校に行きたくなかった。我ながら複雑な感情を抱いていた。


 そしてとうとう訪れてしまった席替えの日。

 席替えは大体”総合”という授業で行われる。普段は何かと課題があるが、月初は大体席替えというわけだ。

 普段の俺であれば心の中で席替えをしてくれと先生に念を放っていたが、今日ばかりは逆のことばかりを念じていた。何かの間違いでもう一か月、いやもう一生この席のままでいたかった。

 しかし俺の念は届くことは無かった。

 始業のチャイムと同時に教室に入ってきた先生の口から発せられた言葉は席替えという俺が今最も聞きたくないものだった。

「あーあ。伏見ともお別れか~」

 唐突に藍塚が言った。

 彼女の言葉に胸がドキリとした。決してトキメキでは無く、焦燥感からくる鼓動の高鳴りだった。

「まぁ、同じクラスだし……」

「それもそっか。また同じ席になれるといいね」

 彼女はそう言ってはにかんだ。今度はトキメキでドキリとする。

「どんな確率だよ」

 俺は乾いた笑いを漏らした。

 この笑顔が次の隣の男子に向けられるのかと思ったらなんだかとても嫌だった。

「……伏見は私と離れて寂しい?」

「っは?」

 突然。彼女が言った。

 からかっているのか本気なのか、時折藍塚はこういう思わせぶりなことを言う。その度に顔が熱くなる。

「別に……寂しくなんかないよ」

 紅潮している顔を見られのが恥ずかしくて、藍塚から顔を逸らした。

「……ふーんそっか」

 ……気のせいか、藍塚の声には侘しさが含まれている気がした。


 そして運命の席替えの時。

 皆が順番にくじを引いている。 俺も同じようにくじを引いた。

 くじの番号を見て俺は祈った。次も藍塚と同じ席にしてください!

「伏見は何番だった?」

 藍塚は口より先に俺のくじを覗き見ていた。シャンプーかリンスかは知らないけれど甘い香りが鼻腔をくすぐって妙にこしょばゆい。

 彼女は俺の番号を見て『あらら』と声を漏らした。

「あらら。違う席だね」

「……そらな。そんなもんだろ」

「そらそっかー」

 俺と藍塚の机は離れ離れになった。侘しさと虚しさが半端なかった。

「じゃあ伏見。

「うんまた」

 藍塚はいつも通り淡々と別れの言葉を口にした。俺も平静を装ってはいたが、内心はどちゃくそに悲しかった。

 それから俺は、灰色の数か月を過ごすことになった。一度鮮やかな光景を知ってしまったが故に、その無味無臭な日常は心に堪えた。


 けれど、席替えの神様は依然として俺に微笑みかけてくれているようだった。


 時は流れて三学期の後半。小学校卒業間近の時だった。

 再び藍塚と同じ席になれたのだ。俺は正に天にも昇る気持ちだった。

 藍塚が自分の席を持って俺の隣へ来た。

「えぇ~また伏見~?」

 藍塚は言葉とは裏腹に口と目を三日月型にしてニヤついていた。

 その表情は俺と隣になれて嬉しいということなのだろうか……といった余計なことまで考えるほど、俺は浮ついていた。

「へいへい。悪かったな」

 ニヤついた口元を頬杖で隠しながら言った。

「はは。またよろしくね。伏見」

 俺たちの机は、最初から隙間なんて無くなっていた。


 藍塚の隣の席を確保した俺の日常は、再び彩られていった。

 二回目ともなると、俺たちの仲はさらに良くなった。

 俺はあまり勉強が得意では無いのだが、藍塚は俺より成績が良い。どうやら彼女は毎日帰ってからその日受けた授業の復習をしているらしい。普段はそこまで真面目には見えないのだが、意外なギャップが知れた。

 ある時俺が藍塚との時間欲しさに勉強を教えてもらえないか頼んだ日があった。彼女は一つも嫌な顔をせず了承してくれた。

 その日の放課後の時間は図書室で勉強した。

 普段何かとからかってくる藍塚も、図書室という場所では静かであるらしい。おかげで、彼女は一気に集中モードだった。流石は普段から勉強しているだけはある。

 俺はというと、あまり集中できていなかった。それもそうだろう。普段から勉強していない奴が、いきなり一時間も二時間も集中できるはずが無いのだ。

 問題集を見ても何も分からないので、初めのうちは藍塚に質問していた。藍塚は普段と打って変わって、かなり真面目に教えてくれた。正直『六年生でこんなことも分からないの?』とか小馬鹿にされることを覚悟していたのだが、彼女は嘲笑の言葉を何一つ言わなかった。それが逆に俺を惨めにさせた。

