第2話 最初の接触
深海という世界は、静寂と闇だけが支配する異質な空間だ。水面から数百メートル下の水圧は、どんな金属をも粉砕する力を持ち、音さえも圧倒的な重さの中で消えていく。
「暁翔」はその深海を、まるで生き物のように滑らかに進んでいた。水深500メートル、速度は12ノット。乗組員たちは息を殺しながら、その動きを見守っていた。これが暁翔にとって初めての実戦航行だった。
艦内は薄暗い青白い光に包まれ、コンソールパネルが低く唸りを上げている。艦長席に座る風間悠馬の姿は静かそのものだった。彼の無口さが艦内の空気をさらに緊張させているのがわかる。乗組員たちは、艦長が何を考えているのかを知る術がない。ただ一つ確かなのは、彼がその場にいるだけで全体が一種の秩序を保つということだった。
「艦長、現在航路に異常はありません。」
通信士が短く報告する。その声も、張り詰めた空気に消えるようだった。風間は軽く頷き、それ以上の言葉を発することはなかった。
しかし、その静寂が破られるのにそう時間はかからなかった。
「艦長、ソナーに微弱な反応を確認しました!」
ソナー担当の乗組員が緊張した声で報告する。艦内の空気が一瞬にして変わった。全員が一斉にモニターに目を向ける。ソナー画面には、周期的なパターンで浮かび上がる微弱な波形が映し出されていた。
「人工的な反応の可能性があります。」
技術担当の藤崎玲奈が迅速にAIシステムを操作しながら、冷静に言葉を続ける。「音紋を分析中……これは通常の海洋生物の動きとは異なります。」
彼女の指がタッチパネルを走るたびに、モニター上のデータが次々と切り替わっていく。その横顔には焦りは見えないが、その内側には確実に不安があった。
「これは……潜水艦の可能性が高いです。」
藤崎のその言葉に、艦内の緊張がさらに高まる。ソナー画面に映る波形は徐々に明瞭になり、その動きが意図的であることを示唆していた。
「艦長、不明潜水艦がこちらに接近中。」
通信士の声が震えている。モニター上で波形が大きくなり、距離が縮まっていくことがわかる。
「米軍か?」
副艦長の大村修一が低い声で呟く。だがその問いに答えられる者は誰もいなかった。
「これは……無人潜水艦、ドローンの可能性があります。」
藤崎が分析結果を報告する。「音紋パターンが米軍の無人潜水艦と一致。ただし、詳細は不明です。」
「米軍がこんなところで何をしているんだ?」
大村の声は抑えきれない苛立ちを含んでいた。しかし、風間は何も言わない。ただ無言のままモニターを見つめている。
ドローンはさらに接近してくる。その動きは明らかに威嚇行為だった。一定の距離を保ちながら暁翔の周囲を旋回し、電子妨害を試みている様子がデータから読み取れる。
「電子妨害を受けています!」
通信士が緊張した声で報告する。
「航路変更を開始。右30度旋回。」
風間が短く指示を出す。その声には一切の動揺がない。それは乗組員たちにとって、唯一の安心感でもあった。全員が迅速に行動を開始し、暁翔はスムーズに機動を始める。
だがドローンは追尾を続けていた。その動きは執拗で、暁翔の情報を得ようとする意図が明らかだった。
「EMPシステム、準備完了。」
藤崎が報告する。その声には迷いが含まれていた。この技術を使用することが、どれほどの影響を与えるかを理解しているからだ。
「艦長、発動しますか?」
風間は一瞬だけモニターを見つめ、無言のまま短く頷いた。それだけで全員がその意図を理解した。
艦内が低い振動音に包まれる。EMPシステムが作動し、電磁パルスが周囲に放たれる。数秒後、ソナー画面からドローンの反応が完全に消えた。
「ドローン、無力化を確認しました。」
藤崎が報告する。艦内には安堵の空気が漂うが、それも長くは続かない。藤崎が小さく息を吐きながら呟く。
「これが知られれば、確実に問題になります……。」
風間はその言葉には答えず、次の指示を出した。「通常航行に戻れ。」
その声は冷静そのものだったが、周囲には彼がこの事態をどう捉えているのかを推測する余地を与えなかった。
暁翔が再び静かな深海を進む中、乗組員たちはそれぞれの持ち場で作業を続けていた。しかし、その心には不安が残っていた。米軍の動き、初めてのEMP使用、そして風間の意図――それらが絡み合い、答えの出ない疑問を生んでいた。
「艦長、今回の任務……単なる調査で済む話じゃないですね?」
副艦長の大村が小声で話しかける。その声には探るような響きがあった。
風間は彼を一瞥するが、答えはしない。ただその無言の態度が、すべてを物語っているようでもあった。
大村は苦笑し、顔を曇らせながらつぶやいた。「まあ、あんたが黙ってるなら、そういうことだろうな。」
