第七章 責任者は誰だ(2)

 突如唸り声を上げ出す固き翼の鳥たち。空の高みへ顔を上げ出す筒たち。大きな一枚の壁となりつつある高き壁たち。筒を天へ掲げつつ行進を始める遺跡たち。


「アンディ! ここへ来るんだ! 台のところは安全かもしれん! 」


 気が抜けたクルカンを肩に抱えて、フォートンがアンディに声をかけた。その声にアンディはやっと自分が泣いていることに気がついた。


「無理です! ガザル翁は運べない! 」

「彼を置いたら助けに行く! 待っていなさい! 」


 自分たちを覆いつつあるとまで思わされる神の遺跡を思わず見上げたアンディは、区切られた空に大きな白い鳥のごときものがよぎるのを見た。


「ヘルメス号! なんで!? 」


 避難したんだ。こんな中いつまでも下になんていられない。そう信じようとアンディが思ったとき、耳に異音が聞こえ出した。


 それは鬨の声が悲鳴によって中断される音。岩石のように固いものが踏みつぶされる、崩壊の音。アンディは相手が重傷であるにもかかわらずガザル翁の身体にしがみついた。フォートンはやっとクルカンをなだめすかして台のところに置いてくるところで、アンディの元までは容易にたどり着けそうにない。


 そこへ!


「いた! やはりいた! 」


 他の人間の声に、怯えた小動物のようにアンディは振り向いた。そして驚いたことに、アンディには彼らの顔に見覚えがあった。


 兵士のごとき姿はしているが兵士ではない。それは幼きころ母に連れられて街を歩いていたときに声をかけてくれた人々。ウォルホールの……あの街で……。


「王子! こんなところにいらっしゃったなんて! 」

「お迎えにきましたよ! さぁ、もう大丈夫! 」


 街を占領したカトランズの兵たちと同じ格好をした人たちに目を丸くするアンディに、領民たちは頼もしげに笑って見せた。


「大丈夫ですよ。カトランズから来た連中じゃありません。”自警団募集”の告知があったので一時的に編入していたんです」

「”王子を保護する任務”と聞いて危険は承知でこちらに志願したんですが……会えてよかった……」

「さぁ、ガザル様。肩にお捕まりください。と言ってもどこへ逃げれば……」

「こちらへ! この台のところは安全のようです! 」


 フォートンの呼び声に、日々の労働で鍛えた人々たちはガザル翁を抱え、アンディをうながして台のところまで移動した。


 まだ異音は続いている。自らの都合のためにアンディの身柄の確保だけを追い求める教会軍と、自らの正統性を誇示したいがためにやってきたカトランズの兵の犠牲はいかばかりだろう。


 アンディは自分が守るべきと思っていた人々に守られながら、せめてこの人たちだけでも守らなくては、自分がたとえどんなに力が小さくとも、と固く決意した。


             *


 黒雲を突き破って青い稲妻が大空を走る。その稲光も少しずつカーブを描き出す……下の方へと。


「……破られるわ」


 オウリアは遺跡を見下ろす丘の上、ダルバザードの隣で総てが見える位置であえて天空を見ていた。


 ラウダは途中で捨てた。あまりにも遅い。気は進まなかったがオウリアはダルバザードを自分の「飛翔船」に乗せた。


 今、自ら所有の小舟の隣、ダルバザードは地面に展開された悪夢の光景を見据えていた。


「……だから神の遺跡は破壊されねばならんのだっ! 」


 片手をあげて振り下ろすと、呼ばれたかのように稲妻が一本、二本と神の遺跡に突き刺さる。だがそれは神の遺跡の表面を軽く削った程度にしかならず、神の遺跡自体は次々と悲鳴を量産していた。


「神を名乗った者たちは! はるか昔に人々を奴隷にし! 戦いに駆りだしたに飽き足らず! 放棄したこのようなものですら! 日々人を傷つけ! そのために! そのために! なぜアイツらが死なねばならなかった! 俺は! 断固抗議する! それが神であろうとも! 」


 慟哭するようなダルバザードの言葉に従い、稲妻が次々と神の遺跡に吸い込まれていく。だがそれすらも足元の虫が人に向かって威嚇するごときなもの。


”ヨバれた……めール……知ラん……”


 その時オウリアは自分が棒立ちになることを止められなかった。それは自分の考えではない。何か異質なそれ。


 いつの間にかダルバザードもその手を止めていた。他は何も変わっていないというのに! 魔法使いだけが!