 俺は彼女の勉強を邪魔するのが申し訳ないと思い、分からないところがあっても質問をするのを止めた。そのせいで余計に集中できなくなった。集中が出来なければ、自然と視線は彼女に向かう。

 俺たちは向かい合って勉強している。藍塚は自分の問題集をすらすらと解いていたり、たまに口元に指を当てて思考していた。彼女のまつげが長いことが分かった。

 そんな彼女に俺は見惚れていた。

 たまにクラスの女子トークで”男子の集中している姿が良い”という話を小耳に挟んだことがあるが、それは男女問わず当てはまるようだった。

 勉強している時間よりも、彼女を見ている時間の方が長かった気がした。


 下校の時間。

 俺たちは二人で帰ることになった。

 時刻はもう夕方。春が近づいているとはいえ、夜が来るのは夏よりかは依然早い。街は橙色に焼けていた。

 俺たちはなんてことない話をしながらのんびりと家に帰っていた。時間がゆっくりと進んでいる気がした。何とも心地よい時間だった。

「もう少しで卒業だね」

「そうだなぁ」

 俺たちは遠い目をして言った。

「……寂しくなるね」

 ふと、彼女は声のトーンを落として言った。

「なんで? 中学は小学校の友達みんなくるでしょ」

「そうなんだけどね……」

 藍塚の反応は意味深だった。

「にしてもさっきちゃんと勉強してた?」

 彼女は誤魔化すように話題を変えた。突然さっきの勉強会の話になった。

「いやしてたよ」

「ほんとに~?」

「ほんとだって」

 すると、藍塚はまた口と目を三日月型にて笑った。これは彼女のからかいモードに切り替わった時に見られる顔だ。

「ふーん。なんかずっと視線感じてた気がするんだけどな~」

「そ、そんなこと……」

 俺はつい顔を逸らす。頬が熱くなっていることが分かった。

 なんだか彼女は全部見透かしているように感じられた。

「……伏見ってさ」

 しかし、突如声色を変えて藍塚が零すように声を出した。

「いや、えっと……ちょっと聞きにくいんだけどさ……」

 珍しくハッキリしない物言いだった。彼女の声は震えている。

 けれど俺には、彼女が次に何を言い出すのかが分かった気がした。分かったからこそ、動悸が収まらなくて苦しかった。

 歯切れの悪い藍塚は、ポツリと言った。


「ひょっとして……?」


 時間が止まった様だった。

 けれどその衝撃は凄まじいものだった。

 まるで街のど真ん中にデッカイ爆弾を落とされたみたいな。

 藍塚は顔を伏せていた。

 夕焼けと相まって、その表情は分からない。

 俺は衝撃で頭が真っ白になった。故に冷静にはなれなかった。

 冷静では無い俺の頭が下した決断は、この場をこと。ただそれだけだった。


「い、いや別に」


 咄嗟に出た声はそれだった。”しまった”と思った。

「……そっか」

 藍塚はまた侘し気な声を出した。いつの日か聞いたことのあるその声は、ふっと夕焼けが照らす彼女の影の中へと消えていった。


 しばらく歩いた。俺たちを取り囲む空気は、さっきの和気あいあいとしたものではなくなった。しばらく無言で居心地の悪い雰囲気が続いた。

 やはり、藍塚の元気がなくなってしまった気がする。俺はさっきの会話で、答えを間違えてしまったようだった。

 やり直したい気持ちがあった。けれどもう遅い。俺はさっきの答えの正解が分かるはずだった。なんなら今言ってしまおうか? いや、なんかそれも違う気がするな……ムードとかタイミングとか今じゃ色々分が悪すぎる……

 なんてことを考えている合間に、分かれ道まで来てしまった。

「じゃあ私こっちだから」

 分かれ道で彼女はこちらへ振り返った。

「う、うん」

 動揺しながらも答える。今日ばかりは分かれ道に助けられた。

「じゃあね伏見。

「うん。また明日」

 彼女は別れ際に笑った。

 そんないつものはにかむ顔をみて、俺は多少心が軽くなった。さっきのは俺の杞憂だったのかと思った。


 家に着いて、ようやく俺は冷静になれた。胸の高鳴りがここまで収まらなかったのは初めてだった。

 冷静になって俺は少し考えてみた。

 彼女とは合計二回隣の席になっている。二回と言えば二か月だ。

 二ヶ月とは短いようで、それと同時に意外にも長い。男女が仲を育むには十分すぎる時間だった。

 ひょっとすれば藍塚にも、俺に対して何か芽生えたものがあったんじゃないだろうか。『私のこと好き?』その言葉を発している時の藍塚の顔は、夕焼けに誤魔化されていたけれど、赤くなっていたかもしれない。

 それに気付いたのは、家に着いてからだった。

 やはり俺は取り返しのつかない事をしてしまったようだった。

 けれど、全てはもう遅かった。


 次の日。藍塚から引っ越しするということを聞かされた。

 突然のことすぎて、最初は訳が分からなかった。

 引っ越し? 引っ越しって事は中学は別々ってことか? 藍塚とこうやって話せるのも、あと半月ちょっとってことか?

