第2話 王宮の踊り子
国王一家の処刑から四年後。
宰相ランバートは正式に国王として即位することが決定した。
ランバート新国王の即位式典を前に、王都には次々と、式典を華やかに彩る芸人達が集まっていた。
「異国の舞踊団がやって来たよ!」
「遠い東国からやって来たそうだ。若い踊り子による剣の舞があるそうだぞ!?」
下町の人混みに紛れて、庶民と一緒に、舞踊団の一行を眺めていた男に、背後から声がかけられた。
「タイラス殿下、こんなところにお越しでしたか」
地味な茶色いマントを羽織り、腰の剣を隠している青年が振り返った。
「おまえか」
「悪かったですね。さあ、王宮にお戻りください。もう猫の手も借りたい忙しさなんですから」
「俺の手より猫の方が役立つぞ」
「何をおっしゃいます。殿下の教育係は大絶賛ですよ。こんな優秀な方は見たことがないと。剣術の師範も、殿下の成長をとても喜んで———」
「殿下はやめてくれ。俺はただの平民の孤児で」
「次期国王陛下が見込んだ、優秀な後継ぎでおられる」
「早く結婚して子どもをもうけろと、義父上に言ってくれ」
「ご冗談を」
舞踊団の馬車が王宮前広場に止まり、馬車から人々が降りて、荷物を確認し始めた。
二人はそれを機に歩き出す。
その時、馬車から一人の少女が軽やかに飛び降りた。
長い、真っ白な髪。
異国風の、ふわりとふくらんだパンタロンをはいている。
飛び降りた拍子に、短い上衣から健康的な腹部がちらりと見えた。
「おやあ、可愛いお嬢さんもいるんですねえ。さては、あの子が有名な剣の舞の踊り子さんかな!? 小柄だけれど、可愛い顔をしているなあ……」
「可愛い可愛いと、いつまで鼻の下を伸ばしている!」
にやける側近の背中をどやしつけると、タイラスは今度こそ、王宮に向かって歩き始めた。
***
長く伸びやかな笛の音が、太鼓の音と重なり合う。
異国の音の響きに、わっ! と歓声が上がった。
同時に、きゃあ! というご婦人方の悲鳴も。
普段、とりすましている貴族達の、常にない振る舞いに、タイラスはにやりと笑った。
珍しいものを見れば、その反応に貴族も平民もない、ということか。
新国王の即位式典も無事終わり、王宮では賑やかな余興が披露されていた。
美しく
剣を構え、ぶつけ合い、即座に引く。
テンポの良い音楽に合わせ、男達はどんどん動きを早めながら、大きな円を描きつつ王宮大広間の中央で剣を合わせていた。
金属が触れ合うたびに、シャラン! と涼やかな音が響く。
最後に剣を合わせて、二人の男達が合掌すると、大広間には、割れんばかりの歓声が響き渡った。
大歓声の中、音楽の曲調が変わり、大広間は静まり返る。
男達が退場すると同時に、大広間に登場したのは、腰に剣を下げた、一人の小柄な少女だった。
(あれは)
少女はひたひたと広間の中央を進む。
珍しい白い髪。
すんなりと伸びた手足。
上半身は、体にぴったりとした、短い上衣だ。
鍛えられた腹部がくっきりと見える。
腰には赤い飾り帯を巻いて正面に垂らし、下半身は白地に金色の模様の入った、ふんわりと膨らんだパンタロンに包んでいる。
少女は細い手で腰に差した剣を抜くと、意外にも剣術に沿った、しっかりとした構えで、剣を突き出した。
きゃあっ! というご婦人方の悲鳴が響いた。
一本の剣を体の前で自由自在に操りながら、少女は音楽に合わせて舞い続ける。
何度も宙を舞う小柄な体は、軽やかだ。
曲調が再び変わる。
少女は剣を頭の上に乗せると、手を剣から離し、まるで複雑な曲線を両手で描くように踊り始めた。
体を怪しげにくねらせる動きに、紳士方から熱心な声援が上がった。
男性二人の踊り子が再登場して、少女と一緒に踊り始める。
大広間は熱狂の中にあった。
やがて、少女は新国王ランバートの正面でぴたりと止まった。
その背後に控えていたタイラスにも、少女の姿はよく見えた。
両手で、頭に載せた剣をうやうやしく持ち上げた少女の顔は、濃い化粧が施されていて、本来の顔だちはよくわからない。
「素晴らしい舞踊だ」
ランバートが言った。
「
大広間はこの日最大の熱狂で包まれた。
踊り子達は合掌して一礼し、退場していく。
その時、タイラスは時が止まったかと思った。
ゆっくりと顔を上げた少女。
濃い化粧の下で、あざやかな若草色の瞳が、穏やかにタイラスを見つめていた。
***
「そなたの名前は」
タイラスは尋ねた。
「尊きお方。わたくしは、リゼと申します」
王宮北棟のある、北の庭。
夜更けにそこを訪れたタイラスは、先客の姿を見つけた。
月に照らされて立っているのは、小柄で、ほっそりとした姿。
まるで四年前から何も変わっていないかのように見える、一人の少女の姿だった。
ただ髪色だけが、白い。
記憶の中の彼女は、まばゆい金色の髪をしていたのだが。
「リゼ……」