”まダアったノカ……あクせス……ニンしょう……あいでぃーは……”


 その意思の大きなこと、まるで星そのものと交信するかのように。オウリアにはわかった。それは。あの青いいかづちを網を破らんとする何者かの意思!


”ガメンがミエル……モじでータだケカ……? ”


 ダルバザードが息をのむ。まるで悲鳴を上げるのをこらえるかのように。網が、青い稲妻の網が、目の間を急速に広げようとしている!


「ダルバザード手伝って! あの稲妻を強化しなくては! 」


 ダルバザードは己を叱咤するかのように自ら頬に拳骨を2,3発くれると、天に向かって手をさしのべた。オウリアが自らの専門、「熱」を操りそれを強化する。押し広げられかけた目の間にダルバザードの稲妻が加わり、それがオウリアによって他と変わらぬような太さにまで変わる。


 それでも。


”うォるふォーるってアイツんトこのくニジゃん……ジぶんのモチぐニっテナンてっタッケ……マ、いいヤ、ひマツぶシダ……”


 神の意思に応えるかのように神の遺跡は命を与えられた! 高き壁は列をなして敵の侵入を防ぎ、鳥は轟音から滑走に入り始めた。そして筒を捧げ持つ車は岩を砕きながら、轟音を発し始める。


”あバたーのサクせいカラヤらなクチャいケナイのか……メンドくせェ……ナんにシヨウカ……うぉリアーごっド……”


 オウリアは地上に目をやることも出来ず、天空の事象を自分では絶対に感ずることはないだろうと思った感情、恐怖とともにみつめていた。


 手が。


 巨大な手が。稲妻の網を破って出現しようとしていたのである。



「マイクどうした! 仕事しろ! なんとかこんなバカげたことをやめさせるんだ! 」


 ディアスの叫びが遠いものに聞こえた。


 マイクは自分の中の何かが呼ばれているかのような気がしていた。自分ではない、何者かの考えが意識に浮かびそうで……そしてそれを必死に押しとどめようとする自分の中の戦いに終始していた。


「どけ! マイク! 風見の仕事ならアンタが来る前に少しぐらいはやったことがある! 臆病もんはひっこんでろっ! 」


 竪琴の前からマイクは押しのけられ手に持った葦笛を引っぺがされると、その竪琴の前の場所に緊張しきった面もちでアレックスが仁王立ちして笛を口にくわえた。


「空への捧げ筒はまだあるのか!? 」

「さっきから岩を落としてる! あと2,3個! 」

「よし! ……バカやろう! 西じゃない! 東へ行かないと潰されるぞ! 」


 ディアスとエクレナは相変わらず下に展開されている、神の遺跡による地獄絵図をかき消そうとやっきになっている。


 アレックスが風見に来たことで、空に向かってつぶてを放り投げる捧げ筒に岩を落として沈黙させる作業はエクレナ一人でやることになってしまった。ディアスは空から見た状況を下に伝えるのと舵を握るのとで手いっぱいだ。


 そしてマイクは。頭にギュウギュウ押し付けてくるようなしびれる頭痛、湧き上がる不安感と戦っていた。何かが起こりつつある……何かが……。


「ディアっ! 空っ! 」


 これで何度目かの風呼びの香の補充に行こうとしたエクレナが弾かれたかのように叫んだ。それにつられて空を見たマイクは、これが、これこそが自分の不調の原因であることを悟った。


 手が、現れようとしていた。


 巨大な黒い黒炭が手の形をとり、黒い陽炎を上げながらこの世界へ侵入しようとしていた。岩石の塊のようにも見えるそれは、そちらの方を見るだけでその熱気を産毛に感じ、ちりちりと焼けるような思いがする。