艦内で通信士が新たな情報を報告する。「艦長、国際海域における米軍艦艇の動きが活発化しているとのことです。」
風間は短く頷くが、それ以上の反応を見せない。その無言の姿が、次なる行動への確信を暗示しているようだった。
深海の闇を進む暁翔。その先には、さらなる波乱の幕開けが待っている。
暁翔が水深500メートルの深海を進む中、その航路は依然として静寂に包まれていた。艦内では、電子機器の低い唸り声だけが響いている。乗組員たちはそれぞれの持ち場で監視と操作を続けながらも、どこか落ち着かない様子を見せていた。
「艦長、現在航路上に異常は確認されていません。」
通信士が定期的に報告する。その声には不安の色が混じっていた。目に見える脅威はないものの、乗組員たちは先ほどの不明潜水艦の兆候に神経を尖らせていたのだ。
風間悠馬は艦長席に座り、モニターに表示されるデータを黙って見つめている。その無言の姿が、周囲に緊張感を与えていることを、彼自身も十分理解しているようだった。
「ソナーに新たな反応を確認!」
突如、ソナー担当の声が響く。艦内の空気が一気に張り詰め、乗組員たちが一斉にモニターに視線を向ける。
モニターには、先ほどとは異なる波形が映し出されていた。それは微弱だが、確かに規則的な動きを示しており、人工的なものを強く示唆している。
「分析結果が出ました。」
技術担当の藤崎玲奈が、モニターのデータを解析しながら声を上げる。「これは……周波数の特徴から、低周波ソナーを使用した探査型の無人潜水艦の可能性が高いです。」
その言葉に、副艦長の大村修一が目を細める。「探査型? つまり、こちらを監視しているということか。」
藤崎は頷いた。「おそらく米軍のドローンです。ただし、攻撃行動を示すデータは現時点ではありません。」
大村は苦々しげに口を開く。「初任務でいきなりこれか……。米軍がここで何をしているのか、聞きたいもんだ。」
風間はそれを聞いても何も言わず、ただ指令卓に立ってモニターを見つめていた。彼の視線は冷静そのものだったが、その中には何か深い考えが潜んでいるように見えた。
「艦長、不明潜水艦がこちらに接近中です!」
通信士が声を張り上げる。その声に応じて、艦内の乗組員たちが一斉に自分の持ち場での作業に集中した。
「距離1500メートル……1000メートル……接近速度は変化なし。」
ソナー担当が次々と状況を報告する。ドローンは暁翔に対し、距離を詰めながらも攻撃行動を示してはいなかった。ただ、その動きは明らかにデータ収集を目的としているようだった。
「意図的な行動だな。」
大村が呟いた。「威嚇か、それともこちらの性能を試しているのか……。」
「航路変更、左30度旋回。」
風間が短く指示を出す。その声は一切の迷いを含まず、乗組員たちはただその言葉に従って行動を開始した。
暁翔が指示に従い旋回を開始した瞬間、不明潜水艦の動きが変化した。モニター上でその波形が急激に接近を示し、予測進路が交錯する。
「接近速度が急上昇! 距離700メートル……600メートル……!」
ソナー担当の声が緊張感をさらに煽る。
「何をしている!」
大村が声を荒げるが、風間は無言のままモニターを凝視している。その表情には焦りも動揺もない。ただ冷静に、次の一手を考えているようだった。
藤崎がデータを再解析し、息を呑む。「これは……電子妨害を試みています! 通信データに異常が発生しています。」
その言葉に艦内が一瞬沈黙に包まれた。深海という孤立した空間で、電子妨害が成功すれば全ての機器が停止する危険性がある。
藤崎が震える声で提案する。「EMPシステムの使用を……」
艦内が低い振動音に包まれる中、乗組員たちはEMPシステムの操作準備に取り掛かった。その間、風間は再び無言で状況を見つめ、わずかに頷いた。
EMPの発動と静寂の回復
「EMP発動!」
藤崎が叫ぶと、艦内に低い音波のような振動が響き渡る。モニター上の波形が次々と消え、不明潜水艦の反応が完全に途絶えた。
「ドローン反応、完全に消失しました!」
通信士の声に艦内が一瞬安堵の空気に包まれる。
「ただのドローンだとしても……米軍にこちらの技術がバレれば、間違いなく問題になる。」
藤崎が小さな声で呟くが、それを誰も反論しなかった。
風間は艦長席に腰を下ろし、再び静かにモニターを見つめた。その目は、次なる動きを見据えているようだった。
「艦長、今回の任務……おかしすぎますね。」
大村が低い声で話しかける。その表情には疑念と不安が混ざっていた。
風間は彼を一瞥するだけで何も答えなかった。その無言の背中が、大村に全てを察せよと言っているようだった。
深海の闇を進む暁翔。その先にはさらなる波乱が待ち受けていることを、艦内の誰もが薄々感じ取っていた。
「艦長、次の報告が入りました。」