 俺は目の前が真っ暗になった。


 春休みになった。

 今回の春休みには卒業式がある。多分、藍塚と会えるのはその日が最後だと思った。

 俺はずっと、あの夕焼けの日のことを後悔していた。

 なぜ俺はあの時、自分の気持ちを正直に言わなかったのだろう。

 そして選択を間違えた後、なぜムードとかタイミングとか細かいことを気にして想いをぶつけなかったんだろう。

 この春休み、俺は悶々としてろくに楽しめていなかった。

 そして俺は決めた。

 最後に藍塚に、自分の気持ちを伝えようと。

 引っ越しとか知るか。これから先会えなくなったとしても、この気持ちを伝えられなければ、俺は一生後悔することになる。

 嵐だろうが地震だろうが津波だろうが、俺は絶対伝えてやる。


 卒業式当日。

 俺はウイルス性の胃腸炎に侵されていた。

 盛大にやらかしてしまった。

 この六年間、特に体調を崩すことなんてなかった。よりにもよってこんな日になるとは思わなかった。

 しかも胃腸炎である。既に何度も吐いている。これがただの風邪であれば這ってでも学校に行ったというのに、お腹の病気は割とどうしようもない。講堂で長時間座ったり立ったりしようもんなら、何度もトイレに駆けることになるだろう。

 そんなみっともない姿をクラスメイト、いや藍塚に見られるのは死んでもごめんだった。


 午後になって、家の外が騒がしくなった。どうやら一人や二人じゃ無さそうだった。

 その賑わった声には聞き覚えがあるものばかりだった。

 すると、インターホンが鳴った。

 母親が出てくれたのだが、インターホンを確認するとすぐに『行ってきなさい』と言った。家の前ならば多少大丈夫だろうとのことらしい。

 俺は胸がドキドキした。

 ひょっとしたら、藍塚が来てくれたのかもしれないと思った。

 大いにあり得ることだった。藍塚は意外に面倒見が良い性分だ。あの二ヶ月で知ったことだ。俺が病に伏せていることを知って、卒業証書を持ってきてくれたのかもしれない。

 俺は自分が病人であることを忘れていた。さっきまで腹がグルグルして気持ち悪かったのに、熱もあったのに家の階段を駆け降りていた。

 その勢いで扉に手をかけ、思いっきり開けた。

 光が眩しかった。女神が現れてくれたのかと思った。


 けれど、そこには藍塚の姿はなかった……

 

 家の前にいたのは学校でよくつるんでいた男友達だった。彼等は俺を見るなり様々な言葉をかけてくれた。

「……なんだお前らかよ」

「なんだとはなんだ」

 みんな俺をからかいつつ、労ってくれた。そしてある筒を渡してきた。恐らく中には卒業証書が入っているのだろう。

 友人の一人がふざけて卒業証書の授与を再現してきた。俺もそれに乗っかって友人を校長に見立てて受け取った。

 彼らがきてくれたことはもちろん嬉しい。けれど、俺の心にはポッカリと穴が空いたようだった。


「なぁ。藍塚は今日来てたの?」

 つい俺は聞いた。わざわざ女子のことを気にして、からかわれるかなと思ったけれど、友人達は意外に何も言わなかった。

「藍塚? さあ知らね。女子は女子で集まってたけどな」

「……そっか」


 俺はあの夕焼けの日が頭から離れなかった。

 

『じゃあね伏見。


 あの言葉が、何度も脳裏をよぎった。

 心臓が握り潰されそうだった。

 

 こんなのが俺の小学校生活の終わりだった。

 俺はこんなのが最後だなんて認めたくなかったが、友人が持ってきてくれた筒が確かに手元にあった。それは正真正銘、小学校を終えた証である。あの小学校に通うことはもう無いのだ。

 彼女と会えることも、もうないのだ。


 こうして、俺の六年間の恋路は終わった。


 彼女と会えることは、もう無い。

 

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