 少しでも心を緩ませたならば、たちまちその熱気で焼き尽くされてしまうだろう。


「あ……れが神だというのか……」


 アレックスがぽかんとしたまま葦笛が口から落ちるのもかまわずにそう呟いた。


「黒き太陽……黒陽……」


 マイクはかつて聞いた話を思い出した。それはどこかの魔法使いに聞いた神々の一人の名であったと思いだした。


「かつて”ラグナログ・キャンペーン”なる神々の長き戦いがあったころ、戦いに集まった神の一人にそのようなものがいたと聞いたことがある……。それは心を許し近づいた者を、その身にまとった黒き炎で焼き尽くしたという……」

「で、今度は坊さんに呼ばれて地上を焼き尽くしに来たってか? 冗談じゃねぇ」


 ディアスは己の全存在をかけるかのように、腹の底から宣言した。


「ヘルメス号をぶつけて、あのデカブツをこの世界から追い出す! 」

「「……はぁ!!!!!!? 」」


 エクレナとアレックスが同じように声を上げた。マイクですらディアスを見る自分の顔がひきつるのを感じていた。皆の視線を受けたディアスはといえば額に流れる冷や汗をぬぐおうともせず、舵を握る手に力をこめたまま、ニヤリと口元をゆがませた。


「俺の世界だ、俺の空だ。めちゃくちゃにされてたまるか。それらがなくなると言うんなら、こんな船が、いや俺自体があってもなくても同じだ。それぐらいなら、一か八か、勝負に出る。……イヤなら降りろ。一人で行って来る」

「ヤダっ! 」


 一番に反応したのはエクレナだった。腕に抱えた風呼びの香があたりに散乱するのもかまわずディアスにくってかかった。


「ディアだけ行かせてあたしが残るって!? じょおっだんじゃ、ないっ! ディアが降りろって言っても、あたしは残るよっ! 」

「……思いあがらないでいただきたいですね」


 ひきつった顔になんとか根性で笑みを浮かべて、マイクはディアスに向き直った。


「舵を握るだけでこの船が空を飛べるとでも? ……風見は常に風の機嫌を取り続けるのがさだめ……。付き合いますよ」

「おいっ! ちょっ! まてっ! 俺だけ降りれるわけねぇだろがっ! ……ったくヤな時に乗っちまったなぁ……」


 アレックスまでそう言うのにディアスは髭面の顔で破顔一笑すると、久々に肉食獣の咆哮を響かせた。


「バッカ野郎ども! 船から振り落とされるな! 」


 船が急上昇し回転しつつ昇ってゆく中、竪琴の真横に位置したマイクはディアスの背中を見つつ、慎重に竪琴の音を鳴らしだした。


 早いテンポ、複雑な和音、そしてそこに差し挟まれる葦笛の音。


 自らを船の各場所にしっかりと結びつけたアレックス、エクレナも行く末を見つめている。黒き太陽とも思える神の握りこぶしとおぼしきそれは、直視しようとするだけで目や鼻にチリチリとした痛みをもたらした。

 額の汗が目に入ってくる。それでも視線をそらしたら負けだと思う。真正面から……拳に向かって……舳先から……。


「……ちぃっ! 」


 ギリギリのところでディアスは舵を切った。向こうは避けもしない。こちらがかすめて飛んでいくことすら気がついていないかもしれない。


「帆についた黒い炎を消せっ! 」

「船体が! 船体が! 砕ける! 」

「風のカバーでなんとかもたせる! 」


 かすっただけだというのに。直撃すら出来なかったというのに。


 船体が受けた被害をなんとか食い止めようと船内をクルーが走り回る。ディアスがいかに舵を握り直そうとも、風がどれだけ船を持ち上げようと、その船体は見る間におちてゆく……。


「これまでか! 人は! 俺は! 」


 舵を握る手に力を込め、舵を握ることしか出来ない己にディアスは慟哭した。


「俺に出来るのはいきがって人の手の届かない空をいい気になって飛んでいることぐらいしかないのか! 俺の力は、この程度か! 何も出来ずに、あれを見ていることしか出来ねぇ奴か! 」


 アレックスが、エクレナが、マイクまでもが沈黙の内に立ち止まった。


 このような船長を見ることなどめったにない。どのような時でも、どんな不利であろうとも、どのような相手であろうとも、真正面から相手に挑みかかっていける漢、それがヘルメス号船長マーキュリー・ディアスだった。


 マイクは、心静かに、一つの決断を下した。

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