通信士の言葉に、風間がモニターに目を向ける。モニターには国際海域での新たな動きが表示されていた――米軍艦隊が暁翔の周辺で活動を活発化させている。
風間はそのデータをじっと見つめ、短く頷いた。それは沈黙の中の確かな決意を意味していた。
EMPシステムの発動により、不明潜水艦ドローンの反応が完全に途絶えた。その知らせに艦内の緊張が一瞬だけ緩み、乗組員たちの間には小さな安堵の空気が流れる。だが、その空気は決して長く続くものではなかった。深海の静寂は常に、不安と疑念を孕んでいる。
「EMPの効果を確認しました。不明潜水艦の反応は完全に消失。追尾も停止しています。」
通信士が静かに報告する。艦内の乗組員たちはそれぞれの持ち場で作業を続けながらも、先ほどの一連の出来事を振り返り、その意味を考えていた。
技術担当の藤崎玲奈は、EMP使用後のシステムチェックを行いながら、小さな声で呟いた。
「やっぱり、この技術を使うのは危険すぎる……。」
その言葉に誰も返答しなかった。風間悠馬をはじめ、誰もが心の中で同じ疑問を抱えていることを感じ取っていたからだ。
艦長席に座る風間は、ただ黙って航行データを見つめている。その顔には感情の動きが見られず、まるで石像のようだった。だが、乗組員たちは彼が何も考えていないわけではないことを理解している。むしろ、彼の沈黙の中には、彼自身にしか見えない何かがあるのだ。
副艦長の大村修一が意を決したように風間へと近づき、小声で話しかける。
「艦長、今回の任務……どうにも腑に落ちません。国際海域で米軍のドローンに遭遇するなんて、偶然にしてはできすぎています。」
風間はその言葉に顔を向けることもせず、モニターを見つめたまま軽く頷いた。それは「分かっている」という無言の答えだった。
大村は口を閉じ、わずかに眉をひそめた。艦長が何を考えているのかを探るのは、いつものことながら難しい。それでも、彼の沈黙には確かな意図があることを大村は理解していた。
その静寂を破るように、通信士が声を上げた。
「艦長、新たな情報が入りました。国際海域で米軍艦隊の動きが活発化しているとのことです。」
艦内の空気が再び引き締まる。モニターに映し出されたデータには、米軍艦艇の動きが詳細に示されていた。その中には、先ほど遭遇したドローンの発信源と思われる座標も含まれている。
「これは……我々を狙った行動としか思えませんね。」
藤崎がモニターを見ながら低く呟く。その言葉に大村が反応する。
「いや、単に我々の技術を試しているだけかもしれん。だが、それなら余計に不気味だ……。」
乗組員たちが次々とモニターに集まり、データを確認し始める。その中で、風間だけは変わらず冷静な態度を保っていた。彼はモニターをじっと見つめた後、短く指示を出した。
「現状の航路を維持。監視を続けろ。」
その声には一切の迷いがなく、乗組員たちは即座に動き始めた。
任務がひとまず安定したことを確認すると、風間は無言で艦長室へと向かった。彼が部屋に入ると同時に、艦内の音が遠ざかり、深海の静けさがそこにも広がる。
風間は窓の外に広がる暗い海を見つめる。その目には、深い沈思が宿っていた。彼の頭には中東での過去の任務がよぎる。あの時、国連の旗の下で行動していた彼は、国家間の利害に振り回され、救えたはずの命を救えなかった。
彼は無言で机の上の航路図を手に取る。その指先が触れる場所は、次の航路となるであろう海域だ。だが、その先に何が待ち受けているのかは誰にもわからない。彼自身もまた、この航海がどこへ向かうのかを模索していた。
艦長室に設置された内部通信が鳴り響く。それは通信士からの報告だった。
「艦長、国際海域における米軍の活動について新たなデータが届きました。さらに、別の国籍不明の潜水艦も確認されています。」
風間は無言で通信を切り、窓越しに広がる闇を見つめた。その先には、誰も見たことのない新たな戦いの兆しが待ち構えているように感じられた。
深海の闇の中で航行を続ける暁翔。その巨大な艦体は静かに、そして確実に新たな運命の中心へと進み続けていた。
艦長室を出た風間は再び艦橋に戻り、乗組員たちの前に立った。その背中には何も語らない信念が滲み出ていた。
「艦長、次の指示をお願いします。」
大村の声が静かに響く。風間はモニターを見つめながら短く答える。
「監視を続ける。情報を逃すな。」
その声に、乗組員たちは再び黙々と作業に戻る。風間は再び静寂の中に立ち、艦と共に深海を進む。その目は、何か確かな覚悟を見据えていた。
暗闇を切り裂くことなく溶け込む暁翔。その航跡は、これから訪れる嵐の序章を描いているようだった。
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