第8話 静寂の交錯

黎明は静かに、だが確実に深海を進んでいた。中国の潜水艦「海龍」と米軍の潜水艦「シーフォックス」がその周囲に迫っていることは艦内の全員が把握していたが、艦長の風間悠馬はその状況にも揺るぎない態度を崩さなかった。


「艦長、海龍との距離は700メートルを切りました。」

ソナー担当の声が艦橋に響く。


風間は短く頷き、モニターを見つめたまま答える。

「そのまま監視を続けろ。相手の意図を探る。」


副艦長の大村修一が一歩前に進み、緊張した面持ちで問いかけた。

「艦長、ここまで接近されているのに、こちらから何のアクションも起こさないのは危険です。敵が先に仕掛けてくる可能性もある。」


風間は一瞬だけ大村に目を向け、静かに言った。

「それこそが、彼らの狙いだ。」


「狙い?」


「挑発に乗ることで、こちらが先に行動を起こしたと見なされる。それは、黎明の存在意義を否定することになる。」

風間の言葉は冷静だったが、その中に確固たる信念が込められていた。


一方、海龍の艦橋でも緊張感が漂っていた。艦長の陳華凌は、黎明の動きをモニター越しに見つめながら、部下たちに指示を飛ばしていた。


「彼らは静かだな……こちらの動きをじっと観察しているだけか。」


副艦長が口を開いた。

「艦長、このままでは我々が劣勢に見られます。距離をさらに詰めて、彼らに圧力をかけるべきではないでしょうか。」


陳は腕を組み、冷たい笑みを浮かべた。

「それでは単なる威圧だ。我々が必要なのは、彼らの反応を引き出すことだ。」


「具体的には?」


「探査用の無人潜航機(UUV)を投入する。」

陳は短く指示を出す。「海龍本体を動かさず、無人機で彼らの周囲を探り、どこまで耐えるか試してみろ。」


「艦長、新たな反応を確認しました。」

黎明のソナー担当が声を張り上げた。「海龍から無人潜航機が発進しています。こちらに接近中です!」


藤崎玲奈が即座にデータを確認し、追加情報を報告する。

「中国製の最新型UUVです。探査用ではありますが、必要であれば攻撃も可能なタイプです。」


大村が険しい顔で風間を見た。

「艦長、これは明らかに挑発です。このままでは、我々の位置が完全に把握される危険性があります。」


風間は少し間を置いてから答えた。

「EMPの準備を。」


「EMP準備完了。」

藤崎が迅速に応じる。艦内の空気が張り詰めた。


「だが、まだ使うな。」

風間はモニターを見つめながら静かに続けた。「我々が先に動けば、それは力を誇示するだけの行為に終わる。」


「しかし、艦長!」

大村の声が荒くなる。

「このままでは中国に隙を与えるだけです。我々がここにいる意味が失われます!」


風間はその言葉に応えるように、大村をじっと見つめた。

「失われるのは、信念を貫けなかった時だ。」


艦内の休憩スペースでは、乗組員たちの間でも議論が巻き起こっていた。


「どうして艦長は動かないんだ?」

若い技術士官が苛立った様子で声を上げる。「敵が明らかに挑発しているのに、このまま静観なんて……。」


「静観じゃないさ。」

整備士が冷静に答える。「艦長は状況を見極めているんだ。」


「見極めるだけで何が変わる? 我々は反逆者として世界中から注目されている。何もしなければ、ただの逃亡者扱いだ!」


整備士は少し間を置いてから言った。

「艦長は、戦わずに力を示す方法を模索しているんだ。それができなければ、この艦の存在意義がない。」


「でも、それで本当に平和が生まれるのか?」

技術士官の問いに、整備士は答えを出せなかった。


その時、米軍潜水艦「シーフォックス」がさらに接近していた。艦長のジェームズ・ハドレーは、黎明と海龍の距離を慎重に測りながら、作戦の次の一手を考えていた。


「面白い状況だ。」

ハドレーは小さく笑みを浮かべる。「中国があそこまで挑発しているのに、黎明は動かない。風間という男の肝の座り方には驚かされるな。」


副艦長が問いかける。

「艦長、我々も接触を試みますか?」


「まだだ。」

ハドレーは首を横に振った。「中国と黎明がどう動くかを見極める。こちらが下手に動いてバランスを崩すわけにはいかない。」


しかし、彼の目には新たな計画が閃いていた。


「艦長、無人潜航機が距離500メートルまで接近しています!」

黎明の艦橋に緊張感が走る。


「EMP使用の許可を。」

藤崎が再度確認する。


風間は短く息を吐き、低い声で命じた。

「EMPを起動する。ただし、低出力で抑え、無人機だけを無力化しろ。」


「了解しました!」


数秒後、艦内がわずかに振動し、EMPが作動した。その直後、無人潜航機の反応がソナーから消える。


「無人機の反応を消失しました。」

ソナー担当が報告する。


艦橋内には安堵と同時に、新たな緊張が広がった。大村が静かに言った。

「これで中国がどう動くか……。」


風間はモニターを見つめたまま、静かに呟いた。

「彼らの次の一手が、この海域全体の運命を決める。」


EMPが作動したことで、南シナ海の静寂はついに破られた。海龍とシーフォックスがそれぞれ動きを見せる中、黎明は深海の中で静かにその存在を示し続ける。だが、その行動が次の波乱を引き起こすことを、乗組員たちはまだ知らなかった。

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