タイラスは口の中で、彼女が名乗った名前を転がしてみる。
「私は、四年前から、ある探しものをしている」
「それは何でございましょうか」
「その名前を知らないのだ」
「名前がわからないのでは、探すのに苦労なさいますね」
リゼと名乗った踊り子は、そう言って笑った。
「リゼ、なぜここへ来た? ここに以前、来たことがあるのか?」
タイラスはまっすぐに少女を見つめる。
しかし、少女はふわっと笑うと言った。
「道に迷いまして、偶然。もちろん、こちらに来たのは、初めてでございます」
穏やかな態度は崩さず、何も情報を与えない。
やはり、少女はタイラスにある人を思い出させた。
「リゼ、そなたに命じる。毎夜、同じ時間にここへ来るのだ」
その時、一瞬だが、少女の若草色の瞳が揺れたように、タイラスに感じられた。
「何のために?」
「来れば、わかる」
翌日の夜。
少女が北の庭にやって来ると、そこにはカンテラの明かりの下、小さなテーブルが用意されていた。
「さあ、どうぞ」
タイラスは少女の手を取って、椅子に座らせる。
テーブルの上には、熱いお茶と、お菓子というよりも、軽食が用意されていた。
タイラスがティーポットを持ち上げて、お茶を入れる。
「遠慮しないで食べてくれ」
フタ付きのボウルには、温かなスープが入っている。
タイラスの言葉に押されて、少女はスプーンを手に取った。
スープの次は、薄いサンドイッチ。
固く焼いたクッキーと卵で作ったプディングにも少女は手を伸ばした。
食が進み始めた少女を見つめて、タイラスはぽつりと言った。
「あの時も、こんな風にしてみたかった。もちろん、当時の私には、それは無理なことだったのだが」
夜の森。木の下に座って、二人で話したこと。
食べ物を持っていって、少女に叱られたこと。
「こうして、人目を気にすることなく、一緒の時間を過ごしたかった……」
まるでひとりごとのようなタイラスの言葉に、少女は黙って耳を傾けていた。
あの頃できなかったことをして、少女を驚かせたい。
もう一度、あの時をやり直せば。
そうすれば、少女が言ってくれるのではないか———。
タイラスの想いとはうらはらに、穏やかにタイラスを見つめる少女は、近くにいるのに、しかし、遠かった。
やはり、リゼが『彼女』であるはずはない。
苦い想いとともに、タイラスは思う。
彼女は、死んだ。
彼女は、金髪だった。
こうして、一緒に時間を過ごしても、リゼは何も言わない。
タイラスがひそかに願っている言葉を、口にしてはくれないのだ。
なぜなら、リゼは、あの少女ではないのだから———。
そんなある夜のことだった。
「タイラス、ここで何をしている?」
「義父上!?」
そこに現れたのは、タイラスの父であり、国王に即位したばかりのランバートだった。
「義父上、なぜ、ここに。護衛はどこですか? まさか、お一人でいらしたのではないでしょうね?」
「おまえが何をしているかわからぬのに、人を連れて来れるか。……やはり、この子はあの踊り子か。お嬢さん、息子が無理を言ってすまなかったね。今日はこれでお帰りなさい」
「義父上! リゼ、待ってくれ」
その時だった。
ヒュン、と何かが宙を切る音がした。
「!?」
テーブルを照らしていたカンテラが、一本の矢で倒された。
「義父上!!」
タイラスが剣をつかみ、義父の前に立つ。
少女もまた、すばやくランバートの背後に立った。
少女は剣を取ろうと手を伸ばし、剣は置いてきたことに気がついた。
仮にも王子に会うのに、剣を持って来ることはできない。
懐に手を入れると、小さな袋を取り出す。
思いきり地面に叩きつけると、爆発音とともに花火のような明かりが上がった。
「チッ! 時間がない! やってしまえ!」
森から飛び出した男が、ランバートに向かって剣を振り下ろす。
「義父上!」
タイラスが男の剣を弾き飛ばした。
しかし、まだ賊はいる。
少女が気配を感じたのは、その時だった。
森の中から、何かが空気を切って飛んでくる。
少女は地面を蹴って飛び上がり、ランバートの背後からしっかりと抱きつく。
ランバートの体がよろけた。
少女は、細い
同時に、左腕を走る痛みに悲鳴を上げる。
「義父上! リゼ!!」
北庭が急に明るくなった。
無数の松明が集まってくる。
「ここだ! 賊を捕まえろ!!」
タイラスは少女に駆け寄った。
「リゼ!? しっかりしろ! リゼ!」
少女は目を開いた。
タイラスの蒼白な顔が、目の前にあった。
「教えてくれ。あなたは———あなたは、アニスリゼット王女なのか?」
少女はタイラスを見つめた。
少女がタイラスの目の中に見たのは、癒えることのない、苦悩だっただろうか。
少女はうなづいた。
「はい」
次の瞬間、少女は、意識を手放した。
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