第10話 深海の逆転

南シナ海の深海で、黎明は2隻の潜水艦――中国の「海龍」と米軍の「シーフォックス」に挟まれる形で航行を続けていた。音もなく、しかし確実に迫る2隻の影。どちらも黎明の動きを封じ込めるため、じわじわとその包囲網を狭めていた。


「艦長、海龍がさらに接近中です。距離600メートル。」

ソナー担当の声が静寂を破る。


「シーフォックスも動きを見せています。」

藤崎玲奈が追加データを確認しながら付け加える。「両艦が同時に圧力をかけてきています。これは明らかに連携を意識した動きです。」


艦内に緊張が走る中、副艦長の大村修一が一歩前に出て、風間悠馬を見つめた。

「艦長、このままでは包囲されます。我々が動かない限り、次は攻撃を受ける危険があります。」


風間は無言のままモニターに映る海流と艦の位置を見つめていた。その冷静な表情に、焦りの色は一切見えない。やがて、彼は低く落ち着いた声で答えた。

「彼らの焦りを待つ。こちらから動けば、それこそが彼らの狙いだ。」


大村は反論しようとしたが、風間の鋭い視線に言葉を飲み込む。風間の決断には常に計算がある。それを知りながらも、大村にはその冷静さがときに理解しがたいものに思えるのだった。


その頃、海龍の艦橋では、艦長の陳華凌がソナーのデータを見つめていた。黎明との距離は600メートル。攻撃態勢を整えるには十分な距離だったが、陳はまだ動かなかった。


「艦長、目標は依然として沈黙を保っています。このままでは我々が圧力をかけ続けるしかありません。」

副艦長が進言する。


陳は短く息を吐き、冷静に答えた。

「わかっている。しかし、こちらから仕掛けるにはリスクが大きすぎる。」


「ですが、このままでは……。」


陳は副艦長の言葉を遮り、指示を出した。

「探査用UUVを発進させろ。黎明の周囲を包囲し、その意図を探る。」


「了解しました。」


数分後、海龍から発進した複数の無人潜航機が黎明に向けて接近を始めた。その動きは、明らかに挑発的であり、黎明を包囲しようとする意図が見え隠れしていた。


黎明の艦内では、乗組員たちが一様に緊張した面持ちでそれぞれの持ち場についていた。休憩スペースでは、若い技術士官の山下涼太が苛立った様子で声を荒げていた。


「この状況で何もしないなんて……艦長は本当に正しいのか?」


「おい、やめとけ。」

整備士の木崎正志が静かに制する。「艦長の考えには理由がある。」


「理由? それで何か変わるのか?」

山下は壁を拳で叩く。「こんな状況で何もせずにただ待つなんて、敵に隙を与えるだけじゃないか!」


木崎はしばらく沈黙し、やがて静かな声で答えた。

「お前は艦長の考えが分からないから不安なんだろう。でもな、俺たちはこの艦で生き残るために、艦長を信じるしかないんだ。」


山下は何かを言い返そうとしたが、木崎の静かな目を見て言葉を飲み込んだ。


艦橋では、風間が再び命令を下した。

「EMPシステムを準備しろ。ただし、最大出力ではなく、広範囲で動作させる。」


藤崎がすぐに応じる。「EMP準備完了しました。」


大村が慎重に問いかけた。

「艦長、EMPを使えば我々の位置が完全に暴露される可能性があります。」


風間は短く答えた。

「それでも構わない。彼らの動きを止めることが優先だ。」


「了解しました。」


数秒後、艦内が微かに振動し、EMPが発動された。深海の静寂を切り裂くようなその瞬間、周囲の海域で電子機器が一斉に機能を停止する。


「EMP反応を確認! システムが……システムが応答しません!」

海龍の艦橋では、乗組員たちが次々と警報を報告する中、陳が険しい表情で状況を見つめていた。


「まさか……黎明がここまでの手段を使うとは……。」

彼は拳を握りしめた。


一方、シーフォックスの艦橋でも、同様の状況が発生していた。

「全システムがダウンしました! 完全に動作不能です!」


ハドレー艦長は驚きの表情を浮かべながらも、皮肉めいた笑みを浮かべた。

「なるほど。風間という男、なかなかやるじゃないか……。」


EMPの影響で行動不能に陥った海龍とシーフォックス。黎明はその隙を突き、深海の闇の中へと静かに姿を消した。


艦橋の緊張が緩む中、風間はモニターを見つめながら呟いた。

「これで少しは、彼らも静かになるだろう。」


その言葉に、大村は初めて小さな安堵の表情を浮かべた。しかし、この静寂が次の波乱を予感させるものであることを、艦内の誰もが理解していた。

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